柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

書評掲載(3/14)

週刊金融財政事情 2023年3月14日号に『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』中井治郎 著/PHP研究所(2021年12月)の書評が掲載されました。ご覧いただければ幸いです。

『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』 | きんざいOnline (kinzai-online.jp)

詳しい内容は書評をご覧いただければと思いますが、著者も指摘するように、選択的夫婦別姓をめぐる議論の真の争点は「同姓か別姓か」ではなく「強制か選択か」です。日本は夫婦同姓を強制している世界で唯一の国ですが、このような家族で話し合えばよい問題を法律で強制する合理的理由があるとは思えません。

選択的夫婦別姓反対派はしばしば別姓を認めると家族が壊れると主張しますが、同姓を強制すれば家族が守られるというのも奇妙な話です。世界には別姓が原則の国も存在しますし、日本でも国際結婚はそうです。伝統が破壊されるという批判も盛んですが、夫婦同姓の強制自体、歴史の浅い伝統に過ぎません。江戸時代まで庶民に姓を名乗ることは認められていませんでしたし、北条政子源頼朝を考えれば自明ですが、身分の高い人々の間では夫婦別姓が普通でした。明治に入って、庶民も姓を名乗ることができるようになってからも1876年の太政官指令では夫婦別姓を定めていました。夫婦同姓が定められたのは1898年の明治民法以降のことです。百歩譲ってこれが古くからある伝統だとしても、法律で強制しなければ破壊される程度の伝統は大した伝統ではないでしょう。家族のきずなや伝統を理由にした反対論は説得力に欠けるのではないでしょうか。

選択的夫婦別姓が認められたところで、同姓を選びたい人は今まで通りでよいし、別姓が良い人は別姓を選べばよいだけのことです。他人の選択にわざわざ干渉し、ヒステリックに反対する理由がわかりません。自由主義の原則は選択の自由です。何であれ政府の法律に決めてもらわなければならないという発想は改めるべきでしょう。