柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

『“自由喪失”の危機 に読みたい 自由主義の近現代史』刊行のお知らせ

お知らせが遅くなりましたが、近日中に新著を出しますので、ご紹介させていただきます!

www.amazon.co.jp

テンミニッツアカデミーでの講義をもとにした自由主義の歴史の入門書です。

ロックやアダム・スミスの古典的自由主義から、ベンサム、ジョン・スチュアート・ミルの功利主義、ニューリベラリズムの潮流とそれに対抗するハイエク、フリードマンのリバタリアニズムまでを簡単に解説しています。

トランプ政権の政治と法の支配、アイデンティティ・ポリティックスの問題、2月の衆議院選でのリベラル政党の壊滅をどう考えるか?、新自由主義が失敗したというのは本当か?等の時事的な問題にも触れています。左右のポピュリズムが蔓延し自由民主主義が危機に瀕している現代だからこそ、自由主義の原点に立ち返りたいものです。

ご関心を持った方はぜひ手に取っていただければ幸いです!どうかよろしくお願いいたします!

アメリカ独立250周年に寄せて

今日は、アメリカ独立宣言(一七七六年)から250周年の記念すべき日です。250年前の今日、トマス・ジェファソンの起草になる独立宣言は、イギリスからの独立と自由主義の理想を高らかに謡いあげました*1

「我々は以下の真理を自明のものと認める。すべての人々は平等につくられており、創造主から侵しえない権利を与えられている、それには生命、自由、幸福追求の権利が含まれる。政府とはこれらの権利を守るために人々によって設立されたものであり、その正当な権力は統治される人々の同意に基づいている」。

ところが、現代人はこういった理想主義に素直に感動するよりも、冷めた目で軽蔑するのが賢明なことだと思っているようです。「そうはいっても、当時の米国には奴隷制があったし、ジェファソン自身も奴隷を持っていた、しょせん偽善に過ぎないのだ」などといえば、見識ある意見に聞こえるのでしょう。

なるほど、現代人の目から見れば、当時の自由主義者の態度を偽善だとか不十分だと言うのは簡単なことです。しかし、重要なことは、彼らが人間の平等を主張し、原理的にはすべての人が権利を持つという原則を明言していた点です。仮に独立宣言が「ある一部の人は平等な権利を持つが他の人々は違う」とか「権利は身分や人種、性別によって違う」と述べていたとしたら、それは全く説得力に欠けていたでしょう。

もちろん、初期の自由主義者の多くが当時の社会の偏見と無縁でなかったのは事実で*2、当時のアメリカは奴隷制など多くの問題を抱えていて決して理想通りではなかったのですが、それでも、見逃されてはならないのは、「すべての人は自由だ」という考え方が正しいと宣言したのは決定的な前進だったということです。

実際、ジェファソンはじめアメリカ独立に関わった政治家の大半は将来的には奴隷制の廃止が望ましいと考えていましたし、ジェファソンは独立宣言の最初の草案では、奴隷貿易をはっきり批判する文言を書いていました。奴隷制廃止は独立宣言の理念、自由の理念の帰結であり、むしろ、その自然な発展なのです。

独立宣言の自由主義の原則を認めれば、奴隷解放も女性の権利も自然に出てくる発想です 。ロック的な自由主義に基づくアメリカ独立革命の成功は、その後の世界を劇的に変えていくことになったのです。アメリカは欠点はありながらも自由の国であり、世界は250年前より自由な場所になっていますが、その理由の一部はアメリカ独立宣言の原則が世界に広がったおかげです。アメリカ独立250周年はやはり大いに祝ってよいものでしょう*3

陰謀論的な極右や社会主義を掲げる極左の台頭で今日のアメリカは揺れていますが、建国の理念に今一度立ち戻り、世界の自由の砦としての役割を果たしていってほしいものです。

*1:この宣言を執筆したアメリカの政治トマス・ジェファソン(一七四三~一八二六年)が「生命、自由、財産」を守ることを政府の設立の目的だと唱えたジョン・ロックの哲学を意識していたのは明らかです。独立戦争を支持したトマス・ペイン(一七三七~一八〇九年)は圧政への抵抗は当然で、イギリスからの独立は常識(コモン・センス)と主張したことで有名ですが(もちろん、これは挑戦的なタイトルで当時は全く常識を覆すような主張でした。)、ジェファソンもロック的な自由主義を自明のものだと言い切っています。

*2:とはいえ、そもそも奴隷制廃止を唱えたのは自由主義者です。例えばモンテスキューやアダム・スミスには奴隷制への容赦ない批判が見られます。トマス・ペインはジェファソンの親しい友人でしたが、ジェファソン宛に奴隷制を廃止するよう訴える手紙を書いています。ジェファソン自身も奴隷貿易を規制しようとしたこともありますし、奴隷制に批判的な著作を残していますが、奴隷制廃止に踏み切れなかったのは人間的な弱さでしょう。

しかし、書物というのはしばしば著者自身よりも偉大なものです。著者のスキャンダルを暴き立てて、書物を論破した気になるのは極めて幼稚な姿勢です。ジェファソンの人間的弱さにもかかわらず、彼自身の偏見にもかかわらず、独立宣言の文言は、奴隷制廃止運動の強力な武器になりましたし、今も自由を愛する人を勇気づけてくれるのです。

*3:ちなみに、独立宣言と同じ年、経済学でも一冊の革命的な書物が出版されました。アダム・スミスの『国富論』です。独立宣言より一足早く3月に出版された『国富論』でスミスは植民地の独立を支持しています。

「円の実力」?

経済学は新しい科学ですから、専門家の間でも意見の相違はあります。しかし、単なる意見の違いでは片づけられない文句なしの間違いもあります。

5月24日に「日本円がトルコリラを下回り世界最弱通貨になった」と主張する米ブルッキングス研究所のロビン・ブルックス氏のX(旧ツイッター)の投稿が話題になりました。ブルックス氏は、これは、膨大な政府債務のために日銀が利上げできないことの直接的結果だと主張しています。

ブルックス氏の投稿は大きな反響を呼び、多くの経済評論家から賞賛されました。27日の日経新聞朝刊も早速この投稿を取り上げ、次のような記事を書いています。

日本円、「最弱」トルコに見劣り 購買力の低下に原油高が拍車 - 日本経済新聞

なるほど、日本が極端なインフレに苦しむトルコ以下という話は面白いでしょう。飛びつきたくなるのはよくわかります。日経の記事は、「円、「最弱」トルコに見劣り」「購買力低下止まらず」と危機感を煽る見出しを掲げていました。きっとこういう煽り方をすれば、たくさんの人が読むのでしょう。しかしながら、ブルックス氏の主張は、何学派がどうとか以前の問題で、明確に間違った主張です。

一言でいえば、①実質実効為替レートはそもそも円やトルコリラの価値を表すものではなく、②指数であらわされた比較不可能な数値の絶対水準を比較するのは議論の余地のないナンセンスであり、③ブルックス氏のグラフは恣意的に作図されたものだからです。これらは新古典派とかケインズ派とかなんとか学派とか以前の問題です。順番に見ていきましょう。

①(1)実質実効為替レートは財・サービスの相対価格であり「円の実力」ではない

日経は盛んに実質実効為替レートのことを「円の実力」という妙な呼び方で呼ぶ癖があるのですが、この記事でも実質実効為替レートが円の実力であると説明しています。これは実質実効為替レートとは何か全く理解していないとしかいいようがありません。

実質実効為替レートとは何かですが、これは、名目為替レートと実質為替レートの違い、実効為替レートとは何かを理解する必要があります(少々面倒ですが、わかってしまえば簡単なことですから、お付き合いください)。

名目為替レートというのは、1ドル=○○円といった自国通貨と外貨の交換比率、外貨の値段です。これは私たちに一番なじみのある指標です。

これに対して、実質為替レートというのは、自国の財・サービスの価格と外国の財・サービスの価格を比較したものです。この指標でわかるのは同じ財・サービスを外国と自国で購入した場合どちらが相対的に有利かです。

米国の物価をP*,日本の物価をPであらわし、日米名目為替レートをeであらわす(1ドル=160円ならe=160です)ことにしましょう。実質為替レートというのは、同じ財・サービスを日本で買った場合と米国で買った場合と平均的にどちらが安いかを比較したものです。日本で買った場合の価格はPです。米国で買った場合の価格を日本円に直すとe×P*(為替レート×米国のドル価格)になりますね。もしもPのほうがeP*より低ければ、平均的に米国で買うより日本で買う方が財・サービスは安いということになります。 日米の実質為替レートをεであらわすと、実質為替レートは次の式であらわされます。

ε=eP*/P      (実質為替レートの定義式)

普通はP、P* にはある基準時点を100にした物価指数を使います。これは形式的には名目為替レートに自国と外国の物価の比率をかけたものですが、通貨の価値を表す名目為替レートとは根本的に異なる指標です。実質為替レートは、財・サービスの外国と自国の相対価格を表しています。だから、実質為替レートには、名目為替レートとは異なり、円とかドルとかいった貨幣の単位はそもそもないのです。

ちょっと抽象的ですから、数値例で確認してみましょう。例えば、日米の名目為替レートが1ドル=160円で、米国で10ドルで買える1杯のコーヒーが日本では1000円で買えるとしましょう(単純化のため、コーヒー以外の生産物を考えないことにします)。この場合、米国のコーヒーは日本円に直すと1600円です。

名目為替レート(160円)×コーヒーの米国価格(10ドル)=1600円

日本では同じコーヒーが1000円で買えるのですから、日本の方が相対的に安く買えます。実質為替レートは1600円/1000円=1.6になります。これは米国では財が日本よりも1.6倍高いということをいっているのであって、1.6の単位は円でもドルでもないのは自明でしょう。実質為替レートというのは、このような外国と比較した日本の財の相対的な安さを見る指標なのです。ここではわかりやすいようにコーヒーという具体的な財の価格を例にしましたが、実際には日米の特定の年を基準にした物価指数(例:2020年の生計費を100にして2026年は生計費がどれくらい高いか)を使って計算します。

これで名目と実質の区別ができましたから、次は実効為替レートとは何か説明しましょう(幸いこちらはそう難しくありません)。これまでは円とドルという2つの通貨を問題にしてきましたが、日本の貿易相手国は米国だけではありません。中国とか韓国とかユーロ圏との取引では人民元、ウォン、ユーロが問題になりますね。1つの通貨だけでなく、複数の貿易相手国の為替レートを貿易取引額で加重平均したものを名目実効為替レートといいます。名目実効為替レートは自国通貨の総合的な価値を表しているということができます。これに対して、実質実効為替レートは、自国と外国の財・サービスの相対価格を貿易取引額で加重平均したものです。要するに、日本の実質実効為替レートとは、日本の貿易相手国の財・サービスの価格と比較した日本の財・サービスの相対的な価格を表すものです。貿易相手国の財・サービス一単位と日本の財サービス何単位を交換できるかを表しています。実質実効為替レートは、実質為替レートの加重平均ですから当然ですが、この指標には円とかドルとかいった単位はありません。

日経は実質実効為替レートを「円の実力」と呼びたがりますが、これは控えめに言ってもかなりミスリーディングなのは明らかでしょう。実質実効為替レートは自国と外国の財・サービスの相対価格を表すものであり、円とかトルコリラとかいった通貨の強さや弱さの指標ではそもそもないのです。

①(2):金融政策は中長期的な実質実効為替レートに影響しない

ブルックス氏も日経も過剰な金融緩和が通貨の「実力」の低下の原因だといいたいようです。しかし、金融緩和をすれば実質実効為替レートが自国通貨安になるとは限りません。短期的にはともかく、中長期的には、実質実効為替レートは金融政策と無関係な実物的要因で決まります。金融政策は中長期的には実質実効為替レートに対して中立です。なぜなら、金融緩和は名目為替レートを自国通貨安にしますが、自国の物価を上昇させる効果を持っているからです。両者の効果は相殺されるので、実質実効為替レートは長期的には金融政策によって影響されません。これは、長期的な貨幣の中立性という経済学の常識から導かれる当然の結論です。

日経は「トルコはインフレが続く中でも中央銀行が緩和的な金融政策を取ったことで通貨の信認が低下し通貨安が慢性化した。市場関係者の間で最弱通貨と認識されてきた」と述べていますが、それはトルコリラの名目為替レートの話です。実質実効為替レートの話と混同するべきではありません。

例えば、エルドアン大統領の圧力でトルコ中銀が経済が過熱しているにもかかわらず、さらなる利下げに踏み切ったとしましょう。当然ながら、低金利のトルコリラは売られてトルコリラの名目為替レートは下落するでしょう。短期的にはトルコの物価はすぐ変化しません。だから、実質為替レートε=eP*/P*1はトルコリラ安になります。トルコ製品は相対的に割安になりますから、輸出に有利に働くことになるでしょう*2。もしこれが永久に続けられるなら、金融緩和をするだけで実質輸出をどんどん増やし実質GDPを拡大できることになります。ですが、そんな都合の良い話はありません。金融政策による実質為替レートの下落は一時的です。過度な金融緩和でトルコ経済が過熱すればやがて物価が上昇しますから、トルコの物価P上昇により、名目為替レートeのトルコリラ安は相殺されます。要するに、名目ではトルコリラ安だとしても、トルコの物価が高くなっているので、トルコの輸出は有利にはならないのです。長期的なトルコリラの実質為替レートは金融政策とは無関係です。

事実、トルコ・リラはドルなど他国通貨に対して価値が暴落し続けている通貨ですが、同時に起きている極端なインフレによりトルコ・リラの実質実効為替レートは安定しています。名目実効為替レートでみるとトルコリラは暴落し続けていますが、トルコの物価も大暴騰しているためトルコ製品は相対的に割安とは言えません。2020年を基準にしたBISの名目実効為替レートでは、トルコ・リラは64か国中2番目に下落率の大きい通貨ですが、実質実効為替レートだと、2020年以降25番目に上昇率が高い通貨です。実質実効為替レートでみた場合は「世界最弱」でもなんでもありません。同様に、アルゼンチン・ペソは名目実効為替レートでみると2020年以降最も下落率の大きい通貨ですが、実質実効為替レートでみると2020年以降で世界で一番上昇率の高い通貨になります。

出所:IMF

出所:BIS

出所:BIS

トルコを例にとりましたが、日本の場合も同じです。日銀の金融緩和で円安だというのは名目為替レートについては妥当な指摘ですし、実質為替レートについても短期的にはそうに違いないですが、中長期的には実質実効為替レートの下落は日銀の金融政策とは無関係です。1990年代半ば以降、現在まで長期的に続いている趨勢的な実質実効為替レートの下落傾向を金融政策の影響に帰するのは無理があります。実質実効為替レートを決めるのは、長期的には実物的要因のみです。日本の実質実効為替レートの趨勢的な低下は日本の交易条件の悪化や貿易財産業の相対的な生産性の低下など実物的要因で説明するのが妥当で、金融政策の責任にするのはお門違いでしょう*3

「円の実力」というのはだれが言い出したかわかりませんが、そもそも日本語としても意味不明です。「実力」というからには、円の見せかけの力とか本当でない力が何かあって、それと対比して実力といっているはずだと思いますが、一体それは何でしょうか。実力がない通貨はダメだということになりますから、実力があればあるほどいいのでしょうか?実質実効為替レートを円の実力と呼んでも誤解を生むだけで何も良いことはありません。わけのわからない言葉は使う必要がありません。いや、むしろ使うべきではないというべきでしょう。

②実質実効為替レートの国同士の値の比較は無意味である

日本円がトルコリラに実質実効為替レートで負けた最弱の通貨だなどという主張は、そもそも実質実効為替レートというデータの意味を誤解したものだということはわかっていただけたかと思いますが、ブルックス氏のデータ解釈はそれ以上に問題だらけです。

ブルックス氏はトルコリラと日本円の実質実効為替レートを比較しています。使われているのは2014年6月=100とする指数です*4。なるほど、図だけを見ると、日本円がトルコリラに今年に入って負けているように見え、世界最弱の通貨だという主張がもっともらしく見えます。

しかし、これは実質実効為替レートというのは何か誤解しているだけでなく、そもそも絶対に比較できないものを比較しているという点でまったくナンセンスな比較です。実質実効為替レートは基準年を100とする指数です。基準年にはそもそもすべての国が同じ100という値になります。このデータは、例えば2000年と比較して、2026年の日本の財・サービスの相対価格が外国と比較して上がったか下がったかを分析することはできますが、他の国の実質実効為替レートの水準と比較して高いか低いかというのは全く意味がありません。貿易相手国は国によって違いますから、加重平均する通貨のウェイトは国によってバラバラですし、そもそも基準年をどこにするかで数字は変わります。国同士の水準を比較するのは完全に間違った使い方です。

少しわかりにくいかもしれませんから、このような指数の水準の比較がいかにばかげているかわかりやすい例で示しましょう。Aはある大学の文系の学生で、Bは別の大学の理系の学生だとします。2人のテストの平均点は次の通りであったとしましょう。
Aは2020年に90点、2026年に80点
Bは2020年に60点、2026年に66点
2020年を基準年にした指数で表すとどうなるでしょうか?

  2020 2026
A 100 88.9
B 100 110

おわかりだと思いますが、この場合、「2026年にBがAを追い越している」というのは全く意味がある話ではありません。そもそも比較できない成績のデータですが、指数の水準自体を比較するのは完全に馬鹿げています。

同じデータを2026年を基準年にした指数であらわしてみましょう。

  2020 2026
A 112.5 100
B 90.9 100

今度は「2026年にAとBの成績は等しい水準に収れんした」とかいう評論家が現れそうですが、もちろんそういう言い方もナンセンスです*5。2026年を100にした指数ですから2026年が100になるのは当たり前です。ブルックス氏が日本円がトルコリラに負けたとか言っているのは、この馬鹿馬鹿しい成績の比較とまったく同じです。これは経済理論がどうとかいう問題以前の笑うべき間違いであり、議論の余地がないものです。

実は日経の記事にはこの点を指摘した正しいことも一応は書かれています。

実効レートはある国・地域の通貨について基準年と比較して購買力がどの程度上下しているかを示す指標だ。算出方法も多様で通貨同士で絶対値*6を比較することの是非については異論が多い。

しかし、ここまで言っていながら、日経の記事は、結局、トルコリラの実質為替レートは上昇しているのは明らかだなどとごまかして、日本が最弱だというセンセーショナルなブルックス氏の主張を肯定する残念な記事になっています。「異論が多い」どころではなくナンセンスだとはっきり書くべきでしょう。

③ブルックス氏のデータは恣意的である

ところで、実質実効為替レートは国際決済銀行(BIS)が公表しているデータを使うのが一般的ですが、BISの基準年は2020年です。ブルックス氏の加工しているデータも元データは明らかにBISのデータです。普通にグラフを作図すれば、2020年が100の指数を使うはずです。しかし、既に指摘した点ですが、何故かブルックス氏のデータは2014年6月を100にした指数です。これほど中途半端で訳の分からない基準をブルックス氏が採用した理由は不明です。一体何の基準なんでしょうか。

2014年6月を基準にしたデータでは日本円とトルコリラが逆転するのは直近(2026年4月)になりますが、2020年を基準にしたデータをとってみると、そこまで劇的なデータにはなりません。そもそも日本円とトルコリラの実質実効為替レートの絶対的な水準を比較するのはナンセンスだということはおいておいても(まあ、これだけで完全に問題外ですが)、ブルックス氏の選んだ基準時点は極めて恣意的で合理的説明が不可能です。

好意的に解釈するなら、ブルックス氏はたまたま基準時点を2014年6月にしているデータを見かけて、データの意味を理解できずに絶対水準を比較し、おかしな結論を出したのだと考えることもできます。それも大いにありうるでしょう。いずれにせよ、ブルックス氏が何の意味もない比較をしていることに変わりはありません。

日本円とトルコリラの実質実効為替レートの水準は、基準年をどこに置くかでお気に召すまま、好きなようなグラフを作ることが出来ます。そもそも絶対水準の比較自体が無意味なのですが、それにしてもブルックス氏の論説は実にひどいとしか言いようがありません。自信満々に日本経済を語っておられますが、肩書がどうであれ、ブルックス氏の論説は経済学の専門家として基本的な知見に欠けています。

出所:BIS

出所:BIS

出所:BIS

ここまで読んでいただいた皆さんは、ブルックス氏の説明が議論の余地のない間違いであることはわかっていただけたかと思います。日本円の実質実効為替レートが下落し続けている原因は何かということについては意見の相違がありますし日本の望ましい金融政策とは何かについても議論はあります。意見の相違はいろいろあって結構でしょう。ですが、ここに書いたことは経済学の学派とか理論とかに関係ない議論の余地のない誤りです。ブルックス氏の主張をもてはやした方々は一律に全く信頼できない評論家だと断定して構いません。反リフレ派だろうがリフレ派だろうがMMTだろうが、ブルックス氏の論説を称えた方々は単なる印象で経済をかたる「印象派」経済学者に過ぎないのです*7

*1:トルコの実質実効為替レートをε、名目実効為替レートをe,トルコの物価をP、外国の物価をP*としています。

*2:なお、実質輸出に影響するのは世間でよく話題になる名目為替レートではなく実質為替レートです。名目為替レートの自国通貨安が輸出を増やすのは、ここで述べているような物価の変化が起こる前の短期においては、名目為替レートが自国通貨安になれば実質為替レートも自国通貨安になるからです。しかし、これは一時的現象です。

*3:長期的な実質実効為替レートを決める要因については議論がありますが、有力なのは貿易財と非貿易財に注目したモデルです。一国の物価は貿易財と非貿易財の価格の加重平均になります。原則的に貿易財については一物一価が成り立つはずですから、実質実効為替レートの差をもたらすのは貿易がなく一物一価が成り立たない非貿易財の相対価格だと考えるのが自然です。例えば、日本で原油価格高騰で起きているような交易条件の悪化は、家計の予算制約を厳しくするので非貿易財への需要を減少させ、その相対価格を引き下げることになるでしょうから、実質実効為替レートを低下させる要因になるでしょう。

あるいは、日本の貿易財産業の相対的な生産性の低下も実質実効為替レートを低下させる要因になります。通常、戦後の日本がそうだったように、貿易財産業の生産性上昇率が非貿易財産業よりも高い国は実質実効為替レートが上昇気味になります。貿易財産業の生産性上昇率が高いと、生産性上昇を反映して貿易財産業の賃金が上昇しますが、これは生産性向上を反映したものですから製品価格の上昇は起きません。しかし、非貿易財産業では生産性の向上がなくても、高賃金の貿易財産業と労働市場で競争が起きるため、賃金を引き上げざるを得なくなり、コストの上昇で非貿易財の価格は相対的に上昇します。従って、貿易財産業の相対的な生産性向上が著しい国は非貿易財が割高になり、実質実効為替レートが割高になります。1990年代まで日本はそうだったと考えられます。これはバラッサ=サミュエルソン効果といわれるものです。近年の日本のように貿易財も含め相対的な優位性が低下し生産性が低迷している国では、逆のことが起きているはずですから、バラッサ=サミュエルソン効果からも賃金の低迷と非貿易財の相対価格の低下、実質実効為替レートの低下が無理なく説明可能です。

これに関しては決定的な仮説はないですし、複数の要因が考えられるでしょうし、ここは大いに議論して良い点です。ただ、いずれにせよ、長期にわたる実質実効為替レートの低下は金融政策では説明できません。仮に強硬な利上げ路線で、実質実効為替レートの低下を止めようとしてもうまくいくとは限りません。景気が低迷して、より一層生産性が低迷すれば、日本の実質実効為替レートの低下には拍車がかかるだけでしょう。

*4:ブルックス氏の投稿のグラフには、上の方にJune2014=100と書かれています。これは要するに2014年6月を100にした指数だということです。

*5:この手の間違いの紹介として、次の記事を参照。グラフの正しい読み方 - 柿埜真吾のブログ

*6:ついでながら、「絶対水準」といいたいのでしょう。まあ、この場合「絶対値」でも偶々間違いでないですが、全然違う意味になります(笑)。

*7:なお、念のため言えば、私自身は印象派絵画、印象派音楽の大ファンです。しかし、経済学の印象派評論家はいただけません!

国旗損壊罪の問題点

規制は何であれ自由の制限です。特に表現の自由など基本的人権を制限するような規制はよほど重大な理由がなくては認められるべきでないのは当然のことでしょう。これは右派が喜ぶ規制でも左派が喜ぶ規制でも変わりません。いい加減な理由で自由を制限してはいけません。高市政権の掲げる国旗損壊罪は無用な規制の最たるものです。

22日、自民党の作業チームは国旗損壊罪の骨子案を大筋で了承しました。「実物の国旗を公然と損壊する行為に加えて、動画をSNSで拡散する場合なども罰則の対象」となるそうです*1。自民党骨子案は国旗損壊罪の処罰の対象についてお子様ランチの旗や絵画に描かれた旗、アニメや生成AI(人工知能)による創作物は対象外 *2としていますが、これで表現の自由を侵害する懸念が払拭できると考えているとしたらとんでもない判断です。「他人に著しい不快感や嫌悪感を抱かせる方法により、国旗を公然と損壊、除去、汚損する行為に加えて、みずから損壊する動画をSNSで拡散する場合なども、罰則の対象」というのは、極めて曖昧な規定で恣意的な取り締まりを可能にするものです。

自民党案では、「意図や目的といった主観的な要素ではなく、外形的・客観的な行為について罰則を定める」という規定になっていますが、これは意図せずに国旗を傷つけたケースも該当しうるということです。これはずいぶん物騒な話です。恣意的な取り締まりや思想の自由の侵害を避けるためにこういう規定にしたのだと思われますが、どうでもいい学校の校則のような煩瑣な規定がある法律をつくってまで保護しなければならない利益とは一体何なのでしょうか*3

「日本国旗を毀損するなんて妙なことをしなければいいだけだ」「変わった政治的考えを持たない人には関係ない」というのは甘い考えです。SNSには少しでも犯罪と疑われる行為があれば一斉にたたく人たちは大勢いますから、国旗損壊罪ができれば、少しでも疑わしい行為を国旗損壊だと騒ぐ人たちが現れ、冤罪が多発するのではないでしょうか。現在でさえそういうことは起きていますから、法案が成立すれば、表現の自由を委縮させることになるのは間違いありません。

作業チームの座長を務める自民党の松野元官房長官は「国旗を大切に思う国民が不快に感じないようにするのが、基本的な考え方だ」と述べたそうですが*4、具体的な権利の侵害ではなく国民の「お気持ち」が規制根拠になるというのは驚くべき発言です。「国民が不快に感じないようにする」ためであれば表現の自由のような基本的人権を制限してもいいというなら、「国民が不快に感じないようにする」ために戦前のような不敬罪を復活させたり、大部分の国民に不快な表現がある漫画を規制したりするのももちろん可能なはずです。

「日本国旗をわざわざ壊す人は少数派だからその権利など尊重する必要はない」というかもしれませんが、それを言うなら、極右だって性的な漫画の愛好家だって少数派です。我慢すればいいだけですから、彼らの表現を完全に禁止しましょうという議論は簡単にできるのです。「そんな権利は重要ではない。少数派が困るだけで、ちゃんとした人は困らない」という論法は、最終的に人権を徹底的に制限することにつながるのだということをもっと理解してほしいと思います。

そもそも良い悪い以前の問題として、現在の日本で国旗損壊が多発しているなどということはありません。はっきり言えば、そんな法律がなくても誰も困っていません。法律を作る根拠となる立法事実がないのです*5

滅多に起きておらず今まで特に何の問題も起きなかった行為をわざわざ取り締まる法律を莫大な労力をかけて作ることにどんな意味があるでしょうか?国旗損壊罪の推進派の方々の多くは、選択的夫婦別姓や同性婚に批判的で*6、「誰も困っていない」「もっと他にやるべきことがある」「国民の関心が乏しい」「我慢すればいい」などということがしばしばですが*7、そういった批判が国旗損壊罪以上に当てはまる法案はちょっとないのではないでしょうか。

取り立てて大きな利益がなく実際の運用が恣意的になりうる懸念があるのに妙な規制を導入するのはその大義名分がどうであれ望ましくないことです。表現の自由を規制するという話になれば、当然ながら乱用を防止するために、その規制の条件を厳格に事細かに規定する必要がありますが、それだけの労力を割いて規制するメリット自体がそもそもほとんどないのです。

ほとんど起こりもせず防止する必要のない行為を対象にして、何を規制対象にするか事細かに規定するのに膨大な労力を割くくらいなら、規制自体をやめてしまえばいいのではないでしょうか。イラン情勢の緊迫が続く中で安全保障の話題に限っても他に議論すべきことはいくらでもあると思うのですが、喫緊の課題は国旗損壊罪の創設なのでしょうか。「お子様ランチの旗」について真面目に議論するのが国会議員の仕事なのでしょうか。このような馬鹿馬鹿しい法案を審議してもらうために我々は国会議員に給与を払っているわけではないと思います。

「外国国章損壊罪があるのに日本国旗について規定がないのがおかしい」という人がいますが、「外国の国旗は保護されている」は反論になりません。外国国章損壊罪は大使館等の公的に掲げられた国旗を悪意で傷つけた際、当該国から訴えがあった場合に罪に問われるだけです。手製の外国国旗を傷つけるパフォーマンス等は外国国章損壊罪で裁かれることはありません。ましてや今回の自民党案で提案されているような国旗損壊映像送信など広い範囲の表現を処罰する規定はありません。そもそも外国国章損壊罪の有罪の判例は一件*8しかありません*9。しかも、江藤(2026)が指摘する通り、その唯一の有罪の事案ですら、「外国国章損壊等罪の成否は有罪判決の量刑になんらの影響も与えて」おらず、「外国国章損壊等罪が存在してもなくても、まったく同じ刑に処せられるものだった」のです*10。別にこの法律自体大した必要がある法律には思えません。

他人の持ち物や公共の国旗を傷つける行為は、器物損壊罪で十分取り締まることができます。器物損壊罪の刑罰は、「三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料」です*11。外国国章損壊罪は「二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金」*12ですから、むしろ器物損壊罪の方が重い刑罰を科すことができます*13。大使館等の外国国旗を守るために特別な法律が必要とは言えません。ほぼ使われたことがなく(現実にはそういう運用はなされていないとはいえ)乱用の恐れもありうる意味の乏しい規定を残す意味はないでしょう。外国国章損壊罪自体廃止するのが妥当です。外国国章損壊罪があるからといって、日本国旗損壊罪も作るべきだなどというのは、不必要な規制をさらに増やし自由を制限せよと主張しているに等しく到底賛成できない意見です。日本国旗だろうと外国国旗だろうと何だろうと、他人の所有物や公共のものを傷つけるのは現行法でも取り締まり可能なのですから、国旗損壊罪を新たに創設する必要はありません。ただでさえ無意味な規制が多すぎるのですから、これ以上無駄な規制を増やすのはやめてほしいと思います。

他人の所有物を傷つけることは厳罰に処されるべきだと思いますが、日本国旗であれ外国国旗であれ私物の国旗を燃やすのは自由ですし(悪趣味ですがどうぞご自由に)、自由であるべきでしょう。確かに悪趣味だとは思いますが、良くないことだから禁止せよというのは道徳と法律を混同した議論です。他人を直接脅かすような脅迫を加えていないなら、私有財産の使い道に政府は介入すべきではありません。右だろうが左だろうが、私有財産への侵害、表現の自由の制限には断固反対したいと思います。

どうでもいい法律を作るほど政府は暇ではないはずです。政府のリソースは有限です。優先度の低い問題を取り上げると他のことに避ける時間は減ります。これは国旗損壊罪の目に見えない機会費用です*14。政権に勢いがある今、やるべきことは国旗損壊罪創設のような規制強化ではないはずです*15。優先順位を間違えると何もできなくなってしまいます。国旗損壊罪こそ最優先の課題だと思うなら、そんなずれた感覚の政権には安全保障の大局的な議論など到底期待できません。

*1:「日本国国旗損壊罪」法案の骨子案を大筋了承 自民作業チーム | NHKニュース | 高市内閣、国会 5月12日に国旗損壊罪の対象には直接的な国旗損壊行為だけでなく、それを撮影した映像や創作など広い範囲の表現も含まれる方向という報道があった際には(【速報】自民、国旗損壊映像送信を処罰の方向で調整|47NEWS(よんななニュース))、SNSなどを中心に大きな批判が起きました。世論の批判もあって、自民党は15日に開かれた「国旗損壊罪」制定を検討するプロジェクトチーム(PT)の会合では法案骨子案の了承をいったん見送りましたが(国旗損壊罪、動画投稿も処罰 拘禁2年以下、自民が法案骨子案―慎重論続出、了承見送り:時事ドットコム)、今回は修正を加えた骨子案を承認しました。

*2:「お子様ランチの旗」は対象外 自民PT、国旗損壊の法案骨子案 | 毎日新聞

*3:極右の方々の多くはこの法案を熱心に支持しておられますが、少し誤解しているように思います。彼らが一番嫌いで強く取り締まりたいのは、国旗を侮辱して喜ぶ左翼なのでしょう(そんな人は左翼にも多いとは思えませんし、そもそも基本的人権がありますから、そういった理由で人を取り締まるのは正当ではないですが、それはひとまず置いておきましょう)。

しかし、法案では「実物の国旗を用いた実写映画等の芸術的表現は社会通念上、相当と認められるものは対象外」ですから、芸術表現として意図的に国旗を毀損することは可能です。「絵画に描かれた旗、アニメや生成AI(人工知能)による創作物」も対象外ですから、日本国旗を侮辱的に扱うような生成AIを使った画像生成は取り締まり対象外です。つまり、この法案は、意図的に国旗を侮辱する目的の表現をしている洗練された左翼を取り締まることは全然できないでしょう。

その一方で、不注意な愛国者の国旗の取り扱いミスが取り締まり対象になる可能性がありえます。ですから、この法案は極右にとっても大したメリットはありません。まあ、彼らが国旗への尊敬を欠く左翼を取り締まりたいなら、公然と人権侵害を支持して思想を取り締まることを要求するのが一番いいでしょう。変に人権や表現の自由を尊重しているふりなどする必要はないでしょう。堂々と人権など認めないといえばいいのではないですか?

*4:「日本国国旗損壊罪」法案の骨子案を大筋了承 自民作業チーム | NHKニュース | 高市内閣、国会

*5:国旗損壊罪に慎重な立場をとる岩屋前外相は、次のように述べていますが、もっともな話といえるでしょう。

「国旗・国歌法(99年制定)には賛成しましたよ。でも日の丸が燃やされて大変なことになって、規制しなきゃいけないという事実がないでしょ。事実がないのにそうした法律を作ることは、国民の精神をどこかで圧迫するおそれがあります。」(岩屋毅前外相、高市氏提案の国旗損壊罪に反論「立法事実がない」「右傾化…そんな言い方はしていない」 スパイ防止法には慎重姿勢 | TBS NEWS DIG (2ページ)

これは事実に即した妥当な指摘だと思います。少なくとも国旗損壊罪に関しては一貫して良識ある発言をされていると思います。

*6:彼らが言うには、選択的夫婦別姓や同性婚は少数派の意見であり、「誰も困っていない」(明らかにそんなことはないですが)、「国民の数%しか関心がない」から、我慢すべきなのだそうです。もしこれが正しいのであれば、国旗損壊行為などはそもそも誰の権利も侵害していないですし、頻発しているわけでもなく誰も困っていませんから、全く必要ないことになるでしょう。自分の名前を変えるかどうかや結婚できるかどうかというのは当事者にとって重大な問題であるはずですが、それが「我慢すればいいだけ」でどうでもいい問題だというのですから、国旗は尚更どうでもいいはずです。国旗に重大な利害関係がある人はいません。国旗を傷つけられると自分が傷つくのと同じくらい傷つくという人がいるかもしれませんが、それはその人の「お気持ち」で、何の意味もありません。客観的に確認しようもない本人の勝手な「自認」を理由に、政府がわざわざ配慮する必要などどこにあるでしょうか?「お気持ち」を損なう以外には何の不利益もないのですから、我慢すればいいだけの話ではないでしょうか?起きることが滅多にない事件について当事者でもない人が漠然と単に不愉快だと感じるとして、だからどうだというのでしょうか。「お気持ち」を保護する法律など不要でしょう(あえて選択的夫婦別姓や同性婚などを嘲笑する方々のお気に入りの用語を使って説明していますが、あしからず)。

*7:念のためいいますが、私はこうした批判は選択的夫婦別姓や同性婚に当てはまるとは全く思っていませんし、これらの批判は間違っていると考えます。

*8:1961年に起きた中華民国駐大阪総領事館に台湾独立派の2名が不法侵入し、国旗の前に遮蔽物を置いたという事件。

*9:江藤隆之(2026)「日本国章損壊等罪の立法に関する 基礎的考察」『桃山法学』第44号, 23-50頁。

*10:江藤(2026), 46頁。

*11:刑法 第二百六十一条 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。 

*12:刑法 第九十二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

*13:現行法上、他人の日本国旗を奪って傷つける行為に対しては器物損壊罪が適用され、外国国章損壊罪より重い刑罰を科すことができます。外国国章損壊罪に問われている事案は器物損壊罪でも訴えられているはずですから、国旗損壊の程度が同程度なら、日本国旗であれ外国国旗であれ同じ刑罰が科されるでしょう。従って、現行法では外国国旗と日本国旗の扱いが不平等だという主張は成り立ちません。

*14:江藤(2026)は、国旗損壊罪について「表現の自由とのバランスを考慮すると、この罪を制定することは、実質的には適用不可能な死文化した条文を新たに設けることに等しい。つまり、真の課題は、実質的に死文化が予想される条文制定にあえて政治的経済的コストをかけることが国家にとって真に有益であるか否かの検討にある」とし、「起訴や有罪判決を得ることができないのに、本罪制定後に通報が相次ぐようなことになれば、警察業務を妨げるコストにもなるだろう」(50頁)と指摘しています。これは極めて興味深い指摘です。確かに高市政権がこの法案をきっかけに、表現の自由を大きく制限するような政策をとるリスクはそこまで高くはないと思いますが、政治的な労力をかけてこのような無駄な法案をつくることのコストは大きいでしょうし、万が一のリスクを考えると、とてもではないですが、こんな法案には賛成できません。

*15:なるほど、国旗損壊罪も公約だったというのはその通りですが、衆議院選挙で国民の大多数が期待したのは消費税減税だったのではないでしょうか?先延ばしする些末な理由を挙げていないでさっさとやれば良いでしょう。

高市政権の外国人政策の問題点

実に不思議なことですが、「ルールを守る外国人は問題ない」と言いながら、排外主義者がまず最初に狙い撃ちするのはルールを守っている外国人です。高市政権の下で進められている外国人政策は明確な根拠のない厳格化、手数料の引き上げ等が進められており極めて問題が多いものです。

特に問題なのは一連の政策が明確な立法手続きによらず、抜き打ち的な省令の改正、運用ルールの変更で進められている点です*1。3月27日には外国人が日本国籍を取得する際の居住要件を従来の「5年以上」から「原則10年以上」に引き上げることが発表されました。法改正ではなく運用の変更で、しかも3月27日に発表して4月1日からすぐ運用するというのですから実に乱暴な話です。

行政の裁量で国会議決を得ずに騙し討ち的にやることは信義則に反し全く正当性がないように思えます。裁量が大きいことになっているとはいえ何でもありは許されないでしょう。これは法の支配に関わる重大な問題です。

国籍法第五条は「五年以上日本に住所を有すること」を帰化の条件の一つに挙げています*2。5年という数字は明確に法律で定められた数字です。原則10年以上などと勝手に変えていいわけがないのではないでしょうか。法務省は国籍法の5年という規定は帰化の最低条件を定めたもので、今回の運用変更でも居住期間が10年に満たなくても国籍が取得できる例外も設けていることから、法改正は不要だと主張しています*3

しかし、そういう理屈が通るなら国籍法に限らずどんな規定でも行政の裁量次第でいくらでも複雑化できてしまうことになり極めて危険です。これは外国人だけの問題ではありません。近藤敦名城大教授(憲法学)は「国籍法が明示する居住要件の最低年数を実質的に変えることになる」と指摘し、憲法違反の疑いがあると述べています*4。もっともなご指摘だと思います。大体、与党は衆議院で圧倒的多数を占めているのですから、規定を変えたいなら堂々と国会で審議して改正したらいいでしょう。国会軽視であり全く感心しない姿勢です*5

現在、大きな問題になっている経営管理ビザの資格要件厳格化は石破政権が決めたものですが、エスニック料理店などへの大きな影響が懸念されています。資本金要件が従来の500万円から6倍の3000万円に引き上げられたため、要件を満たせず廃業せざるを得ない企業が少なくないと考えられます*6

経営管理ビザの資格要件厳格化の理由は、ペーパーカンパニー対策が理由ですが、仮にペーパーカンパニーが問題だというならそれ自体を取り締まるべきでしょう。日本はそんな取り締まる能力が低い国家なのでしょうか*7?資本金の要件を引き上げることは不正対策とは何の関係もないはずです*8

3000万円という資本金要件は日本企業にとってさえかなり厳しいものです。経済センサスによれば、3000万円以上という資本金要件を満たしている企業は日本全体で8.7%しかありません*9。日本企業の大半が満たせない条件を課す合理性は乏しいのではないでしょうか。なお、日本では起業を容易にするために2006年の会社法改正以降は資本金1円からでも企業の設立は可能になっていますが、資本金要件引き上げはこれとは逆行する措置です。

今回の措置では資本金要件引き上げに加え、常勤職員1人以上の雇用等が義務付けられました。しかし、常勤職員の雇用というのはまるで途上国のつける条件です。経営管理ビザの資格要件厳格化は有害な規制強化であり、正真正銘のアンチビジネスの政策といってかまわないでしょう。

このような話は日本人には無関係なことだと思うかもしれませんが、それは正しくありません。外国人政策の不安定な変更には、いつも通っていた店がつぶれたり取引先が閉店したりといった形で私たちも消費者としても労働者としても影響を受けることになります。こうした規制の影響は広い範囲に及びますから知らず知らずのうちに影響を受ける場合もありうるでしょう。それに、外国人に対して法の支配を尊重しない政府は他の場合も同様だろうと推測する方が安全ではないでしょうか?*10誰が被害者になるのであれ、自分に関係あろうとなかろうと、恣意的なルールの変更には待ったをかけるべきです。

高市政権には一部の排外主義者に迎合することなく*11、「大胆な規制・制度改革を実行することで世界で一番ビジネスをしやすい環境を」作り*12、経済再生を実現していただきたいと思います。

*1:これに関しては以下の議論が非常に説得的で優れています。ご一読をお勧めします。

法的安定性を度外視したルール変更は統治ではなく暴力である(前編)|芳川恒徳|外国人雇用のミカタ

法的安定性を度外視したルール変更は統治ではなく暴力である(後編)|芳川恒徳|外国人雇用のミカタ

*2:法務省:国籍法

*3:なお、ここでは煩雑になるので取り上げませんが、高市政権はこのほかにも技術・人文知識・国際業務(技人国)ビザの運用厳格化など、細かなルールを法改正によらず改正しています。

*4:外国人の国籍取得、4月から厳格化 法務省「法改正せず運用で」:朝日新聞

*5:帰化の居住要件厳格化は、与党である日本維新の会が、永住権の場合は10年居住期間が必要とされているのに、「より重い法的地位である国籍の方が、永住許可より緩い逆転現象が生じている」などと主張したことが始まりですが、なぜより長い方に合わせるのかも理解ができません。「より重い地位」の規定が5年になっているなら、よ「り軽い地位」も5年にしたらどうでしょうか。5年という期間は欧州主要国並みで別に全く短くありません。どうせなら全部5年に合わせたらいいでしょう。

*6:「3000万はちょっと厳しい」『経営・管理ビザ』“厳格化”でネパール人経営者が支えるインドカレー店に存続危機 ビザ取得要件「資本金500万円→3000万円」に | 特集 | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ

エスニック料理店が激減する? ビザ厳格化で資本金3000万円が条件に…外国人店主「やっていけない」 :東京新聞デジタル

*7:仮に「通勤電車に痴漢の男性がいたので、男性電車税を課し、男性の電車料金を6倍にする」と政府が発表したら普通の男性は怒るでしょう。しかし、こういうやり方はそれとほとんど変わらない思い付きです。

*8:要件を満たしたからといってペーパーカンパニーでないという保証は何もありません。反社会的な活動をしている団体なら、外国人経営者向けに3000万円の資本金を用意するビジネスができるのではないでしょうか?あるいは常勤職員のふりをするアルバイトの派遣なんてビジネスだってできそうですね。

*9:「令和3年経済センサス」による。これは5年おきの調査でこの調査が最新の数字ですが、登記統計などからも同様の傾向が確認可能。

*10:これについては、以下の記事をご覧ください。少数派の権利が他人事でない理由 - 柿埜真吾のブログ

*11:総裁選の際には、高市首相自身が外国人犯罪で通訳手配が間に合わず不起訴になることがあるといったデマや、奈良の鹿の虐待を外国人と結びつける発言をしておられましたが、偏見を煽るだけで根拠に乏しく、総理になる方の発言とは思えない大変残念な発言だったと思います。幸い、最近はそういう発言はされていませんけれども。

*12:これは高市首相が尊敬する安倍元首相のご発言です。私も安倍元首相を大変尊敬しております。安倍元首相は「日本はこれから、グローバルな知の流れ、貿易のフロー、投資の流れに、もっとはるかに、深く組み込まれた経済になります。外国の企業・人が、最も仕事をしやすい国に、日本は変わっていきます」(安倍総理大臣世界経済フォーラム年次会議冒頭演説〜新しい日本から、新しいビジョン〜 - データベース「世界と日本」)と述べ、日本を開かれた国にすることに意欲を示したことがありました。残念なことに昨今の右派はこれとは反対の方向に向かっているように見えます。

経済思想史が明かす給付付き税額控除の本質と福祉国家の在り方(『週刊金融財政事情』2026年4月28日号)

この度、拙稿「経済思想史が明かす給付付き税額控除の本質と福祉国家の在り方」を『週刊金融財政事情』2026年4月28日号に掲載していただきました。是非ご一読いただければ幸いです。

kinzai-online.jp

給付付き税額控除とは、所得税額から税額控除分を差し引き、控除額が上回る場合に給付金を支払う仕組みです。OECD諸国の殆どではワーキングプア対策として何らかの給付付き税額控除が導入されています。先の衆議院選挙では高市政権が導入を公約に掲げていましたが、本稿では、給付付き税額控除の思想的起源、給付付き税額控除と負の所得税、ベーシックインカムの関係などを説明しています*1。ぜひご一読いただければ幸いです。

給付付き税額控除は、ミルトン・フリードマンの提案した負の所得税のアイデアをごく一部ではありますが実現したものです。具体的な制度設計次第で効果には違いが出る点に注意は必要ですが、どの国でもおおむね高い評価を得ています。例えば、2018年の米国議会調査局の報告書はEITCがシングルマザーの就労促進、子育て世帯の貧困率削減等に一定の成果をあげたと指摘しており、OECD諸国の研究でも肯定的研究が大半です*2。給付付き税額控除の導入には課題もありますが、実現に向けた議論を期待したいところです。

給付付き税額控除は勤労者が対象で生活保護は対象外ですが、生活保護も統合すれば負の所得税になります。日本の生活保護には、受給者が働くと大幅に給付額が減らされてしまうため、受給者の就労を妨げてしまう欠点がありますが、生活保護にも受給者自身の稼ぐ所得が増えるにつれて、収入も増えていく仕組みを導入する必要があります。そうした制度設計は受給者の自立を助け、納税者の税負担軽減にもつながるはずです。

なお、この記事にも書きましたが、長期的な税制の制度設計は大事にしても、先の衆議院選挙では主要政党の殆どが何らかの消費税減税を公約していたはずです。レジ対応等の瑣末な理由で減税しないのは民主主義の在り方として問題でしょう。減収分は数兆円に過ぎませんしインフレも落ち着いている今、時限的減税は難しくありません。

ここでも何度か書いている通り*3、食料品価格高騰の対策としては関税撤廃と農業規制改革が王道のやり方ですが、それが政治的に短期間で進めるのが難しいのであれば、食料品価格の時限的減税はファーストベストでないにせよ考えられる措置です。有権者がその選択肢を選んだのですから政府は実現する義務があるはずです。

*1:ベーシックインカムはなぜか左派が好み、負の所得税は市場経済派が好む傾向はありますが、分配のタイミングが違うだけで両者は同一の結果になります。給付付き税額控除との違いは、給付付き税額控除が生活保護を対象外にしていることです。

ベーシックインカムという言葉自体は何となく左派のイメージがあり、実際に左派が推進しがちなのですが、最初に使ったのは本文でも触れたジュリエット・リース=ウィリアムズの息子ブランドン・リーズ=ウィリアムズ(保守党の国会議員)のはずですから、左派のイメージがあるのは少々不可解なことです。既存の福祉制度を整理統合すれば、効率的であり、同時に真の弱者保護に役立つ福祉制度を作ることができます。その意味で、この制度は右派も左派も賛成可能な政策です。

負の所得税とベーシックインカムの同一性は私も説明していますが、厳密でわかりやすい説明として、鈴木亘(2025)『入門 社会保障の経済学』新世社,9章3節をお勧めします。

*2:例えばCrandall-Hollick, M. L., & Hughes, J. S (2018)“The Earned Income Tax Credit (EITC): An Economic Analysis,” Congressional Research ServiceあるいはImmervoll, H., & Pearson, M. (2009)“A good time for making work pay? Taking stock of in-work benefits and related measures across the OECD,” OECD Publishing等を参照。

*3:少し前の記事ですが、以下をご参照ください。食料品値上がりの自然な対策 - 柿埜真吾のブログ

Voice2026年5月号への寄稿

少し紹介が遅くなりましたが、この度、Voice2026年5月号(4月6日発売)に「サナエノミクスで日本は不況になるか?」を寄稿させていただきました。もとになった原稿は昨年12月15日に救国シンクタンクメルマガに寄稿させていただいたものです*1。イラン戦争の始まる前に元の原稿を書いていますから少し情勢は変化していますが*2、昨年11月ごろから喧伝されていたガソリン減税でインフレ加速といった意見が誤りだったことは今となっては明らかでしょう。

確かに高市政権の経済政策には、減反強化やおこめ券のような「物価高促進策」や意味の疑わしい産業政策が含まれていたのは事実です。私はそれらを肯定するつもりは全くありません。とはいえ、高市政権の一連の経済政策が規模的に物価高を促進するほどの影響を持ったかといえば、その答えは否でしょう。

事実、ガソリン減税が実施された11月以降、インフレ率はむしろ減速し、前月比でもイラン戦争が始まった3月まで3か月連続で下落していました。予想インフレ率(BEI)は1月に1.9%台のピークを付けた後は横ばいでイラン戦争後も特に加速する兆しはありません。東京都区部中旬速報値でみると、CPIインフレ率は11月の前年同月比2.7%から3月には1.4%まで低下し、4月時点でも1.5%です。これは2%のインフレ目標を下回る数字であり、イラン戦争が起きたからといって直ちに利上げが必要というような状況ではありません*3。これは高市政権の予算規模からしても金融政策のスタンスからしても初めからわかっていたことだと思いますが、「ガソリン減税がインフレを加速させる」といった財政危機論者の警告は空振りだったのは明らかです*4

もちろん、イラン戦争は原油関連のコストを押し上げ、インフレ要因になりますが、その影響は一時的なものです。戦争による原油価格高騰ということで、1973-74年の中東戦争勃発時の狂乱物価を連想するのは誤りです。狂乱物価の根本的原因は金融政策の失敗です。1972年から1973年半ばまで貨幣量は前年同月比25%を上回る異常なスピードで拡大し、中東戦争が勃発した1973年10月時点でインフレ率は既に前年同月比13.9%に達していました。石油危機はとどめを刺したに過ぎないのです。金融政策が引き締め的だった第二次石油危機や2000年代の資源高の際には価格高騰は限定的で、持続的インフレは発生していません。中長期的なインフレ率は金融政策次第です。

植田日銀がQQEを解除して以来、日本の金融政策は引き締め気味になっており、量的指標で見る限りマネタリーベースは前年同月比10%以上も縮小し、広義の貨幣量(M3)の伸びも前年同月比1%台です。消費ブームや投資ブームも起きていませんし、狂乱物価には程遠い状況です。イラン情勢の今後も不確かな状況で日銀が拙速に動く理由は何もありません。他の主要国中銀に足並みをそろえて日銀が4月利上げを回避したのは妥当な措置でしょう。ガソリン補助金等の高市政権のイラン危機対応は必ずしも評価できないですが、財政金融政策で今後よほど極端な政策をとらない限りインフレのリスクは低いでしょう*5

高市政権の真の問題は財政規模よりも財政政策の中身の問題です。実際にどの程度進められたかはともかく、アベノミクスが「民間投資を喚起する成長戦略」を第三の矢として掲げ、規制改革を成長戦略の中心に据えていたのに対し、高市政権は官僚主導の産業政策に頼っています。サナエノミクスの産業政策になぜか期待する人も多いようですが、農業改革すらできない政権に先端産業育成を期待するのは全く不思議なことです。産業政策には長い失敗の歴史がありますし、高市政権がこれまでとは違うと期待できそうな理由は何もありません。

サナエノミクスが規制改革という第三の矢なしのアベノミクスになるなら、長期的にはやはり失敗する運命にあるでしょう。今なすべきことは、アベノミクスの本来の三本の矢を今度こそ実現することです。消費税減税にレジ対応などという些末な理由で躓いていては、衆議院選で圧倒的な票差で減税を支持した有権者を裏切る結果になるでしょう。

*1:柿埜真吾メルマガ:第59回〈緊急投稿 サナエノミクスで日本は不況になるか?〉 – 一般社団法人 救国シンクタンク

*2:なお、Voiceの原稿の発表後、日銀の統計見直しで日銀推計の需給ギャップがプラスに上方修正されましたから、この点も少し議論を補足しておきましょう。需給ギャップの数字のプラス転換で利上げの条件が整ったようにいう議論がありますが、本文に書いたとおり、需給ギャップは幅を持ってみるべきです。プラスといっても、現在のプラス幅はアベノミクスの頃と変わらず、2019年頃の水準を下回っています。利上げを急ぐ緊急性が乏しいことに変わりはありません。また、イラン情勢の長期化を受けて、PB黒字化は少し遠のきそうですが、中長期的な財政の改善基調は変わっていません。

*3:イラン戦争は極めて不確実性が高く、原油価格上昇は供給ショックでインフレ的にも働くのは明白ですが、資材不足による生産中止による景気悪化は逆の影響もあたえるでしょう。どちらにせよ特に慌てて動くような理由がない状況です。

*4:約18.3兆円の2025年度補正予算案は「コロナ禍以降最大規模」と喧伝されたが、当初予算と補正予算を合わせると、国債発行額は昨年度より少なく、財政刺激の規模は限定的でした。これが大きく物価を引き上げる効果を持つことは最初から考えにくかったし、事実そんな影響はなかったのです。

*5:なお、イラン戦争に対応したガソリン補助金は(似た政策は他国もしているので日本だけ無能といった批判はバランスを欠きますが)、中東情勢の短期収束を見込んでのものだったなら緊急措置として一応は部分的に正当化されなくはないでしょうが(殆ど正当化できないと思いますが)、ホルムズ海峡の封鎖がいつ終わるかは不確実な現状で延々と続けるべき政策ではありません。価格メカニズムを歪め浪費を促すのは望ましくないですし、財政負担から言っても速やかに打ち切るべきです。減税でガソリンがせっかく値下がりしたのに、また地政学的理由で値上がりするのは残念ですが、実際に不足が起きているのですから仕方ないことです。