柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

『本当に役立つ経済学全史』刊行のお知らせ

お知らせが遅くなりましたが、近日中に新著を出しますので、ご紹介させていただきます!

本当に役立つ経済学全史 (テンミニッツTV講義録) | 柿埜 真吾 |本 | 通販 | Amazon

テンミニッツTVでの講義をもとにした経済学史の入門書です。重商主義から古典派、マルクス等の異端の経済学者たち、限界革命後の新古典派ケインズハイエクフリードマンまでを簡単に解説しています。ご関心を持った方はぜひ手に取っていただければ幸いです!どうかよろしくお願いいたします!

 

間違いを認める大切さ

いくら注意していても、間違った意見を言ってしまうことは誰にでもあることです*1。大切なのは間違いに気が付いた後の対応です。当たり前のことですが、きちんとお詫びし、訂正するのが大切だと思います。反対に、間違いがわかった後も、間違っていないと自分の誤りを認めずに変な陰謀論めいた主張をしたり、間違いを放置して訂正しないのは積極的に誤解を広めているのと同じで問題でしょう。特にそれが他人に対する誹謗中傷の場合は猶更です。社会的に大きな影響力のある方がきちんと調べもしないで間違った情報を拡散し、誤りを指摘された後も投稿を撤回せず、そのままにしているのはさすがにどうかと思います。

極右の皆さんの大騒ぎしていた大林ミカ氏の経歴の”疑惑”について、4月8日に自然エネルギー財団の声明が発表されました*2自然エネルギー財団は大林氏の資料に中国国営企業のロゴが含まれた経緯は事務的ミスであるとした上で、大林氏の経歴について一部のネット情報は明らかに虚偽だと指摘しています。

「大林事業局長に関し、SNSの一部で全く事実と異なる情報が流されていますので、以下に履歴を明記しておきます(主な内容は財団のスタッフ紹介ページに記載されており、また国には証明書含め提出し 既に説明済みです)。同氏は、大分県中津市生まれの日本人であり、国籍も日本です。「大林ミカ」は本名(戸籍名)であり、カタカナ表記の「ミカ」も本名です」*3

ロゴの問題には議論があるかもしれませんが、少なくとも大林氏の経歴に関しては自然エネルギー財団の声明は信憑性が高いものとみてよいでしょう。

そもそも、大林氏の国籍が怪しいという話はもともと地方公務員を名乗る匿名アカウント(現在はアカウントごと削除)が投稿していた真偽不明の情報を池田信夫氏などが拡散したことで広まったもので、最初からデマの疑いが濃厚でした。問題の投稿は次のようなものです。

過去に再エネタスクフォースは電力の安定供給を脅かすような提言をしていたから、地方公務員のわいは同タスクフォースのメンバー4人を住基ネットで検索したことがあるんだけど、「大林 ミカ」だけ該当しなかった。経歴・学歴はおろか国籍・本名も不明な人を登用しているヤバさよ、、、解体すべき*4

そういっているこのアカウント自身が「経歴・学歴はおろか国籍・本名も不明な人」で自称公務員に過ぎないのですから、出来の悪いブラックジョークのような話です。こんな情報を鵜呑みにするのはそれこそ「ヤバい」でしょう*5

面白いことに、ネット右翼の皆さんのアカウントは大部分が匿名であるにもかかわらず、自分の気にいらない人を見つけると、すぐ「○○は通名/偽名」などとレッテルを張り、「信用できない」と主張しがちです(その情報ソースの人も今回の場合もそうですが、大抵は匿名です)。矛盾したおかしな話だと思います。

実際には、この匿名アカウントの主張は、気に入らない人間を誰であれスパイだとか国籍がどうのとか騒ぐ極右のいかがわしい言説そのものですし、全く信頼するに足らないものであることは最初から自明でした。こういった真偽不明の情報を拡散した方々は大いに反省していただきたいと思います。

これだけ重大な中傷をしておいて、間違いがわかっても何もしないなどというのはあり得ない対応でしょう*6。黙ったままで投稿を削除もしないというのはデマを広めているのと変わりません。「ロゴの問題は事務的ミスでは済まされない」などと延々と言い続けているのですから、きっと「デマ情報を拡散し今もそのまま放置しているのも単なるミスでは済まされない」はずですよね?

朱鎔基元首相の写真が背後に飾られている大林氏の写真については、極右がさんざん工作員である証拠だなどと煽り、アゴラのような責任ある言論サイトまで「なぜか事務所には中国の朱鎔基元首相の額が。」*7などと騒いでいましたが、自然エネルギー財団の声明は次のように指摘しています。

「ネット上で、大林事業局長の背後に中国の朱鎔基首相の写真が飾ってある写真が取り沙汰されていますが、この写真は、日本記者クラブの喫茶室で共同通信により撮影されたものです。喫茶室には、過去に記者クラブで講演した多くの首相たちの写真が飾られています」*8

この件は撮影者の井田徹治氏がXで明快に説明しており*9、完全に決着がついたといえるでしょう。この期に及んで朱鎔基が云々と言い張るならそれはまさしく陰謀論です。

池田先生は、他人のミスをタイプミスのような些細なミスですら厳しく咎め、しょっちゅう「バカだな」とか「頭のねじが外れている」とか酷い言葉で罵倒されているぐらいですから、当然ご自身が根拠のないデマを拡散したことについても厳しく断罪し、謝罪されるのでしょう。どんな謝罪をされるのか楽しみです*10

人間には誰しも間違いはありますから、間違ったことを書いたり言ったりしたこと自体は咎めるつもりはありませんし、誤りは訂正すれば済むことです。ですが、他人を激しく罵倒しておきながら、間違いがわかっても訂正せず謝罪もしないというのは決して褒められた態度ではないと思います*11。批判を無視して訂正せず、誹謗中傷に近いような発言を繰り返したり、都合の良い情報だけに飛びついたりしていると極右の陰謀論とほとんど区別できなくなってしまいます。

*1:もちろん、以下の文章は自戒も込めて書いています。まず、そもそも誤りのないよう細心の注意を払うのは当然ですが、失敗したときは正直に訂正するのが本当に大切ですね。公に文章を書いている者として初心を忘れずにいたいと思います。

*2:自然エネルギー財団と中国国家電網の関係について | お知らせ | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

*3:自然エネルギー財団と中国国家電網の関係について | お知らせ | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

*4:既に削除済みのOkuboを名乗るアカウントの2024年3月23日の投稿

https://twitter.com/chishoin/status/1771516760463991079)。投稿自体は複数の方(例えば、)が保存していて、今も一応見ることができます。

*5:仮にこの投稿内容が本当だったとしたら、これは公務員による個人情報の悪用の自白ですから、実に恐ろしい話で、すぐ取り締まるべき話です。大林氏をたたくことができるなどと喜んでいる場合ではなかったでしょう。もしこのアカウントの主張を真に受けたのであれば、こういう行為自体を厳しく咎めるべきでした。中国共産党が怖いといいながら、中国共産党並みの個人情報の悪用は自分たちに都合が良ければ歓迎してしまうというのは呆れた話です。

*6:池田氏の投稿を確認すると、4月8日以降に大林氏の国籍を問題にした投稿はないようですが、あれだけ騒いでいたのですから、国籍については誤りだったと認めるべきです。仮にもし自然エネルギー財団の声明を疑うというならその根拠を示すべきです。

一部の右翼が既に言っている「国籍を隠すこともできる」「偽造かもしれない」などという主張はもちろん全く説明になっていません。当初の”疑惑”自体がでたらめな信頼するに足りない情報をもとにしたものなのですから、そのような「証拠はないけれども、そうかもしれないだろ!」などというのはナンセンスな言いがかりというべきです。

この手の最初から存在しない架空の疑惑なるものをでっちあげて、それが否定されると「疑惑は深まった」、「…という可能性もある」などと論点をずらしていく手法を右派の方々は左翼の常套手段だ、悪魔の証明を求めるものだなどと主張してさんざん批判していたはずです。実際には、この手の言いがかりは左翼メディアにも右翼メディアにも同じようにみられます。嫌いな人たちは、みんな「反日」で国籍に疑惑があるとか帰化人だなどといい、そうでないなら「証明してみろ」といい、本人がいくら違うといっても「証明になっていない。疑惑は深まった」と言い続けるのは極右の常套手段です。

*7:【更新】疑惑の大林ミカさんが再エネTFを辞任 | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp) アゴラ編集部は記事にお詫びと訂正の追記を入れるべきではないでしょうか。こういうことを放置されるのは、よい記事も多く掲載されているだけに極めて残念です

*8:自然エネルギー財団と中国国家電網の関係について | お知らせ | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

*9:井田徹治氏は、次のように投稿しています。「朱鎔基・元首相の写真は、写真を撮影した日本記者クラブで同氏が講演したことを紹介するために同記者クラブが撮影、掲示しているもので大林さんとは一切、関係がありません。この事実に反する誤った情報が流布されているものも目にします。これも早めに削除されることをお勧めします。」(井田徹治氏のX投稿)。この投稿に添付されている写真もご覧ください。

*10:そういえば、アンミカさんについて「密入国は本人が言ってるんだから事実。」(2023年12月9日の池田信夫氏のXの投稿、この記事を参照)という根拠のない投稿をされていましたけれど、削除したとはいえ謝罪と訂正のお知らせはどうなっているのでしょう?

それに、ここ最近は、水原一平氏の違法賭博事件についても「大谷が送金に関与したことは明らかで、横領の被害者ではない。」「水原が「盗んだ」と供述し、大谷も口裏を合わせた」「こんな大胆な嘘をついて、公判で嘘をつき通せるのか。」などと断言されていましたが、こちらもどうなったのでしょう。無責任にもほどがあるでしょう。

大谷選手の関与を主張していたひろゆき氏の謝罪は誠意がないと批判を浴びましたが、謝罪して訂正しただけまだ立派だと思います。

*11:どんなことにでも意見をもっているのはそれはそれで素晴らしいと思いますが、意見の公表にはそれなりの責任を伴うでしょう。自分の専門に無関係なことについて何でも気軽に発言し断言するのは賢明な態度とは言えないのではないでしょうか。特に他人に対する誹謗中傷に近い強い言葉を使う場合は猶更です。専門的な歴史論争や科学論争あるいは刑事事件といった畑違いの分野についてはまずは専門家の一般的な意見を確認し、軽々に断言したりいい加減な根拠で人を誹謗したりしないようにするのがよいのではないでしょうか。

お詫びと訂正

先日の記事(1,2)では、大林ミカ氏の背後に中国の朱鎔基元首相の写真が飾ってある写真について取り上げ、一部の極右が流している主張はデマである可能性が高いと指摘しました。これについて、4月8日、自然エネルギー財団から発表がありました。

「ネット上で、大林事業局長の背後に中国の朱鎔基首相の写真が飾ってある写真が取り沙汰されていますが、この写真は、日本記者クラブの喫茶室で共同通信により撮影されたものです。喫茶室には、過去に記者クラブで講演した多くの首相たちの写真が飾られています」*1

この写真の撮影者である井田徹治氏は、次のように投稿しています。

「朱鎔基・元首相の写真は、写真を撮影した日本記者クラブで同氏が講演したことを紹介するために同記者クラブが撮影、掲示しているもので大林さんとは一切、関係がありません。この事実に反する誤った情報が流布されているものも目にします。これも早めに削除されることをお勧めします。」*2

これでこの話は決着がついたといえるでしょう。先日の投稿では私は一部の極右が写真を理由に大林氏を工作員などと攻撃している件について、デマである可能性が高いとしましたが、実際その通りだったわけで、これで愚かしい陰謀論の誤りは十分はっきりしました。

ただし、写真については不鮮明で朱鎔基氏のものではない可能性があると主張しましたが、結果的にこれは誤りでした。読者の皆さんにお詫びして訂正します。私の記事では写真の真偽は断定せずわからないということは強調していたかと思いますが、写真の一致率の判定は不鮮明な写真ではなかなかうまくいかないものですからこの点をもう少し強調すべきでした。

とはいえ、仮に写真が本物だったとしても、極右の主張は誤りである可能性が高いと注記し、次のように主張しましたが、これは正確だったと言えます。

「仮に問題の写真が朱鎔基の写真だとしても(ありそうにありませんが)、いくらでも可能性が考えられますし、大林氏が朱鎔基を崇拝しているとかまして中国の工作員であるとかいった結論は出てこないでしょう。…(中略)…そもそもこの写真の撮影場所は不明ですから、偶々、新聞社の取材で出向いた先の場所に写真があっただけということだってあり得ます。朱鎔基元首相の写真が写っていたから(繰り返しますが、そうだと断言できる根拠はありません)、だから中国の工作員とか言うのは荒唐無稽です。」*3

一応、記録のため、これらの記事は削除せず残しておきます。

なお、自然エネルギー財団は、大林氏の国籍については次のように述べています。

「大林事業局長に関し、SNSの一部で全く事実と異なる情報が流されていますので、以下に履歴を明記しておきます(主な内容は財団のスタッフ紹介ページに記載されており、また国には証明書含め提出し 既に説明済みです)。同氏は、大分県中津市生まれの日本人であり、国籍も日本です。「大林ミカ」は本名(戸籍名)であり、カタカナ表記の「ミカ」も本名です」*4

先日の投稿では、「地方公務員」を名乗る匿名アカウントの主張はデマである可能性が高く、それを真に受けて「大林氏の国籍」を問題にする池田信夫氏をはじめとする方々はネットリテラシーが欠如していると批判しましたが、予想通りの結果です。

国籍や写真の話がデマであることがはっきりしたわけですから、「大林氏は工作員」などと言って写真や国籍について騒いでいた方々は謝罪し、速やかに投稿を削除すべきでしょう。デマを散々投稿しておきながら、そのまま放置し訂正する気がない方々は当然ですが訴訟を受けて立つ覚悟があるのでしょう。

市場の失敗に関するフリードマンの見解

先日の投稿で市場の失敗について私の述べた見解は、ミルトン・フリードマンの主張とほぼ同じものです。フリードマン社会主義者国家主義者にとって、自由主義のシンボル的存在であるようで「市場万能論者だった」などと攻撃されがちですが、実際にはそれは藁人形への批判というべきです。不注意な介入主義者とは反対に、彼は市場の失敗にも政府の失敗にも同じように注意を払っていたというだけのことです。

ミルトン・フリードマンは市場の失敗に対して全く盲目どころではありませんでした。彼は1980年代の日本のバブルや1990年代末の米国のITバブルをいち早く警告した人でしたし*1外部不経済の問題には『資本主義と自由』をはじめとする一般書でもきちんと触れています。実証主義者であるフリードマンは、実際に市場がうまくいかないときはその事実をありのままに認めましたが、市場が失敗しているからと言って、政治家の善意と裁量にゆだねてよいと考えるほどナイーブではありませんでした。あるインタビューでは、次のように述べています。

インタビュアー:「ある経済学者たちは、おそらく大半の経済学者がそうだが、次のように論じている。マネタリストケインジアンの根本的な違いは、マネーサプライの影響に関するそれぞれの見方の違いではなくて、市場メカニズムが均衡をもたらす力に関する異なった見方である。マネタリストが市場の力が均衡をもたらす傾向を信頼しているのに対し、ケインジアンは深刻な市場の失敗があり、それはマクロ経済レベルでの何らかの積極的な介入を必要とするのだと論じるのだ、と。このような見方に同意するか?」

フリードマン:「そのような見方には同意しない。あらゆるタイプのマネタリストがいる。市場の失敗を強調する人もいれば、そうでない人もいる。すべての経済学者は、マネタリストであれケインジアンであれ何であれ、市場の失敗のようなものがあると認めている。

私が思うに、経済学者を本当に区別するのは彼らが市場の失敗を認めるかどうかではなく、彼らが政府の失敗をどれほど重く見るか、とりわけ、政府が市場の失敗といわれているものを是正しようとするときに、政府の失敗をどう見るかである。この違いは、経済学者が様々な問題に取り組む際にどんな時間的視野で考えるかと関係する*2

私自身についていえば、私は、市場の力が均衡をもたらす傾向については、大半のケインジアンよりも信頼しているわけではない。しかし、問題を悪化させずに市場の失敗を是正する政府の能力に対しては、大半の経済学者(ケインジアンであれ、マネタリストであれ)よりもずっと信頼していないのだ。」*3

極めて深い洞察であると思います。実際、私たちが一番不満を感じることが多い市場はどういう市場でしょうか。たぶん、医療、介護、教育、農業といった分野ではないでしょうか。あるいはなかなかつかまらないタクシーかもしれません。こういった分野では市場の失敗を是正するために政府のさらなる介入が必要なのでしょうか?いや、むしろこれらの最も不満の多い分野こそまさに政府が最も深く関与している分野でしょう。

例えば、医師の数が少ないのは医学部の定員を制限し新規参入を阻止しているからです。バターが足りなくなったり牛乳が余ったりするのは農水省が管理する計画経済風の生産体制や国家貿易のおかげです。タクシーがなかなかつかまらないのは、そもそも政府が台数を制限して新規参入を阻止し、ライドシェアのような新しいサービスも認めてこなかったのですから当然です*4。これらの問題は市場の失敗ではなく特定産業と結びついた政府による既得権保護がもたらした「政府の失敗」です。政府の規制は、元々の意図は立派なものだったのかもしれませんが、意図ではなく結果を見ればその失敗は明白です。特定の産業への支援や介入は、規制当局や政治家と業界の癒着を招き、消費者を犠牲にする既得権保護になりがちです*5

フリードマン教条主義的な自由放任主義者であるかのように言うのは全くの誤りです。フリードマンは市場だけではうまくいかない場合には、負の所得税や教育バウチャー、医療貯蓄口座といった貧困層を救うアイデアを積極的に提案することを厭いませんでした。彼が反対したのは、弱者保護に名を借りた政府による特定の産業への利権誘導や既得権保護です。市場の失敗を口実に闇雲に政府が介入した結果は時代遅れの産業をいつまでも保護し技術革新の導入を妨げ、独占を打破する新規参入を阻止する結果に終わるのが常です。だからこそ、フリードマンは、市場の失敗があり介入が必要になる場合でも*6、市場にとって代わる介入ではなく市場を活用した政策を支持し、政府の役割を厳しく限定する必要性を訴えたのです。「市場の失敗があるのでフリードマンなんて古い」などという流行の最先端にいるつもりの介入主義者よりも、フリードマンは遥かに先を見通していたといえるでしょう。「市場原理主義」などとレッテルを張ってフリードマンを否定しようとするのは全く不毛な試みです。

*1:この辺りは拙著でも紹介したところですので、興味のある方はご覧いただければと思います。

*2:短期を重視すると介入主義的になりがちで長期を重視すると市場に任せるべきという判断になりがちという指摘(Friedman,M and Friedman, R. D.(1999) Two Lucky People: Memoirs, Chicago: University of Chicago Press)。

*3:Snowdon, B., & Vane, H. R. (1997). "Modern macroeconomics and its evolution from a monetarist perspective: An interview with Professor Milton Friedman," Journal of Economic studies, 24(4), 191-221.

*4:なお、4月から日本版ライドシェアが始まっていますが、運行主体をタクシー会社に限定し、台数を制限した上に価格競争も認めない「日本版ライドシェア」は諸外国のライドシェアとは大きく異なります。

*5:フリードマンはいささか皮肉な言い回しでこうした典型的な政府の失敗を風刺しています。「政治においては、市場とは反対の方向に動く見えざる手がある。政治においては、公共の利益だけを追求している人々は、見えざる手に導かれて、彼らがまったく意図しなかった特殊利益を促進することになる。」(Friedman, M(1983) Bright Promises, Dismal Performance: An Economist's Protest,  New York:  Harcourt Brace Jovanovich).

*6:彼は市場が失敗している場合でも政府が介入しない方がまだしもましである場合が多いと考えていました。実際、それはしばしば正しいでしょう。

市場の失敗をめぐる論争

アルゼンチンのミレイ大統領の言動はリバタリアンの熱い注目を集めていますが、彼が今年2月に米国の「保守政治行動会議(CPAC)」で行った演説は、オーストリア学派経済学のマニフェストというべき内容で大きな話題になりました。

自由主義経済学について紹介しておられる自由主義研究所*1のサイトにこの演説の素晴らしい翻訳がありますので、ぜひご覧ください。

「自由のための戦いを諦めてはいけない」~ミレイ大統領CPAC演説全文 |自由主義研究所 (note.com)

演説はCPACのような政治集会にはやや不似合いとも思える理論的内容ですが、オーストリア学派経済学者としてのミレイ氏の信念を知る上で非常に興味深い演説です。最近のCPACは反グローバリズム陰謀論をもてはやすMAGA(トランプ支持者)の集会になりがちなのですが、自由貿易の意義を堂々と訴えているあたりは立派だと思いました。ミレイ氏の演説はこの他にも産業革命以降の自由市場がもたらした経済成長こそ人類の貧困を大きく減らしたことを指摘している点など有益な指摘が多いと言えます。

ただ、その一方で些か心配になる部分があるのも確かです。例えば、地球温暖化に関する根拠の乏しい発言や中絶を社会主義と結びつけ「中絶という殺人的な政策」の起源を聖書の嬰児殺しに求める陰謀論的な発言等です*2。CPACでは、ミレイ氏は米国のトランプ前大統領と親しさをアピールしていましたが、政治は妥協の産物とはいえ、権威主義的な文化保守主義との接近には危うさを感じます*3

ここでは、ミレイ氏のCPACの演説の経済学に関する部分について(その内容の多くには賛成であるということをお断りした上で)、私が賛成できなかった点を取り上げたいと思います。この演説で非常に興味深かったのは、ミレイ氏が論敵として社会主義共産主義よりもむしろ専ら新古典派経済学を集中的に批判していた点です。

新古典派経済学とその「市場の失敗」に対する見方が、いかに社会主義の前進を促進しているか、そしてそれがいかに幸福の向上と貧困との闘いにブレーキをかけ、経済成長を破壊しているかに焦点を当てて話そうと思います。

新古典派経済学」というと*4、一般には「市場原理主義」であるといった誤解が多いのですが、ミレイ氏は新古典派経済学の「市場の失敗」の考え方こそが政府介入を正当化し大きな政府社会主義につながる元凶だと主張しています*5

確かに、新古典派経済学は競争市場の効率性を主張する一方で、市場がうまく機能しない「市場の失敗」のケースでは政府の介入が経済厚生を改善しうると主張しています*6

通常のケースでは、市場は自発的交換のプロセスですからお互いに得をしないような取引は起きません。自分がわざわざ損をする取引をする人はいません。市場がもたらす結果はだから通常は効率的なのです*7。ただ、市場に少数の独占的取引相手しかいない場合や、取引に参加しない第三者に悪影響が及ぶ場合(外部不経済)、あるいは取引参加者の持つ情報に偏りがある場合(中古車市場で売り手は品質を知っているが、買い手は分からないような場合)等には、市場取引が最適な結果につながらない場合があります。これがいわゆる市場の失敗です*8

しかし、新古典派*9には市場の失敗があるからと言って、政府が介入しさえすればいいという話にはなりません。政府の失敗も深刻な問題だからです。政府の失敗が酷い場合は、市場の失敗があっても政府が介入しない方がまだましということはあり得ます(思うに、大半のケースではそうでしょう)。結局、その場合は不満足な選択肢の中からよりましな解決策を選ぶしかないというのが一般的な考え方ですし、私自身この立場です。

ところが、オーストリア学派的には、こういう新古典派経済学の微温的立場は我慢のならないものだということになるようです。ミレイ氏によれば、市場は自発的な協力に基づく交換なので、それが当事者にとって悪い結果をもたらすことはあり得ません。ミレイ氏は新古典派を論難し、次のように述べています。

市場とは社会的協力のプロセスであり、そこでは財産権が自発的に交換されます。
実際、交換は自発的なものであるため、市場の失敗について話すことは不可能です。
なぜなら、自虐的な行動をする人はいないからです。
したがって、市場を適切に定義すれば、介入の定義はすべて崩れます。

彼の主張は説得的でしょうか。「新古典派」をどう定義するかによりますが、主流派経済学への批判という意味ではそうは言えないと思います*10

私は市場は多くの場合うまくいくし、問題が起きるのは大抵は政府の介入のせいだと思いますが(例えば多くの独占は政府の支援なしに成立しなかったと思いますが)、市場がいつも完璧だとは思いません。例えば、国防を考えてみましょう。自衛隊が民間企業で、北朝鮮のミサイルからの防衛サービスを提供しているとします。私がそのサービスを買ったとしましょう。この場合、私の周りに住んでいる方は全員が自動的に北朝鮮のミサイルから守られることになるでしょう。自衛隊が私以外の人を守るために追加的に必要になるコストは何もありません*11。これ自体は結構なことですが、厄介な問題があります。自衛隊からサービスを買っても買わなくてもどうせ守ってもらえるのですから、多くの住民は費用を払わずに自衛隊のサービスにただ乗りしようとするでしょう。そうなれば、自衛隊は費用を賄えずに倒産してしまいます。自衛隊が対価を払っている住民以外が守られないように、サービスを購入していない住民を排除することが可能なら話は別ですが、通常それは効率的ではない上に著しく困難です*12。市場で国防サービスが取引されているような場合、結果は著しく非効率で、危なっかしいものになるでしょう。このようなタイプの財を公共財と言います。私自身は公共財はごく少数しかなく、それも民間で供給したほうが政府に供給させるよりもうまくいく場合も多いと思いますが、そういう財が絶対にないとは思いませんし、国防は政府が供給すべきだろうと思います。無論、国による公共財供給にしても効率的でないのが普通で無駄は発生しますが*13、市場で供給するのが著しく困難で大きな問題が発生する場合は政府が供給するのがまだましである場合があるでしょう。もちろん、ミレイ大統領も政治家をやっているのですから、少なくとも今のところは政府は必要ないとまでは考えておられないわけです*14

次の例として、工場の煙が洗濯物を汚したり健康に被害を出したりする典型的な外部不経済の状況を考えましょう。工場を持つ企業とその生産物の消費者との間には、互恵的な取引が成立しています。しかし、その副産物として生まれた公害に対して、工場所有企業は費用を払っていません。この結果、第三者の被害を考慮しない工場の煙の排出は過大になります。これが外部不経済です。

オーストリア学派的には、これは清浄な空気を所有する住民の所有権が工場に侵害されているのであり、市場が存在しないからこそ問題が起きるのだということになるでしょう。市場はあくまで失敗しないのだ、と。

確かに煙害の”市場”が存在すれば話は変わってきます。工場が1社で、被害を受けている住民がその工場を特定できるような場合なら、所有権が明確に定義されていれば両者の自発的交渉で望ましい結果が達成できます*15。しかし、通常はどの工場から出た煙で健康を害しているかとか洗濯物が汚れたのはどの工場の煙のせいかなどを特定するのは困難で、被害者住民が全員で集まったり工場と交渉に行ったりするコストもバカにならないのが普通です。このようなケースでは、確かに厳密には「市場がない」というべきですが、「市場に任せてもうまくいかない」といってもかまわないでしょう。市場が失敗しているからと言って政府の介入がうまくいく保障はありませんが*16、少なくとも、市場に任せた結果は改善の余地があり最善でないとは言えるでしょう。

とはいえ、市場は完全ではなく失敗しうるというのは、別に政府万能を意味しません。皆さんは品質の怪しげな商品を買わされた経験が一度や二度はあるでしょう*17。他の産業に比べてより劣った満足のいかない市場というものも知っていると思います。市場の失敗を議論する経済学者は単にその現実を認めているだけです。市場について現実的だからと言って、何もそれは社会主義計画経済を肯定することにはつながりません。

政府について幻想を持たず、現実の姿をありのままに見てみましょう。世の中には、市場は現実的に見るのに、政府は非現実的な理想の姿で見る人もいますが、まともな経済学者はそういうナイーブな見方はとりません。政府も市場も現実的に考えます。公共選択論という分野では、政治市場を他の市場と同じように分析し、政府の失敗を分析しています。政治市場ほど失敗の多い市場はないでしょう。少数の政党による寡占市場で、有権者と政治家には情報の非対称性があり、政治家と官僚にも情報の非対称性がある等々…こんな欠陥だらけな市場はなかなかありそうにありません。政治家や官僚が天使でないことは皆さんもご存じでしょう。政治について現実的に考えれば、政府に何でも任せるべきだという結論は決して出てきません。むしろ殆どのケースでは、たとえ不完全であっても市場に任せる方が遥かにましなのは明らかです。

市場の失敗を認めるか認めないかといった違いはオーストリア学派の言うほど「新古典派」とオーストリア学派の大きな違いなのかどうか、私自身は疑問に思います。オーストリア学派による新古典派批判はリアリティのない戯画的な批判だと思います*18

オーストリア学派の洞察は極めて重要なものが多いと思いますしそれについて学ぶ意義は大きいと思うのですが、規制改革と減税を進めるにはオーストリアンである必要はないと思いますし、新古典派経済学打倒がまず必要なことであるとは思えません。あなたがどんな経済学の支持者であろうと、子育て支援(と称するもの)のために無関係な健康保険料を引き上げるとか、書店を守るためにアマゾンを規制するとかいった政策が経済成長を阻害し既得権を守るだけのおかしな政策であることはわかるでしょう。小さな相違にこだわらず協力して小さな政府を目指す方が実り多いと思います*19

*1:自由主義研究所は、XnoteYoutubeもされていますのでご関心のある方はそちらも是非ご参照ください。このような演説の翻訳活動は大変有益なものと思います。是非ご支援いただければ幸いです。

*2:中絶するかどうかを決めるのは政府ではなく個人です。中絶禁止は政府による個人の選択への介入であり、全くリバタリアン的ではないでしょう。経済学的研究も中絶禁止が効果が乏しいばかりか、犯罪発生率の上昇を招き、女性の地位向上を阻害することを指摘しているものが殆どです。

*3:この点を指摘した論説として以下は大変有益です。Javier Milei: An Illiberal Libertarian? - by David Agren (theunpopulist.net)  Is Javier Milei Making Argentina Great Again? (reason.com)

*4:新古典派については非常な誤解があるのですが、この辺りは長くなるので、簡単な説明は拙著の第7講「新古典派経済学とは何か」などをご覧いただければ幸いです。

*5:これはオーストリア学派の無政府資本主義者マレー・ロスバードなどの系譜をひく考え方です。通常、経済学説史で言う「新古典派経済学」は限界革命以降の主流派経済学を指しているので、新古典派にはオーストリア学派も含まれています。しかし、現代のオーストリア学派は主流派と対立するスタンスをとり、「オーストリア学派新古典派経済学ではない」と主張している場合があります。ミレイ氏もそういう立場です。

*6:市場の失敗としては、大体次の4つを挙げるのが一般的でしょう。

①不完全競争:規模の経済等の理由から市場が競争的でなくなる(独占等)。
②外部性:取引の影響が対価を支払ったり受けとったりしていない誰かに及ぶ。
③公共財:非競合性・非排除性を持つ財(公共財)の供給は過小になる。
④情報の非対称性:市場参加者の間で持っている情報に偏りがある。

*7:ここでいう効率性というのは、ミレイ氏が演説で述べているパレート最適の状態です。「誰も損をせずに誰が得をすることができる」ならば、そのような機会は効率的な市場ではすべて利用されるでしょう。ですから、完全な市場ではパレート改善の機会がない状態=パレート最適の状態に達するはずです。

*8:ミレイ氏は、「これらの難しそうな定義はすべて、国家介入を可能にし、国家主義者や社会主義者の前進を可能にする要素」だと主張していますが、これはCPACだから許される単純化です。

*9:より厳密には新古典派の一部であるシカゴ学派的にはというべきですが、これは現代では主流派と言ってよいですし、敢えてこういう言い方をします。

*10:ミレイ氏は市場の失敗の中から独占の例を集中的に取り上げています。ミレイ氏は、革新的な製品を提供することで自発的に消費者に選ばれた企業であれば、独占はむしろ望ましいものであり、新古典派的な競争市場の描写は間違っていると主張しています。しかし、ミレイ氏は独占の存在を市場の失敗ではないと正当化しようとするあまり、行き過ぎに陥っているように思われます。ミレイ氏の口ぶりでは、あたかも新古典派経済学者は独占をすべて潰して完全競争市場に近づけようとしているかのようですが、ミレイ氏の「新古典派」の描写はあまりに戯画的で現実離れしています。多くの主流派経済学者は技術革新の結果生まれる一時的な独占や潜在的競争圧力がある「コンテスタブルな」市場での独占は問題にならないと考えますし、闇雲な独禁法運用には慎重です。ミレイ氏が論破しようとしているような種類の新古典派経済学者を私は一人として知りません。

ミレイ氏は現実の経済では、収穫逓増がかなり普遍的に成り立つので新古典派モデルは成り立たないと主張しているように思われますが、これは急進的な自由放任主義の支持者としてはいささか奇妙な主張です。確かにそうした経済では独占は一般的ですが、一般に収穫逓増のケースでは市場の失敗が起き、政府の公共財への支出とか保護貿易とか様々な介入主義が有効な場合が理論上あるという結論になるのが普通です。

規模に関して収穫逓増というのは、生産に使う全ての生産要素をX倍にしたときに、産出量がX倍以上に増えるような状況を指します。規模に関して収穫逓増の状況では生産物を作れば作るほど効率が良くなって追加的にかかる費用が下がっていくので、生産量が多い企業が他の企業より安く生産できるようになり、やがて一社の独占になります。このような独占を自然独占と言います。収穫逓増がどの市場でも一般的なら、世界はとっくの昔に独占企業に完全に支配されているでしょう。また、政府が国際競争で自国企業の生産量を増やすような介入をして、世界市場を独占する企業を作り出すとか様々な怪しげな産業政策がもっと成功していていいはずです。現実の独占の規模と産業政策の悲惨な実績から判定すれば、規模の経済は限定的だと考えられます。現実の経済には収穫逓増の産業もあるのは確かですが、それが一般的かというとかなり疑問です。

ミレイ氏の言うように、もし経済全体について収穫逓増が成り立てば、経済全体が1社の独占になるはずです。現実の経済がそうなっていないのは、数学的モデルが間違いだとかそういう話ではなく、現実には、大きすぎる企業は非効率になっていきますから、企業は最適な規模以上には拡大できないし収穫逓増には限界があるということでしょう。そう考えるのが常識的だと思いますし、新古典派はこの点で正しいと考えます。

ミレイ氏は、産業革命以降の経済成長が急激なものだった理由を収穫逓増の法則の結果だと主張し、貧困の減少は「集中構造の存在、すなわち独占の存在」によって可能になったと述べています。「これほど多くの福祉をもたらし、貧困を削減したのであれば、なぜ新古典派理論は独占を悪だと言うのでしょうか?」というのですが、文脈が不明瞭とはいえ、経済全体の収穫逓増と個々の企業の収穫逓増は別の問題ですし、これらを一緒にするのはおかしいはずです。例えば、Romer(1986) のモデル等は良い例ですが、過去に優れたアイデアが生み出されると、その後さらに優れたアイデアが生まれやすいとしましょう。これは経済全体について収穫逓増が成り立つということです。しかし、個々の企業は自社の生み出したアイデアをずっと独占できず、やがて経済全体にアイデアが広がって活用されていくのを阻止できないとします。このようなケースでは、経済全体では規模に関して収穫逓増(経済全体のアイデアのストックが増えれば増えるほどアイデアが生まれやすく経済成長する)でも、個々の企業では収穫逓増は成り立ちません。内生的成長理論ではこういう議論をずっとしていますが(確かにこれは新古典派成長理論と対立すると言おうと思えば言えますが)、これは主流派経済学(「新古典派経済学」と大雑把に言われるもの)に取り入れられて久しい考え方です。

ミレイ氏の主張は、新古典派経済学に照らせば単純化し過ぎのところが少なくありません。例えば、「独占企業に対するもうひとつの批判は、独占企業は経済における生産量を少なくするというものです。しかし、これも誤りです。独占企業が稼いだお金は、明らかに消費に使われ、経済の他の場所で生産と雇用を生み出すことができるからです」と述べていますが、新古典派的枠組みで考えるとこれは明確な誤りです。独占企業は生産量を減らし価格を釣り上げますから生産が過少です。独占の損失は、独占者が価格を釣り上げることで、実現しなかった取引の利益(経済学の専門用語では「死荷重」)になります。ですから、たとえ独占企業が独占利潤をどう使おうが独占の損失は変わりません。余剰分析では、独占者の利潤も余剰の一部と考えるので独占企業が独占利潤をどう処分しても、分配上の違いを除けば余剰の大きさは変わりません。

また、ケインズ経済学批判を独占に絡めてするのはあまり適切とは言えないと思います。ミレイ氏は、独占企業が貨幣を退蔵してデフレを起こせば「経済におけるお金の量は減り、物価は下がり、国民全体が恩恵を受けます。しかも、デフレの恩恵を受けるのは最も所得の低い人々です」というのですが、この主張の裏付けになるような研究を見たことがありません。借金をしている貧しい人はデフレ期には債務負担が重くなりますし、デフレ期には失業者が増えるのが普通です。デフレが低所得者に恩恵をもたらすという説は大恐慌期の日本の身売りの急増、1998-2012年のデフレ期の日本の自殺率等を考えてみれば現実味がないでしょう。オーストリア学派はこういった出来事はデフレのせいではなく、偶々その時期に介入主義が実施されたせいだというのですが、それは無理があると思います。主流派経済学はマイルドなインフレを支持しています。このほか細かいテクニカルな論点についてはいちいち書きませんが、かなり異論がある点が少なくありません。CPAC演説に学術論文のような批判をすべきではないと言われればそれまでですが、やはり、これで新古典派経済学を論破したとは到底言えないでしょう。

*11:このような誰かが消費したからと言ってほかの誰かが消費できる分が減らないような財の性質を非競合性と言います。通常の財は非競合性を持ちません。リンゴを私が食べたなら、他の誰かが私が食べたのと同じリンゴを食べることはできません。

*12:対価を払わずに財を消費する人を排除することが不可能な性質を非排除性と言います。

*13:例えば政府が外国を侵略したり国民を大量に死なせたりするケースがありますから、政府が供給しても国防の供給が効率的に行われない場合があるのは明らかです。公共財を政府が供給するといっても白紙委任状を与えていいという意味ではなく、政府に説明責任を課し、その供給をなるべく効率的にするための努力が必要なのは当然です。

*14:なお、私は警察に関しては軍隊とは違い、そのサービスの殆どは経済学上の公共財ではなく民営化して競争させるべきであると考えております。確かに地域全体の安全の問題は地域公共財的性質を持ちますが、それは地方自治体が地域の安全について会社と契約すれば済む話です。警察が政府機関で特権的地位を持っていることは冤罪が起きやすい状況を生みますし、警察サービス会社同士の競争が有益でないと考えるような理由は何もありません。サンタクララ大学のデイヴィッド・フリードマン名誉教授は警察民営化の議論をしています。幸い、日本語で読める素晴らしい本がありますので関心ある方はご覧ください(これは抄訳ですが、全文も英語ですがネット上から読めます)。私はかなり昔から警察民営化を支持していますが、こういう話は特に専門でもないのでいちいち書かないだけです。

*15:煙を排出する権利が工場にあっても、清浄な空気を使う権利が住民にあっても、取引費用ゼロなどのいくつかの条件の下では、交渉で達成される最適な結果は同じになります。これをコースの定理と言います。

*16:この場合、工場に課税して汚染物質排出の被害分のコストを支払わせることができれば、経済厚生は改善しうるといえます。あるいは排出権の市場を創設するのも一案です。ただ、外部不経済の大きさを把握したり適切な調査をしたりする政府の能力には疑問符が付きますし、場合によっては政府の失敗の方が大きい可能性があります。その場合は不完全でも市場に任せる方がよいと言えます。二つの不完全な選択肢のうち、その方がましだからです。無論、これは市場か政府かの二者択一ではなく、○○の部分には政府が介入するが、それ以外は市場に任せるなどさまざまなバリエーションがありえます。

*17:これは今回は詳しく説明しませんが、情報の非対称性の例です。

*18:サンタクララ大学のデイヴィッド・フリードマン名誉教授は20世紀を代表する偉大な経済学者ミルトン・フリードマンの息子で自身も著名なリバタリアンの経済学者ですが、主流派経済学(新古典派経済学)に対する一部のオーストリア学派の執拗な攻撃についてやや皮肉な調子で次のように述べたことがあります。「私はリバタリアニズムにおける“オーストリア学派”ビジネスは、概して製品差別化の問題だと考えている。新古典派の伝統の異なる分派からその思想を得た人たちの間では、強調する点が異なっている。しかし、その違いが本質の違いになるのは、彼らが自分自身の立場(オーストリア学派)の極端な見方をするか、もう一方の立場(主流派)について極端な見方をするかのどちらか、あるいは両方をとった場合だけである。オーストリア学派の極端な見方は擁護可能なものだとは思わないし、主流派の極端な見方は(現実の主流派の描写として)正しいとは思わない」(デイヴィッド・フリードマンのブログ,2013年11月10日)。これは辛らつかもしれませんが、妥当な指摘ではないでしょうか。今でこそオーストリア学派の経済学者の多くが新古典派、主流派を目の敵にしていますが、元々、オーストリア学派新古典派の一部であり、そもそも主流派の一部と認識されていました。新古典派との強烈なブランドの差別化がなされたのはオーストリア学派の経済学者のリーダー的存在であるミーゼスやハイエクが1940-1950年代に米国に移ってからのことで、そうした路線を過激に進めたのはミーゼスの弟子のロスバードのようなオーストリア学派の経済学者の一部だけです。

*19:オーストリア学派と主流派の間には金融政策をめぐる見解の相違もありますが、日本の現状ではこれは現在優先順位が高い課題だとは思えません。なお、CPAC演説でミレイ氏はデフレの価値を称賛していますが、アルゼンチンの最近の金融政策を見ると、ドル化という公約はどこかへ行ってしまい、強い言葉とは裏腹に大インフレを助長しかねない金融緩和への逆戻りが起きつつあるように見えます。アルゼンチンの現状からは当面引き締め的な金融政策が妥当なはずです。今の動きが一時的であればよいのですが。

陰謀論者の写真をめぐる空想

4/12追記:大林ミカ氏の背後に中国の朱鎔基元首相の写真が飾ってある写真について、4月8日、自然エネルギー財団から発表がありました。

「ネット上で、大林事業局長の背後に中国の朱鎔基首相の写真が飾ってある写真が取り沙汰されていますが、この写真は、日本記者クラブの喫茶室で共同通信により撮影されたものです。喫茶室には、過去に記者クラブで講演した多くの首相たちの写真が飾られています」*1

この写真の撮影者である井田徹治氏は、次のように投稿しています。

「朱鎔基・元首相の写真は、写真を撮影した日本記者クラブで同氏が講演したことを紹介するために同記者クラブが撮影、掲示しているもので大林さんとは一切、関係がありません。この事実に反する誤った情報が流布されているものも目にします。これも早めに削除されることをお勧めします。」*2

これでこの話は決着がついたといえるでしょう。以下の投稿で、私は一部の極右が写真を理由に大林氏を工作員などと攻撃している件について、デマである可能性が高いとしました。

ただし、写真については不鮮明で朱鎔基氏のものではない可能性があると主張しましたが、結果的にこれは誤りでした。読者の皆さんにお詫びします。写真の一致率の判定は不鮮明な写真ではなかなかうまくいかないものですからこの点をもう少し強調すべきでした。とはいえ、仮に写真が本物だったとしても、極右の主張は誤りである可能性が高いと注記し、次のように主張しましたが、これは結果的に正確だったと言えます。

「仮に問題の写真が朱鎔基の写真だとしても(ありそうにありませんが)、いくらでも可能性が考えられますし、大林氏が朱鎔基を崇拝しているとかまして中国の工作員であるとかいった結論は出てこないでしょう。例えば、事務所を訪問したことがある何人もいる人物の一人かもしれません。そもそもこの写真の撮影場所は不明ですから、偶々、新聞社の取材で出向いた先の場所に写真があっただけということだってあり得ます。朱鎔基元首相の写真が写っていたから(繰り返しますが、そうだと断言できる根拠はありません)、だから中国の工作員とか言うのは荒唐無稽です。」

一応、記録のため、この記事は削除せず残しておきます。デマに飛びつかないように、という本稿の趣旨は変わりません。以下、本文になります。

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内閣府タスクフォースの大林ミカ氏の提出資料に中国の国営企業のロゴが含まれていた問題ですが、ネットでは真偽不明の陰謀論が飛び交っています。安全保障は言うまでもなく大切ですし、今回の不祥事の原因究明や再発防止は重要ですが、だからといって真面目な話題に無意味な陰謀論や誹謗中傷を混ぜてはいけません。特に人気がある陰謀論の一つが「大林氏の写真の背後に朱鎔基の写真が写っている」という主張です。

大林氏の写真の背後の額に飾ってある写真は小さく、極めて不鮮明ですが、他人の空似ではなく間違いなく「朱鎔基だ」と断言できる皆さんは、よほど目が良いのでしょう*3。ですが、常人の目をもって見れば、写真は不鮮明すぎて何とも判断できないと考えるのが普通ではないのでしょうか。この写真が大林氏が中国のスパイである決定的証拠だと思っておられる方が多いようですが、もう少し冷静に考えていただきたいものです*4

朱鎔基元首相は2003年には政界を引退していますし、現在は大変な高齢(95歳)で政治的に影響力のある人物でもありません(習近平国家主席の3期続投に反対したとする報道*5もあります)。大林氏と接点があるということはありそうにないと思います(仮にあったからどうということも言えそうにありません)。

百歩譲って、仮に問題の写真が朱鎔基の写真だとしても(ありそうにありませんが)、いくらでも可能性が考えられますし、大林氏が朱鎔基を崇拝しているとかまして中国の工作員であるとかいった結論は出てこないでしょう。例えば、事務所を訪問したことがある何人もいる人物の一人かもしれません。そもそもこの写真の撮影場所は不明ですから、偶々、新聞社の取材で出向いた先の場所に写真があっただけということだってあり得ます。朱鎔基元首相の写真が写っていたから(繰り返しますが、そうだと断言できる根拠はありません)、だから中国の工作員とか言うのは荒唐無稽です。

十分な証拠がないことを想像や願望で断定するのは恥ずかしいことですし、ましてそんな不確かな憶測に基づいて他人を誹謗中傷するのはさらに恥ずかしいことです。わからないことは「わからない」と率直に言い、安易に人を罵倒しないようにしたいものです。

まあ、こんな判断をするには多少の常識があれば十分だと思いますが、一応、簡単ですが、この写真が朱鎔基元首相ではない可能性が高いことを示すエビデンスを示しておきましょう。ネットで話題にされている、後ろに朱鎔基元首相の写真が写っているとされている大林ミカ氏の写真は、中部経済新聞に掲載されているインタビュー記事の写真です *6。この写真から、朱鎔基元首相と主張されている男性の写真の部分を切り取ったものと、実際の朱鎔基元首相の写真を写真の一致率判定サイトで比較してみました。具体的に使用した朱鎔基元首相の写真は、日本記者クラブでの会見の際の朱鎔基元首相の写真2枚*7と、大林ミカ氏の後ろに飾られている写真とそっくりだとして、ネット上で出回っている朱鎔基元首相の写真*8の合計3枚の写真です。

比較のために使用したサイトは、以下の2つのサイトです。これはgoogleで「写真、一致率」で単純に検索したところ上位に出てきたサイトです。

Face Similar スペース・アイ株式会社 (space-i.com)

顔の比較・顔写真の類似度判定 - 無料ツールサイト (doratool.com)

上記の2つのサイトで、男性の写真と朱鎔基元首相の3枚の写真と比較し、同一人物と判定できるかどうかを確認しました。サイトの判定能力の精度を確認するため、朱鎔基元首相の写真1~3同士も比較しました。また、朱鎔基元首相と別人の初老男性の写真(風評被害になりかねないのでここで特に誰の写真を使ったかは示しません)を別人と判定できるかどうかも確認しました。結果は以下の通りです。

 

例の写真と朱鎔基元首相の写真との類似度

①日本記者クラブの写真1

②日本記者クラブの写真2

③ネット陰謀論の写真

①Face Similar

E(似ていない)

D(あまり似ていない)

E(似ていない)

②顔の比較・顔写真の類似度判定

同じ人ではない(71%)

同じ人ではない(74%)

同じ人ではない(73%)

「Face Similar」はA~Eで類似度を評価しています。大林氏の写真に写る朱鎔基元首相だとされる男性の写真と、実際の朱鎔基元首相の写真の類似度はD(あまり似ていない)~E(似ていない)になりました。なお、1~3の朱鎔基元首相の写真同士の類似度は全てA(すごく似ている)の評価となりました。無関係な年配男性の写真と朱鎔基元首相の写真の類似度はEと評価されました。なお、大林氏の写真に写る男性の写真は不鮮明だからか、なかなか顔写真と認識してもらえませんでした。正直、信頼度の高い結果とは言えないかもしれません。

一方、「顔の比較・顔写真の類似度判定」では「2つの写真は同じ人」、「2つの写真は同じ人ではない」の2段階の評価に加え、顔の類似度を0~100で評価しています。表では()内に顔の類似度を書いています。「顔の比較・顔写真の類似度判定」では、問題の男性の写真と朱鎔基元首相の写真の類似度は、全て「同じ人ではない」(顔の類似度71~74%)という判定になりました。1~3の朱鎔基元首相の写真同士の類似度は全て「同じ人」(類似度94~96%)と判定されました。無関係な年配男性と朱鎔基元首相の写真の類似度は同じ人ではない(30~37%)と判定されました。こちらのサイトでは例の男性の写真の画像はすんなり認識してもらえました。おそらくより信頼度の高い結果と言えるのではないかと思います。分析結果から、問題の写真は、確かに他の関係ない男性の顔と比較すれば多少似通った顔の男性ですが実際は別人といえそうです。

無論、私は経済学者で、この分野は全くの素人ですから、間違っている可能性もあります。今ちょうど新年度で時間もないので、これは非常に簡易的な比較であることをお断りしておきます。新しい証拠やご意見があれば、ここで示した判断はいつでも撤回する用意がありますし、おそらく、もっとましな比較方法があるでしょう。別に絶対に正しいと言い張る気はありません。ですが、少なくとも、何の根拠もなく不鮮明な写真を「朱鎔基です。この顔は絶対間違いありません!」などと印象で断言するよりは私のやり方の方がよほどましでしょう。私の検証は簡単なものですけれども、少なくとも、朱鎔基だと断言する根拠は乏しいと判断する客観的根拠です。「大林氏の写真に中国の朱鎔基元首相の写真が写っている」はデマである可能性が極めて高いと思います。

どういうわけか、中国国営企業河野太郎氏、再エネといったワードが並ぶと、とても興奮して冷静な判断ができなくなってしまう方々がいるようです。私は再エネ政策には批判的ですし権威主義国の脅威に備えることにも賛成ですが、自分が何を話しているかわからないのに、「ああかもしれない、こうかもしれない」などと想像をたくましくしている方々にはとてもついていけません。不確かな根拠で誹謗中傷をやってしまうのは許されないことです*9

 

*この論説は、素晴らしい視力をお持ちの陰謀論者の皆様は別に読む必要はありませんが、普通の方向けに書かれています。ご了承ください。

*1:自然エネルギー財団と中国国家電網の関係について | お知らせ | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

*2:井田徹治氏のX投稿

*3:最近どうもこういうニュースが多くて困惑しますが、先入観なしに見ると普通は見えないものが見えてしまったり、どう考えても常人には聞こえない「日本人死ね」という音声がはっきり聞こえてしまったりするのはちょっと危ないですね…

*4:大体、朱鎔基元首相がどんな人物か、たぶんポストされている方々の大半は知らないでしょうし、そもそも先日までその名前すら知らなかった人の方が多いのではないでしょうか。

*5:習近平氏の3期目続投、朱鎔基元首相が「反対の意向」か…国有企業優先の政策を疑問視 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

*6:SDGsを問う 地球沸騰時代の未来は|中部経済新聞 愛知・岐阜・三重・静岡の経済情報 (chukei-news.co.jp)

*7:朱鎔基・中国首相 | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)

*8:大林ミカ氏の後ろに飾られている人物写真は、中国の朱鎔基という政治家であ... - Yahoo!知恵袋のグローバルを名乗る人が掲載している写真(投稿時間2024/3/30 12:50)、画像リンクhttps://chie-pctr.c.yimg.jp/dk/iwiz-chie/ans-686229989?w=999&h=999&up=0 元は日本記者クラブの写真と同一かもしれません。

*9:こんなことを言うと「柿埜は必死に中国の手先の大林ミカを擁護している。中国の工作員確定w」とかいうご意見が出てきそうです。まあ、陰謀論を心の支えにしている方はいつまでも空想の世界にいたらよいでしょう。ですが、私は安全保障の問題はフィクションでも娯楽でもないと思っていますし、再エネ政策や安全保障は雑な陰謀論で議論するには重大すぎる問題だと思っています。

極右陰謀論お断り

内閣府の再エネタスクフォースの大林ミカ氏の資料に中国の国営企業である中国国家電網のロゴが見つかった問題が白熱した議論を呼んでいます。私自身、再エネ政策には批判的で、市場を歪める再エネ買取制度は廃止すべきというのは常々言ってきたところですから再エネ政策の見直しの機運が高まるのは結構なことですが、根拠薄弱な陰謀論や誹謗中傷には反対です。

大林氏を中国の「工作員」であるなどと罵っている方がいますが、このような重大な非難にはそれ相応の証拠が必要です*1。こんな当たり前のことを言う必要があるとは思えませんが、中国企業と関係があるとか交流がある人は「工作員」とイコールではありませんし、親中派なら工作員というのも論外です*2中国企業の資料を使用⇒中国政府とつながっている⇒中国の工作員というのは論理的に飛躍し過ぎで滅茶苦茶です*3。中国の軍事的脅威に注意を払うのは当然ですが、雑な陰謀論はやめた方がよいでしょう。

ここで挙げられている地方公務員を名乗る人物のXのポストは、現在、アカウントごと削除されています。ネット上で誰ともわからない地方公務員を名乗る人物が入手したと称する情報を鵜呑みにしてはいけません。この問題のアカウントは匿名ですし、なんでも外国人のせいにする典型的な排外主義者の言説を書いているだけに見えます。常識的に言って、その主張の信憑性は極めて低いでしょう。もし仮に事実なら、この人物は公務員という自分の地位を利用して勝手に個人情報を調べて公開したわけですから法に則って処罰されるべきなのは当然です*4

仮に大林氏が外国籍だとして(そう信じる理由は怪しい自称公務員の投稿の他には何もありませんが)、政府の有識者会議に外国籍の方が提言してはいけないという規則はありませんし、過去にも例があります。場合によっては、外国企業や外国人の意見を聞く必要がある場合もあります。国籍それ自体は別に何ら問題ではありません。それに、仮に国籍が不明であるとして(繰り返しになりますが、これは怪情報をもとにした勝手な憶測で根拠薄弱です)、彼女が中国国籍だと主張する根拠がどこにあるでしょうか*5。不確かな根拠で大林氏の名前が通名や偽名かもしれないなどと騒ぐのは、排外主義の極右団体とやっていることが何も変わらないでしょう。

大林氏が高卒かもしれない点を盛んに攻撃する方々がいますが*6、高卒と断定する根拠は明確ではありません。自然エネルギー財団の大林氏の経歴には大学名が記されていませんが、略歴の書き方はかなり自由で、人によって違っています。大学名が記載されていないスタッフは他にもいます*7。大林氏のインタビュー記事*8等にも大学に言及がないのは事実ですが、インタビューは履歴書ではありません。「大学に言及がない」から「大学を出ていない」と断定するのは話が飛躍しています。大卒でない可能性はもちろんあると思いますが、高卒だと断定する根拠はないでしょう。

それに、そもそも高卒だとしたらだからどうだというのでしょうか。高卒だと政府に意見を言う資格はないんでしょうか?略歴によると、大林氏は2017年に国際太陽エネルギー学会(ISES)*9よりグローバル・リーダーシップ賞を受賞を受賞しています。大林氏には(それが実際どの程度の実績かは別にしても形式上は)海外での活躍を含むそれらしい職歴があり、英文の講演論説もあります。少なくとも、大林氏が何の業績もない人物だというのは誇張でしょう*10。他人を批判する際に議論の中身でなく学歴や権威を持ち出す方は、見ていてうんざりします。こういった攻撃の仕方は外国籍の方や高卒の方に対する差別を煽るものであり不必要かつ極めて有害です。

なお、大林氏の写真*11に中国の朱鎔基元首相の写真が写っているという情報も流れていますが*12、これは荒唐無稽なデマでしょう。実際に問題の写真をご覧いただければすぐわかりますが、大林氏の写真に写りこんでいる男性の写真は小さく不鮮明で、誰の顔か判定しようがありません。朱鎔基の顔だと自信満々に断言されている方々は一体何を根拠にされているのか不思議でなりません。これはまさに根も葉もないネットの陰謀論の典型ではないでしょうか。

残念なことに、言論サイト「アゴラ」の編集部は、大林氏についてネットの怪情報を真に受けて「なぜか事務所には中国の朱鎔基元首相の額が」ある*13と報じ、以下のような匿名のポストを肯定的に引用しています。

一般には、そういう定義はしません。アゴラのこの記事の主張は陰謀論極右の言説そのもので、真面目な言論サイトの掲載すべき主張とは思えません。アゴラは優れた論説も多いサイトなのに、極めて残念です*14

もちろん、こう書くからと言って、大林氏や再エネタスクフォースに全く問題がないと言いたいわけではありません。陰謀論に与せずに再エネタスクフォースの位置づけの曖昧さや大林氏の選任プロセスについて妥当な批判をされている方はいらっしゃいます。今回の騒動があろうとなかろうと、有識者会議の人選や再生エネルギー政策を見直すのは妥当だと思いますが、荒唐無稽な陰謀論に流されないようにする必要がありますし、差別的主張には断固反対すべきです。

繰り返しになりますが、私は温暖化対策で再エネ推進に巨額の経費をかけることは資源の浪費と考えますし、電力供給を不安定にする再エネ買取制度は終了すべきだと強く主張しています。大林氏の主張に全く共感するところはありません。ですが、出鱈目な陰謀論や誹謗中傷で自分の主張を有利に進めようとするような人たちと一緒になる気は全くありません。他人を「工作員」などという強い言葉で非難をするならそれ相応の動かぬ証拠が必要です。お手軽なネット検索で”状況証拠”*15を集め、”真実”を知った気になって他人を中傷するのは論外です。

 

4/12追記:大林ミカ氏の背後に中国の朱鎔基元首相の写真が飾ってある写真について、4月8日、自然エネルギー財団から次のような発表がありました。

「ネット上で、大林事業局長の背後に中国の朱鎔基首相の写真が飾ってある写真が取り沙汰されていますが、この写真は、日本記者クラブの喫茶室で共同通信により撮影されたものです。喫茶室には、過去に記者クラブで講演した多くの首相たちの写真が飾られています」*16

この写真の撮影者である井田徹治氏は、次のように投稿しています。

「朱鎔基・元首相の写真は、写真を撮影した日本記者クラブで同氏が講演したことを紹介するために同記者クラブが撮影、掲示しているもので大林さんとは一切、関係がありません。この事実に反する誤った情報が流布されているものも目にします。これも早めに削除されることをお勧めします。」*17

これでこの話は決着がついたといえるでしょう。この投稿で、私は一部の極右が写真を理由に大林氏を工作員などと攻撃している件について、デマである可能性が高いとしました。ただし、写真については不鮮明で朱鎔基氏のものではない可能性があると主張しましたが、結果的にこれは誤りでした。読者の皆さんにお詫びします。一応、記録のため、この記事は削除せず残しておきます。デマに飛びつかないように、という本稿の趣旨は変わりません。

また、自然エネルギー財団は、大林氏の国籍については次のように述べています。

「大林事業局長に関し、SNSの一部で全く事実と異なる情報が流されていますので、以下に履歴を明記しておきます(主な内容は財団のスタッフ紹介ページに記載されており、また国には証明書含め提出し 既に説明済みです)。同氏は、大分県中津市生まれの日本人であり、国籍も日本です。「大林ミカ」は本名(戸籍名)であり、カタカナ表記の「ミカ」も本名です」*18

池田信夫氏をはじめ、こうした記事や投稿を速やかに訂正される気がない方々は当然ですが訴訟を受けて立つ覚悟があるのでしょうね。

*1:評論家の池田信夫氏は、なぜ自然エネ財団の大林ミカ氏は中国の国家電網の資料を使ったのか | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)という論説で、ロゴが入った理由を、1「自然エネ財団に中国の工作員が入り込んでいる」、2「大林氏自身が工作員である」、3「国家電網が自然エネ財団の資料を作成した」の3つの可能性があるとしています。何の根拠も示さずに1や2を疑うのはあまりに乱暴です。加えて、以下のような発言をしていれば、名誉棄損と言われても仕方ないでしょう。大林氏は「河野太郎の権力と孫正義の金をバックに、霞が関で暴れまくった反社オバハン」、「自然エネ財団の情報は国家電網の孫引きで、大林ミカは昔から中国共産党の手先」「大林ミカは無学だが、活動家としての馬力はすごい。あらゆる政府の有識者会議に(呼ばれてもいないのに)顔を出し、でたらめな知識を吹いて回る。批判すると訴訟を起こす」等等。「原発停止で日本の国力を弱め、再エネFITで中国製の太陽光パネルが7割を占め、電力自由化で中国資本の新電力が大量に参入。 今後は大陸と「連系線」で結んで、日本を中国共産党の支配下に置く。大林ミカの行動は、工作員としては一貫している。」 などと推測に推測を重ねた主張は、ただの誹謗中傷です。これでは確かに訴えられても仕方ないでしょう。

*2:夕刊フジに、アジアインフラ投資銀行(AIIB)のサイトに、過去に大林氏が北朝鮮について好意的ととれる発言しているという記事が出ましたが、これだけの根拠で「工作員濃厚か・なぜか北朝鮮 大林ミカ氏の中国AIIBサイトでの発言発掘」などという結論に飛躍してはいけません。AIIBが発言を正確に伝えているかもよくわかりません。確かに、他の言動から言っても、大林氏は権威主義国に過度に融和的に見えます。それはもちろん非難に値すると思いますし有識者としての資格を疑問視するのは理解できます。ですが、スパイでもなく工作員でもない人にもそういう人はいくらでもいます。根拠もなく「工作員濃厚」などと結論するのはナンセンスです。

*3:なお、言う必要がない話だと思いますが、もちろん、権威主義国の政府と深い関係にあるような人物には安全保障上の重要情報にアクセスできないようにすべきといった議論は正当ですし、現行の再エネ政策が日本の利益になっているかという議論は、まともな議論です。しかし、それと雑な陰謀論を混同するべきでないと言っています。

*4:ついでですが、大分県には中津市という町があります。「矛盾した情報」等と適当なことを書く前に調べるのが常識ではないでしょうか。池田氏はこれだけ強い非難をしておいて、その後、他の方から大分県中津市が存在するので矛盾はないと指摘された後も、謝罪もせず、このXのポストを削除もせずに放置しています。間違いだと知りながらポストを放置しているのは一体どういうつもりでしょうか。自分のプライドの方が事実や他人の人権よりも重要ですか。これでは訴えられて当然です。取材能力もネットリテラシーも皆無としか言いようがありません。

*5:自然エネルギー財団に中国系の研究者がいるかなどといった魔女狩りも大概にすべきです。「【速報】自然エネルギー財団、内部に研究員として中国人がいることが判明wwww スパイ工作員機関ですやん🧐 」などと書いているポストには2.1万も「いいね」がついていますが、こんな感情論に流されてはいけません。罪のない一般の中国の方を何の根拠もなく中国政府と同一視したりスパイ呼ばわりするのは非常に深刻な人権侵害です。そもそも中国人の研究者や中国と接点のある研究者を雇うと「中国の工作員」だというなら、まともな中国の研究など絶対にできませんし、普通の学術研究にも支障が出るでしょう。再生エネルギーについていえば、中国は太陽光パネルなどの生産拠点ですから、研究者も多いですし、学術的な交流があるのも普通です。研究者はたくさんの方とかかわっていますから、中国の研究者と接点や交流が一切ないという方が珍しいでしょう。中国にかかわった人間がいる組織はすべて排除するというような非理性的で差別的な政策をとる国は中国について何も知ることができず、当然ながら中国の軍事的脅威に備えることもできないでしょう。池田氏は「大林ミカ経由で、内閣府の国家機密が中国に漏洩していた疑いもある。任意のヒアリングじゃなくて、検察が強制捜査したほうがいいと思う」などと書いておられますが、こういう重大な非難は根拠を示さず思いつきで言うべきではないでしょう。何が「国家機密」なのか定義せず、中国に関係する人物がその情報にアクセスされてはどのくらいまずいのかも明確にしないまま、単に中国と接点があるかもしれない人間が政策にかかわるのは問題だとヒステリックに叫ぶのは無意味ですし、ただの名誉棄損です。安全保障問題というのは差別を煽ることではないはずです。

*6:例えばこの投稿は高卒で語学学校に行った人はみな詐欺師と言わんばかりの差別的投稿ですが、かなり読まれているようです。

*7:スタッフ一覧 | 財団紹介 | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

*8:「環境、エネルギー・原子力」女性リーダー像 (5) NPO法人環境エネルギー政策研究所副所長 大林 ミカ氏に聞く 文学少女から「反原発」への軌跡 今は持続可能な社会実現へ (jaif.or.jp)

*9:この学会は確かに国際的な学会ですし古くからあります。

*10:別に大林氏を擁護する気はありませんが、一般に、有識者会議の人選はいい加減なものです。専門家でも何でもない人気のあるタレントや元スポーツ選手が委員に選ばれることは日常茶飯事ですし、大林氏が異例の選ばれ方をしているわけではありません。学者が選ばれる場合であっても、専門が異なる畑違いの人が選ばれているケースがままあります。私はこういう選び方をすべきではないと思いますが、問題にするなら有識者会議全てを問題にしなければ公平ではないでしょう。現在活動中の有識者会議等は200以上ありますが (各種本部・会議等の活動情報 | 内閣官房ホームページ (cas.go.jp))、これらの会議が全て必要とは到底考えられませんし、10分の1に整理しても多すぎるくらいでしょう。こうした有識者会議の殆どは議論の結論は有識者を呼ぶ前から方向性が決まっていますし、報告書は多くの場合は官僚が書いています。会議に呼ばれる有識者はお墨付きを与えるための飾りで、有識者会議の影響力はたかが知れています。官僚の都合の良いことを言うイエスマンが複数の審議会の委員を掛け持ちするのも日常茶飯事です。

*11:SDGsを問う 地球沸騰時代の未来は|中部経済新聞 愛知・岐阜・三重・静岡の経済情報 (chukei-news.co.jp)

*12:例えば、大林ミカ氏の後ろに飾られている人物写真は、中国の朱鎔基という政治家であ... - Yahoo!知恵袋

*13:【更新】疑惑の大林ミカさんが再エネTFを辞任 | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)

*14:アゴラの主催者である池田信夫氏はことあるごとに他人にネトウヨとかレッテルを張っておられますけれども、ネット上の匿名の怪情報に飛びつき、中国陰謀論を唱え、通名が、国籍が、工作員が等と根拠なく騒ぎ、他人を誹謗中傷して恥じない人たちは何と呼ぶのが適切でしょうか。

*15:繰り返しになりますが、中国企業と親密とか中国人の研究者がいるとか、中国と”どこか”でつながっているとか中国に好意的だとかそういうのはスパイの証拠では全くありませんし、”状況証拠”にすらもなりません。

*16:自然エネルギー財団と中国国家電網の関係について | お知らせ | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

*17:井田徹治氏のX投稿

*18:自然エネルギー財団と中国国家電網の関係について | お知らせ | 自然エネルギー財団 (renewable-ei.org)

池田先生のコメントへのコメント

評論家の池田信夫先生から以下のようなコメントをいただきましたので、一応お答えさせていただきます。

正直、これには驚きました。池田先生は学界の事情に詳しい権威ある学者なんでしょうけれども、これはとても学識あるコメントとは言えないのではありませんか。私と意見の相違はあると思いますが、こんな言い方はさすがにないでしょう。

少なくとも私は池田先生に対してこんな言葉遣いをしたことはありませんが、どういうおつもりでしょうか。一方的にこうした罵倒をされても困ります。

別に私は大した者ではありませんし無名ですが、一生懸命考えて結論を出しています。私は自分が権威ある学者だとも学会のボスだとも名乗っておりません。至らないところは多々ありますし間違いもあると思いますが、私は人を批判する際にはそれ相応の証拠を挙げ、感情的な発言はしないように心がけております。

池田先生は、私の非伝統的金融政策への評価をずっと批判されていますが*1、欧米の経済学者の間では、量的緩和はデフレに対して効果があるという意見が圧倒的ですし、量的緩和に関する私の意見はごく一般的な意見と同じです。例えば、シカゴ大による欧米の著名経済学者に対する調査では、「日本銀行が異なった金融政策をとっていたならば、長引く日本のデフレは避けることができただろう」という意見には過半数が賛成で、反対なのは僅か3%です*2。ECBの量的緩和がデフレリスクを避ける上で効果的だという意見に反対しているのは2%です*3バーナンキFRB議長の2008-2009年初めの大胆な金融緩和への評価も評価する声が圧倒的です*4。私は別に学界では相手にされないからダメとか相手にされているから正しいとかそんなことを言うつもりは全くありませんが、少なくとも私の意見はさほど変わったものでないのは明らかです。

 先生が私個人についてどんな判断や感情をお持ちでもそれは自由ですが、他人にすぐ「バカ」とかそれに類する言葉を使うのはできればやめていただけませんか。小さな意見の相違に不寛容ですぐに相手を罵倒するような態度は、先生の標榜する自由主義とは相いれないものではないでしょうか。

一度もお会いしたこともない方からどうして一方的にこんな悪口を言われなければならないのか理解できません。先生の書いておられることは主観的ご意見ですから何とも答えようがありませんし、いきなりそういった負の感情をぶつけられても困惑するしかありません。意見の相違は喧嘩でも戦争でもありません。もっと普通に話していただければ幸いです。

*1:池田先生からのコメントには以前何度かお答えさせていただきましたが()、失礼のないように丁寧にお返事してきたつもりです。このようなコメントをいただいたことには驚いております。

*2:Japan's Deflation - Clark Center Forum (kentclarkcenter.org)

*3:ECB Asset Purchases - Clark Center Forum (kentclarkcenter.org)

*4:Chairman Bernanke - Clark Center Forum (kentclarkcenter.org)