柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

大規模金融緩和終了の評価

3月の日銀の金融政策決定会合については、既に他の所でも書いていますが、簡単な評価をこちらにも書いておきたいと思います。

会合が始まる前から様々なメディアがマイナス金利解除をあたかも確報であるかのように報じていましたが、予想通り、日銀はYCCの撤廃、マイナス金利解除、ETFJ-REITの買い入れの終了を決めました。マネタリーベースのオーバーシュート型コミットメントも撤廃されました。今回の措置については政策委員会でも判断が分かれましたが、日銀の決定はどう評価すべきでしょうか。

まず、当然ですが、日銀自身は緩和的環境が続くとしてはいますが、今回の措置は明らかに金融引き締めです*1。マイナス金利解除は小さいとはいえ、明らかに利上げです。これが金融引き締めでないというのは筋が通らない主張です。なぜか「金融引き締めではない」といいたがる方が多いのは不思議です。

マネタリーベースのオーバーシュート型コミットメントは拙速な引き締めを避けることを示す日銀の意志表示でしたから、これを外したということは、さらなる金融引き締めが近くあると予想するのが自然です*2。公表文には申し訳程度に「現時点の経済・物価見通しを前提にすれば、当面、緩和的な金融環境が継続すると考えている」と記載がありますが、この記述では何が「緩和的な金融環境」なのか金利やマネタリーベースをどの程度の水準に維持するのかは全く明らかではありません。メディアでは7月や10月の利上げも予想されています。2006年3月の量的緩和解除の際には7月には利上げが開始されましたから、当て推量なのかリークなのかわかりませんが、さもありなんという予測です。日銀幹部の言動からしても「緩和的な金融環境」が維持されるかどうかは疑わしいでしょう。

今のところ市場も落ち着いており、メディアでは歓迎ムードが大勢ですが、日銀は一体何を急いでいるのか理解できないというのが私の率直な感想です。植田総裁の記者会見を聞いても納得できる理由は見出せませんでした。2023年10-12月のGDPは第一次速報値ではマイナスだったのが第二次速報では上方修正されてプラス0.1%になりましたが、弱い数字であることに変わりはありません。依然としてGDPギャップはマイナスですし、2023年4-6月のピークまで回復もしていません。特に消費の低迷は深刻な状態が続いており、第二次速報値では実質消費はマイナス0.2%からマイナス0.3%に下方修正され、むしろ悪くなっています。家計調査などから見ても直近でも改善がみられるとは言えません。個人消費は「底堅く推移している」という公表文の判断は理解困難です。1-3月のGDP能登半島地震と自動車の検査不正問題による出荷停止の影響などでマイナス成長がほぼ確実です。足元の景気は明らかに悪化しています。景気後退のさなかに緩和終了の条件が整ったというのは理解しがたいことです。

なるほど、物価が急騰している、あるいはそうなる恐れが高いのであれば、景気後退でも引き締めは妥当でしょう。ですが、現状は全くそうではありません。反対に、物価は世界的な資源高というコストプッシュ圧力の落ち着きにより、緩やかに上昇率が低下してきている状況です。ブレークイーブンインフレ率や日銀短観の物価見通しなど、予想インフレ率の指標を見ても、ここ最近特に急騰している兆しはありません。

日銀が敢えて3月利上げを選んだ理由は全くパズルというしかありません。確かに春闘賃上げ率の第一次集計の数字は良かったと思いますが、まだ大企業中心で数字が出そろっているとは言えません。日銀のヒアリング調査の結果や春闘を踏まえて判断したということのようですが、それがそんな急ぐ理由になるのでしょうか。日銀としてもまさか賃金が急騰してインフレが止まらなくなると考えているわけではないでしょう。残念なことに日本経済はそこまで元気ではありませんからそんなリスクは全くありません。特に今は景気が失速し消費が不振である状況ですから尚更です。早めに動かなければならない理由は何もなかったのではないでしょうか。

仮にマイナス金利解除が正しい決定だとしても、現状は、政策転換の数か月の遅れが致命的になるような状況ではないはずです。少なくとも、4月の展望レポートで日銀自身の経済物価情勢の認識を述べてからの方が説明責任の観点からもすっきりしたでしょうし、6月に春闘の結果が判明するまで待ったところで大きな問題はなかったでしょう。待つことのリスクよりも早すぎる引き締めのリスクの方が大きいというのは植田総裁自身つい最近までおっしゃっていたことであるはずです。経済の現状について不確実性は極めて高いと言いながら、こうした措置を講じるのは説得的ではありません。

おそらく、日銀としては今回の修正は微修正で、大した話ではないという認識なのでしょう。もちろん、今回の政策変更がデフレ下で強行された2000年のゼロ金利解除や2006年の量的緩和解除と同じレベルの失敗だとまで言うつもりはありませんが、そうはいっても、やはり先走り過ぎという感があるのは否めません。黒田前総裁以来、日銀は予想に働きかける金融政策を続けてきたはずです。決して良いと言えない経済状況で緊急の必要もないにもかかわらず敢えて3月にマイナス金利を解除するという決定自体、ネガティブなメッセージであり、日銀の2%目標への信認を損なうものであると考えます。日銀の楽観的想定通りに進めばそれに越したことはありませんが、そうなるかどうか極めて懐疑的にならざるを得ません。大規模緩和の枠組みを放棄したことで、日本経済は海外発の景気後退等の不測の事態に対してより脆弱になったといえるでしょう。

*1:過去のYCCの修正の際は、これはYCCの持続性を高めるための微修正で引き締めではないという但し書き付きでしたが、今回そうでないのは明らかです。

*2:実際、植田総裁も記者会見で将来は中銀のバランスシート縮小を考えていると述べていますし、その後も利上げを意図するような発言が日銀幹部から相次いでいます。

リーク報道の”正常化”に反対する

前回の投稿でも書きましたが、3月18-19日の日銀金融政策決定会合では、会合前や会合のさなかにリークが疑われるような詳細な政策変更に関する報道が相次いでいました*1。残念なことに、昨日の金融政策決定会合で発表された日銀の方針は正に事前の報道通りの内容でした。明らかに偶然の一致といったレベルではなく情報漏洩を疑うのが当然だと思います。

会合終了後の植田総裁の記者会見ではリークに関して何らかの質問があってしかるべきだと思っていたところ、東洋経済の黒崎記者から「今回、決定会合を前に、まあ、さなかにも政策変更を決めるという報道がありましたが、これは、例えば市場に織り込ませるというような総裁の意図するコミュニケーションでしょうか」という素晴らしい質問がありました*2

ところが、これに対する植田総裁の答えは、「今回、一連の報道が、いつもではありますけれども、会合に先立ってあったという風に認識しておりますけれども、それは全て私共が…〈中略〉…発信した情報をもとに、報道された各社がそれぞれの見方を示されたものという風に理解しております。」という驚くべきものでした。

そうだとすると、日銀の決定と事前の報道との一致はただの偶然なんでしょうか?日経のスクープが決まって深夜2時頃なのは何故でしょうか?マイナス金利解除後も6兆円を目途に長期国債買入れを続ける議案が検討されているという時事通信社の報道や、日経が会合直前や会合1日目の深夜2時に配信したマイナス金利解除やYCC撤廃等の政策変更を詳細に報じたニュースも、偶々、実際の結果とぴたりと一致しただけなんでしょうか?NHKはどうやって「さきほど」提案された議案の内容を知ったのでしょうか*3?こういったニュースは、日銀が「発信した情報をもとに、報道された各社がそれぞれの見方を示されたもの」に過ぎず、日銀の情報管理には何も問題がないんでしょうか?

私は当然、リーク報道や過度な憶測報道への非難があるだろうと期待したのですが、そういったご発言は何もありませんでした。普通に考えて、情報漏洩が疑われる事案が多いですし、日銀として今後の対策に言及すべきだったはずでしょう。「各社の報道が相次ぎましたが、日銀としては議案を特定メディアに事前に漏らすようなことはしておりません」ぐらいは言うべきではなかったのでしょうか。その前の質問に対する回答でもそうでしたが、植田総裁はリーク報道や先走った憶測報道を懸念する様子はなく、むしろ日銀の情報発信を評価しているようにすら見えますが、本当にこれで良いのでしょうか。リークが疑われるような報道はいつものことだから、問題にするに足りない正常なことなのでしょうか?記者も本当ならもっと質問すべきだったでしょう。

ひょっとして、こういう怪しげな報道を助長するのは植田日銀流の「予想に働きかける金融政策」なんでしょうか。まさかさすがにそんなことはないでしょうが、事前に報道された内容と日銀の政策決定は細かい部分まで一致しており、ただの偶然と考えるのは非常に困難です。リークの可能性が強く疑われます。このようなリーク報道が相次ぐ状況は金融政策の信頼に関わる重大な問題です*4

今回の政策決定の是非については私と同意見でない方が多いのはもちろん承知していますが、それはともかくとして、露骨なリークが疑われる報道が相次いだことは政策の評価とは無関係にやはりそれ自体として問題にすべきことではないでしょうか。日銀の政策は素晴らしいのかもしれませんが、だからといってリークが免責されてはならないはずです*5。片岡先生や質問者2さんがご提案されているような情報漏洩を防止する対策をとることが早急に必要だと考えます。日銀の情報管理体制の再構築は急務といえるでしょう。メディアも国会も是非とも日銀の姿勢を問題にし、再発防止策を制定するよう働きかけていただきたいと思います。金融政策は正常化しても良い時期なのかもしれませんが、リーク報道を正常なことにしてはならないはずです。

 

*1:何ともあきれたことに、NHKは2日目の会合中の12時19分に,日銀からは公式に何の発表もないにもかかわらず(というより非公式な発表があってはならない時間帯にもかかわらず)、「日銀は19日、2日目の金融政策決定会合を開いていて、さきほど植田総裁がマイナス金利政策の解除など大規模な金融緩和策の転換についての議案を提案し、議論の取りまとめに入りました。」と報じていました(日銀 植田総裁 マイナス金利政策の解除など提案|NHK 首都圏のニュース)。田中秀臣先生をはじめ、多くの方が既に批判されていますが、NHKは会合の最中にどんな議案が提出されたか、いったいどうやって知ったのでしょうか?これがリークだとしたら大問題です。単なる憶測を断定の形で報じているのだとしたらやはりそれも問題です。いずれにせよ、このような報道は極めて不適切です。

*2:もう少し踏み込んでリークについて質問しても良かったようにも思いますが、こうした質問が出たのは非常に良かったと思います。これは昨年の7月のYCC柔軟化の際にリークが疑われる報道について何の質問も出なかった時と比べれば、ずっとましです(植田総裁に記者が聞くべきだったこと - 柿埜真吾のブログ (hatenablog.com))。

*3:今回の一連のリーク報道については、鈴木亘先生をはじめ、事務方のリークを疑う意見も出ています。確かにNHKの報道に関しては誰か個人のリークというよりも、日銀の報道陣に対する組織的なリークを疑われても仕方ないレベルです。

*4:これは日銀に限らず、官庁とメディアとの関係全般に言えることですが、メディアとの接触が不透明な方法で行われ、特定メディアに事前にリークまがいの情報を流すような悪習が容認されている状況は健全なものとは言えません。特定のリーク元に頼っている記者はどうしても情報元に好意的な記事を書くことになるでしょうし、本来入手できないはずの有利な情報が取れる御用メディアが他のメディアよりも有利になる状況は常識的に言っても健全ではないでしょう。

*5:少なくとも黒田日銀時代には殆どなかったリークが常態化し、植田総裁自身も「いつもではありますが」などと言ってそれを問題にもしないような雰囲気は健全ではないと思います。また、一般論として、そんな組織が正しい決定を下している可能性は低いと思います。

金融政策のスクープ報道への疑問

3月に入ってから様々なメディアがマイナス金利解除を連日のように報じています。金融政策決定会合は今日からですし、日銀は何も公的に発表していないはずなのですが、どんな情報源から情報を得たのか、既にマイナス金利解除は確実な話であるかのような報道ぶりです。中にはマイナス金利解除後の枠組みまで詳細に報じているところすらある有様です。マイナス金利やYCCの是非については様々なご意見はあるでしょうが*1、それはさておき、本来は機密であるべき情報がこうも大々的に報じられている状況はさすがにおかしいのではないでしょうか。

リークなら調査すべきですし、ただの憶測ならそれも問題で、市場操作とか風説の流布にあたるでしょう。こういうことを報じているメディアは、法令や内規に違反している政府職員や日銀職員から情報を聞き出したか、大した根拠がないのに確報の見出しで憶測を記事にしたかどちらかです。どちらにしても決して褒められた話ではありません。

際物めいたメディアがそういう手法でスクープ記事を書くなら、まあ話はわかりますが、一流ということになっているはずのメディアが争ってそんなことをやっているのは全く信じがたいことです。ウォーターゲート事件の際のディープスロートのような公益性の高い機密情報を持ち出した政府関係者がいて、どうしても接触する必要があったというならともかく、正式発表前に金融政策の情報を関係者から聞き出して深夜2時にスクープを出すのは社会的意義のある公益性の高い活動なんでしょうか?

私自身は3月初めの報道はリークというよりも、どちらかといえば日銀OB等の日銀関係者や政府関係者の取材に基づく憶測ではないかと思っていますが、先週末の報道についてはリークを疑うべきではないかと思います。リークかどうか明確に断定する証拠はないものの、仮にリークなら日銀の情報管理上、かなり深刻な問題です*2

日銀には、ブラックアウト・ルール*3があり、政策委員は金融政策決定会合の2営業日前からメディアに対して情報発信をしてはならないことになっています。特定のメディアに対して投票行動を伝えるのは(仮にそういうことが本当にあったならばの話ですが)たとえブラックアウト期間前であっても不適切でしょう。政策委員以外の政府の出席者や日銀スタッフも業務上知り得た機密情報を話すのは当然ながら守秘義務違反で許されることではありません。これは決してうやむやにしていい問題ではありませんし、徹底して調査すべきでしょう。

リークかどうかははっきりしないとはいえ情報管理の徹底はいずれにせよ重要ですから、現在のブラックアウト・ルールを厳格化する等の措置も検討すべきです。金融政策決定会合に出席する予定があり資料の配布等を受けている閣僚も資料が配布された時点からは金融政策について取材を受けるべきではないですし、受けた場合は報告義務を設けるべきではないでしょうか。ブラックアウト期間の長さ*4金融政策決定会合の開催期間なども再考の余地があります。

3月19日の金融政策決定会合後の総裁記者会見では、マイナス金利やYCCに関して様々な質問が出るでしょうけれど、果たして日銀の情報管理に関する質問は出るでしょうか。残念なことに、以前のYCC修正の際の記者会見では、日銀の情報管理やリーク疑惑の調査に関する質問は全くありませんでした*5。ですから、正直、今回もあまり期待していません。とはいえ、怪しげなスクープを不透明なやり方で手に入れたりするよりも、そういう問題を追及する方がよほど意義がある取材だと思いますが、いかがでしょうか。

*1:私自身はあちこちでも書いたり話したりしている通り、マイナス金利解除は早すぎると考えます。足元の景気が明らかに落ち込んでおり、物価も先行き下落が予想されている状況で、利上げに踏み切るのは理解に苦しむ決定ですし、リスクが高いと思います。もちろん、日銀はマイナス金利解除後も金利は低い水準にとどまると主張していますし、慎重に行動するつもりではあるのでしょう。しかし、もし仮に3月に利上げに踏み切るとすれば、この時期に敢えてマイナス金利を解除するという行動自体、日銀の今後の金融政策のスタンスが相当タカ派的なものであることを示すメッセージだと受け取られるでしょう。その影響は小さいものではないはずです。マイナス金利解除でも、株価は銀行株の上昇で当座はむしろ好転するでしょうが、それだけで成功や失敗を判断するのはやめておいた方がよいでしょう。以前も書いたことですが、そういう基準はあてにならないものです。

*2:特に特定のメディアが毎回こうしたスクープを出しているのは何故でしょうか?健全なこととは思えません。

*3:金融政策に関する対外発言についての申し合わせ : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)

*4:ECBやカナダ中銀のブラックアウト期間は7日間です。FRBのブラックアウト期間はFOMC前々週の土曜日から会合後の木曜日までで変則的ですが、大体会合前の10日間程度はブラックアウト期間に入ります。中銀によりますが、ブラックアウト期間を設けている主要中銀の間では大体1週間前後の長さが普通です。日銀でも同程度の期間をブラックアウト期間としてもよいように思います。

*5:それについては以前論評を書いていますので、もしよければご覧ください。

ブログ1周年

昨日でブログ1周年でした。すぐにネタが尽きて終わるかと思いきや、意外と続いていて自分でも不思議です(笑)。これも読者の皆様の応援のおかげです。ブログ更新の告知などをしているXも多くの方にフォローしていただき嬉しく思っております。

経済から人権問題まで幅広い内容をあれこれ書いてきましたが、幸いにも好評で、多くの方にご活用いただけて何よりです。結構不定期ですが、これからも無理はせず時々更新していきたいと思います。

読者の皆様、いつも応援してくださり本当にありがとうございます。心より御礼申し上げます。これからもどうかよろしくお願いいたします。

男女平等と規制改革

3月8日は国際女性デーでした。日本では(というか日本に限らず多くの国でもそうですが)、女性の権利を支持し男女平等を主張する人は大きな政府を支持しがちです。逆に小さな政府の支持者は、そうした運動を疑いの目で見ている場合が多く、男女平等はすでに実現していると考えがちです。これは非常に不幸なことだと思います。自由主義と女性の権利は別に矛盾しませんし、むしろ補完的なものです。これは何も私が勝手に言っているのではなく、ケイト―研究所の名誉シニアフェローを務める著名なリバタリアンDavid Boaz氏*1等も強く主張している点です*2

歴史的に見て、女性の権利を最も侵害してきたのは政府です。例えば、多くの国では女性の財産権や参政権なども長く認められてきませんでした。欧米諸国では事務職や教職などを中心に、19世紀後半から1970年代ごろまで女性は結婚すると仕事を辞めなければならないという結婚退職制度(marriage bar)が存在していました。これについては昨年ノーベル経済学賞を受賞したハーバード大のクラウディア・ゴールディン教授の研究があります*3女性差別に限らず人種差別やその他の問題にも当てはまることですが、政府の規制は社会の偏見を支持し、差別を固定化する上で無視できない役割を果たしてきました*4

もちろん、日本も例外ではありません。「日本では法律上の女性差別などない」といった主張はよく見かけますが、実際には日本の法律には女性差別的な規定がごく最近まで残っていました。例えば、非嫡出子の相続分差別が最高裁違憲判決で是正されたのは2013年、男女の婚姻年齢が統一されたのは2022年で極めて最近です。女性だけに適用される再婚禁止期間の規定(民法733条1項)*5は、2023年の改正でようやく撤廃が決まりました(2024年4月から施行)。離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子とするという嫡出推定の規定(772条2項)*6はDNA鑑定のある時代には全く不合理な明治時代の法律の名残ですが、2023年改正で改善されたものの、今もなくなっていません*7民法750条の夫婦同姓の規定*8も実際に姓を変えるのは女性が圧倒的に多い(95%)ので、女性差別として機能しているのは周知の通りです*9。このような規定がある国は日本しかありません。夫婦の姓をどうすべきかなどという問題は夫婦が話し合って決めれば良いことです。政府がそんなものを決めるのは反自由主義そのものでしょう*10

専業主婦を前提とした年金制度や税制も、女性の労働市場への参入を妨げる規制の最たるものです。税金の壁の問題を回避しようとして、女性のパート労働者*11が稼ぎが増え過ぎないように労働時間を調整しているのは周知の事実ですが、これは経済にもマイナスです。中立的な個人単位の社会保障・税制を実現することが望ましいでしょう。

一見、目立たないような規制でも女性の活躍を妨げる規制は少なくありません。例えば、日本では、低用量経口避妊ピルの承認が欧米先進国の40年近く後でしたが*12、現在も服用には医師の処方箋が必要です。日本では今もピルの利用率は0.9%と先進国でも最低水準ですが*13、これはピルの購入が医師の処方箋なしでできず、ハードルが高いことと無関係ではないでしょう。避妊を目的としたピルの服用は保険適用外で、薬代と別に診断にも料金がかかりますし、赤の他人にそうした相談をすることを躊躇する方も多いでしょう*14。欧米諸国ではピルや緊急避妊薬(アフターピル)は医師の処方なしに市販で購入可能です。コロナ禍以降、日本でもオンライン診療での購入が可能になり規制緩和がなされましたが、欧米同様の規制撤廃が必要だと考えます。

女性の社会的地位の向上に低用量経口避妊ピルの登場が果たした役割を検証したゴールディン教授の研究は非常に有名です*15。彼女の研究によれば、ピルの登場により女性のキャリアが望まない妊娠で中断される可能性が低下し、専門職に就くための教育を受ける女性が増えたことが指摘されています。日本は男女間賃金格差が大きい国ですが、女性の大学での専攻分野はOECD先進国と比較して理工系が少なく文系に偏っています。これはピルの規制が緩和され、普及率が上昇すれば変化する可能性が高いでしょう。

この他、女性が従事することが多い教育や介護等の産業や就業形態への規制も間接的に女性の活躍を阻害していると言えるでしょう。鈴木亘学習院大学教授をはじめ多くの方の指摘されているように、待機児童問題は保育所の参入規制に加え、税金が投入された認可保育所の低すぎる利用価格と恣意的な割当といった社会主義的規制の問題です。

もちろん、自由競争だけで女性の権利が保障されるとは言いませんが、女性差別是正には競争の促進は極めて有効な手段です。リバタリアニズムフェミニストにもメリットがあるのです。市場競争の促進以外の結果の平等を促進するような政府介入の是非には議論がありますが*16、現時点ではそもそも対等な競争を保障する法的枠組みさえが整っていないのですから、効果の疑わしい規制をさらに増やす前に、まずは男女平等を妨げている規制を取り除くのが急務です*17

*1:例えば、次の論説を参照。Libertarians and the Struggle for Women's Rights | Cato Institute 以下のスピーチも素晴らしいものです。David Boaz gives a speech, "The Rise of Illiberalism in the Shadow of Liberal Triumph," at LibertyCon International 2024 hosted by Students for Liberty | Cato Institute

*2:自由主義の発展に貢献した著名な女性思想家については、自由主義の団体Students For Libertyの一連のXポストや英国のシンクタンクIEAのパンフレット等が簡潔でわかりやすいでしょう。

*3:なぜ男女の賃金に格差があるのか:女性の生き方の経済学 | クラウディア・ゴールディン, 鹿田昌美 |本 | 通販 | Amazon

*4:もちろん、これまでは差別を推進してきた政府をこれからは自分たちが動かして、差別を是正する力として利用しようというのはわからないでもありませんが、そもそもそ多数派の偏見に奉仕しがちな政府を偏見の是正のために使うのはなかなか困難です。政府の力そのものを制限する方が結果的に差別の是正につながる可能性は高いと思います。

*5:「女は、前婚の解消又は取消しの日から起算して百日を経過した後でなければ、再婚をすることができない。」

*6:民法 第772条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

*7:300日規定は扶養義務を負う父親を明らかにして子供の利益や権利を保護するためだとされてきましたが、明らかに差別的で受け入れがたいものです。300日という日数には全く科学的根拠がありません。DNA鑑定ができる時代に明治時代の規定を使い続けてきたのは全く時代錯誤ですし、そもそもそういった規定が子供の権利の保護につながったとも考えられません。むしろ逆に、嫡出推定の規定があったために、離婚後に出産した女性が自分の子供が離婚した夫の子とされるのを避けるために出生届を出さず、無戸籍の人が生まれてしまう問題が発生してきました。2023年改正では、300日規定は廃止しないものの、女性が再婚した場合は生まれた子を現夫の子とする例外規定が新設されました。これはもちろん改善ですが、再婚せず事実婚のケース、DVなどで夫と別居しているものの夫がそもそも離婚に応じてくれないケース等を考えれば例外規定で対応するのは全く不十分です。300日規定そのものを廃止するべきでしょう。

*8:民法 第750条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

*9:他の場所(例えば1, 2)でも書いているので詳しくはそちらを見ていただきたいですが、夫婦同姓の強制は女性のキャリア形成の妨げになってきました。特に、学者のような専門職の仕事では、姓が変わることで過去の業績が本人のものと認知されなくなるのは致命的です。通称使用の拡大が進められていますが、通称使用では口座開設等できないことは多いですし、海外では通称はもちろん通用しませんから、海外で活躍する際には様々なトラブルの原因になってしまいます。米国では女性の社会進出が進むにつれ夫婦別姓が増加したことがわかっています(Goldin, C, and Shim, M. (2004) "Making a name: Women's surnames at marriage and beyond." Journal of Economic Perspectives 18.2 : 143-160)。日本で夫婦同姓が強制されてきたのは女性の社会進出を妨げる規制として機能してきた可能性が高いと言えます。選択的夫婦別姓という規制緩和は日本の女性の活躍の機会を大きく広げることになるでしょう。

*10:経済活動の自由を主張しながら、最も個人的なものであるはずの夫婦の私生活への介入を支持する方もいますが、一体何を考えておられるのか理解できません。政府が物質的生活の導き手として信頼できないなら(そう思いますが)、私生活や心の問題の導き手としては尚更信頼できないと考えるのが普通ではないでしょうか。アルゼンチンのミレイ大統領は中絶禁止を主張していますが、自由市場経済を説く主張と中絶禁止のような介入主義の家族政策は矛盾しています。

*11:なお、正社員を保護する規制、例えば、派遣社員の3年ルールや5年ルールのような規制は派遣社員スキルアップを妨げる結果につながりがちですが、これも非正規社員には女性が多いため、事実上の女性差別として機能します。

*12:ピルの承認は米国が1960年、日本が1999年です。

*13:World Contraceptive Use | Population Division (un.org)

*14:安全のためには購入が難しい方がいいのだという意見もあるかもしれませんが、日本の避妊方法は現代的な方法を利用する比率が低くOECD諸国でも最低水準です。安全性を大義名分にした規制がかえって安全でない結果を招く好例です。

*15:Goldin, C., and Katz, L. F. (2002). ”The power of the pill: Oral contraceptives and women’s career and marriage decisions," Journal of political Economy, 110(4), 730-770.

*16:フェミニストの方の中には結果の平等を推進するための政府介入を支持する向きもありますが、「女性は優遇しなければ男性と対等に競争できない」などというのは正に差別的な主張ではないでしょうか。もちろん、検証に耐えるようなはっきりした効果が確認でき、社会的に支持できる理由がある規制があるならば検討する必要はあると思いますが、闇雲な介入には反対です。

*17:日本が法的差別のない男女平等を保障してきた国であるといった主張は全くの幻想です。日本には政府による差別だけでなく、民間でも様々な差別がありますが、法的な平等さえ未だに十分に担保されていないのが現状なのです。結果の平等を求めるための規制には様々な議論があるとしても、現状では女性の権利を積極的に妨げている規制があるのですから、その撤廃を主張するのは首尾一貫した自由主義者であれば当然のことです。私の基本的な考え方については以前の投稿でも触れていますので、こちらもご覧いただければ幸いです。

お詫びと訂正

先日の記事では、男女共同参画センターの予算に触れたのですが、一部で男女共同参画センターの予算が10兆円などと騒がれているのはデマですよ、というお話をしました。

ところが、全く情けない話ですが、タイトルで「男女共同参画センター」と書くべきところを「男女雇用参画センター」と書いてしまい、ミスに気が付きませんでした*1。お詫びして訂正します。

本文中ではもちろん、ちゃんと正しく「男女共同参画センター」と書いていますし、書いている数字やデータの内容は出所も明記しておりますし正確ですが、タイトルのミスは大変なうっかりミスで全く弁解の余地がないです。読者の皆様、紹介してくださった皆様にお詫び申し上げます。

 

 

*1:無意識に男女雇用機会均等法のことを考えてしまったんでしょう…自分でもびっくりしましたが、なかなか気が付かないものですね。全くデマ記事の訂正では絶対にやってはいけないミスでした。

観光税の負担

3月6日、大阪府の吉村洋文知事が、オーバーツーリズム対策として訪日外国人客を対象とした徴収金の導入を検討すると発表しました*1。大阪・関西万博が開幕する25年4月をめどに導入する方針とのことです。大阪府は既に宿泊税を2017年から導入していますが、宿泊税についても増税を検討するそうです。日本政府も2019年から国際観光旅客税(出国税)を出国一回につき1000円徴収していますが、今後は地方でも観光税・宿泊税を徴収する動きがますます広がりそうです。

観光税や宿泊税はいわば”よそ者”を課税対象にする税であるため有権者の抵抗が弱い税金です。しかし、税を負担するのは外から来た人なので関係ないという発想は誤りです。たとえ観光税や宿泊税を払うのが外国人観光客だとしても、通常は観光税や宿泊税を課税した地域の宿泊施設や観光産業にも負担が発生します。

例えば、ある地域で外国人観光客に対する宿泊税が導入され、その地域の旅館の宿泊料が値上がりしたとしましょう。外国人観光客の一部は、そこで宿泊するのをやめたり別の観光地に移ったりするはずです*2。観光客が減るのを防ぐために、旅館は宿泊料を引き下げるでしょう。宿泊税がなかった場合よりも旅館側の受け取る税引き後の宿泊料は下落します。宿泊税の負担の一部は観光客から旅館に転嫁されます。

旅館の税引き後の宿泊料がどの程度下落するかは市場の状況によって異なります。負担の割合は簡単に言えば、観光産業の需要側と供給側の相対的な強さで決まります*3。需要側についてみると、一般に観光客がその地域での宿泊にこだわりがあればあるほど観光客の税負担は重くなります。例えば、観光客がその地域に強い執着がありいくら払ってもそこに宿泊するような極端なケースでは、税引き後の宿泊料は全く下落しません。宿泊税分値上げしても観光客は逃げないので、旅館は宿泊料を宿泊税分値上げし、その全額が観光客の負担になります。

もちろん、そんなことは普通は起きません。観光客は「どうしても大阪に泊まるぞ」とか「京都に行くにはいくら払ってもいい」等とは思っていないでしょう。むしろ、高いなら代わりに別の観光地に行く、隣県にリーズナブルなホテルがあるのでそちらに泊まるといった行動をとる観光客が一定数いるはずです。その場合、やはり客離れを防ぐために宿泊料を値下げする必要が出てきますから通常は旅館側にも税負担が発生します。

先ほどの例とは逆の極端なケース、観光客がその地域にまったくこだわりがなく、少しでも宿泊料が値上がりすれば、観光客が全くいなくなってしまうような場合には、宿泊客離れを防ぐために旅館は宿泊料を増税前と同じにするしかありません。税引き後の宿泊料を宿泊税の税額分だけ値下げせざるを得なくなります。税込みの宿泊料は全く変わらず、税の負担は外国人観光客には一切発生せず旅館側が全額負担することになります。さすがにこれは極端ですが、観光客側が代わりになる観光地がいくらでもあると思っているケースでは近いことが起きます。

供給側についてみると、その地域から離れるのが簡単で別の地域でも営業できるような企業なら宿泊税分は値上げして観光客に払ってもらおうとするはずですし、もしそれで儲からないようなら店をたたんで他の地域に出ていくでしょう(少しでも宿泊料が下がれば旅館がみな撤退するような極端なケースでは観光客側が全額税負担します)。逆にその観光地に特化していて容易に他の地域に逃げ出せない場合であれば宿泊料を値下げしても観光客をつなぎとめようとしますから、旅館側の税負担が大きくなります。

一般に観光税や宿泊税は、その地域の観光サービス・宿泊サービスなしでも済ませられる側の負担が軽く、観光サービスがどうしても必要な側の負担が重くなります。需要側が多少高くても払おうと思うか、供給側が多少収入が減っても続けようと思うか、どちらが相対的に強いかということになります。実証研究をやってみなければ何とも言えませんが、地域レベルの観光税や宿泊税は需要側にとって回避するのが比較的容易で、額が大きくなってくれば宿泊施設や観光産業の負担は小さくないはずです。

これはあらゆる税に言えることですが、税の負担はその税を誰が払うかとは直接関係ありません。税金を払うことになっている人が税負担も支払うとは限らないのです。宿泊施設や観光施設に課税した場合でも観光客に課税した場合でも負担の転嫁が起きるので両者の税負担の結果は変わりません。観光税や宿泊税の負担がどちらに対して重くなるかは地域によっても違うでしょうが、外国人の負担でフリーランチを楽しめるというのは幻想です*4

ところで、吉村知事は、新たな徴収金制度創設や宿泊税増税の根拠としてオーバーツーリズムの問題を挙げています。「(大阪には)万博がありIRがある。魅力がどんどん増すような施策をしているので、外国人観光客はおそらく増えていく」ので、今後オーバーツーリズム対策のための税金が必要になるのだそうです。オーバーツーリズムは、経済学の専門用語でいえば、外部不経済の一種です。観光施設を訪れる観光客と、観光関連施設の取引は双方に利益を与えますが、観光客がごみを捨てたり騒音を立てたりすると、この取引には参加していない周辺の住民が迷惑をこうむります。市場取引が副産物として取引に参加しない第三者に被害を与える現象を外部不経済と言います。理論上、外部不経済への課税(ピグー税)は観光を適正水準に抑制して経済厚生を改善できます。一見すると、大阪府が観光税を導入するのは良いアイデアに思えるかもしれません。

しかし、問題はそもそもオーバーツーリズムを煽っているのは大阪府自身だということです。大阪万博やIRなど「魅力がどんどん増すような施策」をやって観光を振興しようとしている大阪府がオーバーツーリズム抑制のための増税を打ち出すのは矛盾した政策でしょう。観光客は迷惑なのかそうでないのかどちらなんでしょうか。大阪に限らず、全国の市町村は観光振興に力を入れており、わざわざ税金を投入してPRキャラクターを作ったりイベントを開催をしたりして観光客を増やそうとしているのですから、オーバーツーリズムを作り出しているのは当の地方自治体自身です。自分で煽っておいて、いざやってきたら迷惑だというのはちょっと倒錯していはしないでしょうか。観光税を課す前に、まず観光PR予算を削減すべきでしょう。大阪万博に合わせて新しい観光課徴金制度を導入するというのは疑問です。そんなことをするぐらいなら、むしろ万博のチケットを値上げする方が望ましいでしょう*5。そうすれば、万博で発生するオーバーツーリズムの外部不経済をチケットの値上げで内部化できます。オーバーツーリズムの負担は観光関連施設自身がきちんと対策をとってもらい、その費用を賄うのに必要な経費分は値上げで対応してもらうのが一番良いのではないでしょうか*6

公平性の問題からも、地方自治体がこうした税を課税することには問題があると思います。大阪府の新たな徴収金は外国人観光客に課税する方針のようですが、オーバーツーリズムは外国人観光客に限った話ではないはずです。観光に来る日本人と外国人とを区別する合理的理由はありません。こういう規制ははっきり言って極めて差別的ですし、課税の際に外国人観光客かどうかを調べる手間を考えればコスト面や運用面の問題も大きいでしょう。外国人の永住者や留学生の扱いはどうなるのでしょうか。外国人に限らず、一般に、外部の住民に対する差別的な税をかけることには問題が少なくありません。こうした税は「代表なくして課税なし」という原則を無視した権利を持たない人に対する恣意的な課税と言えます。このような税を明確な根拠もなく導入したり増税したりしていくことには弊害が大きいでしょう。再考を求めたいところです。

*1:外国人観光客に「徴収金」導入検討へ…観光公害対策、宿泊税に加え:地域ニュース : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

*2:もちろん、日本の観光税があまりに税が高い場合はそもそも日本に以外の国に行くでしょうが、ここではとりあえず地域レベルの税について考えます。ここでは例として旅館とそこに泊まる観光客を考えますが、ホテルとか他の観光施設の場合も基本は同じです。

*3:専門用語を使うと、どちらがより大きく負担するかは、観光需要の価格弾力性と、供給の価格弾力性の相対的な大きさによります。簡単に言うと、○○の価格弾力性というのは○○の価格に対する敏感さを表したものです。需要の価格弾力性というのは価格が1単位変化したとき需要量がどれだけ変化するかを表します。必要性の乏しいなくていいようなものは僅かに値上がりしただけでも買うのをやめる人が大きく増えますから需要の価格弾力性が高くなりますが、必需品は値上がりしてもなかなか手放せませんから需要の価格弾力性は低くなります。供給の価格弾力性は価格が1単位変化したとき供給量がどれだけ変化するかを表したものです。供給の価格弾力性は、すぐに供給を増やせるようなものは高くなりますが、価格が変化してもなかなか供給を増やせないようなものは非弾力的になります。税の負担の割合は、売り手と買い手のどちらに課税するかにかかわらず、より弾力性の低い方の負担がより重くなります。本文に述べたように、その財をなしで済ませられるような側がより有利になりますから、負担はその財から逃げ出せない方がより多く支払うことになります。

*4:観光税は世界中にありますし、同じような幻想はどこでも人気があります(だからといって、世界の愚行を日本もまねるべきだということにはなりません)。関税が人気があるのも同じ理由です。かつてトランプ前大統領は「メキシコとの国境の壁建設の費用は、メキシコへの関税でメキシコ人に払わせるから、米国人に負担は発生しない」と主張しました。関税は、米国の輸入品を高くしますから、米国の消費者の負担になります。外国人が払うから関係ないなどということはないのです。税金で手品をすることはできません。

*5:もっとも私自身は万博がそんな問題になるほどの観光客の増加を発生させるとは思いませんが。

*6:「そういう行政指導しろ」という意味ではありません(念のため)。経費を賄えない観光地は倒産しますし、周辺に迷惑をかけているなら訴訟が起きるでしょう。