柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

そもそも拙著は「フリードマンをリフレ派にしている」か

私が池田信夫先生に公開書簡*1を書いたのは、意見の相違があるとかそういう問題以前に、私の著作や番組に対する池田先生の評価が基本的な点で事実に反しているからです。今日は拙著への先生のご評価について、いくつか追加的なコメントをさせていただきます。

拙著の「リフレ派」への言及はたった一か所です

池田先生によれば、私の『ミルトン・フリードマンの日本経済論』は、「フリードマンは日本経済なんか論じてないのに、思い込みでフリードマンをリフレ派にしている」「ひどい本」*2なのそうです。先日発表されたご論考「フリードマンはリフレ派だったのか」の中でも、「フリードマンが「私はリフレ派だ」と言ったこともない」*3とコメントされています。

しかし、私は「フリードマンはリフレ派だった」とか「フリードマンが「私はリフレ派だ」と言った」等とは全く主張していませんし、そんなことはどこにも書かれていません。あたかもそういうことが書いてあるかのように書くのはやめていただきたいです。

そもそも『ミルトン・フリードマンの日本経済論』に「リフレ派」という言葉が登場するのは次の一か所のみです(Kindle版175頁)。

「2013年3月には日銀の人事が一新され、新総裁に黒田東彦氏、副総裁に岩田規久男氏、中曾宏氏が就任した。岩田氏は上智大学および 学習院大学教授として、長年デフレ脱却のための 金融緩和 の必要性を訴え続けてきたリフレ派の中心的な存在である。」*4

私が「思い込みでフリードマンをリフレ派にしている」というのは根拠がありません。きつい言葉を使わせていただくと、それこそ単なる「思い込み」です。

私は殆どのページを生前のフリードマン自身の発言とその解釈にあてています。本の内容は正確に書いていただきたいと思います*5

フリードマンは日本経済なんか論じてない」でしょうか?

フリードマンは日本経済なんか論じてない」というのは議論の余地なく誤りです。フリードマンが日本経済について議論し、政策提言をしていたのは客観的事実です。

2月11日の投稿では、池田先生は「フリードマンは日本経済なんか論じてない」し、「日本に政策提言もしていない」のだから、柿埜の本は「でたらめ」で「ひどい本だ」と主張されていましたが、5月27日の論考*6では、フリードマンが90年代後半に日本経済を論じたことは認めておられます。

池田先生からいただいた反論によれば、

私が「フリードマンは日本経済なんか論じてない」というのは、最近のリフレ論争の話で、これは彼が2006年に死去したのだから当然です。

とのことですが、「フリードマンは2006年に死んだ後も日本経済を論じている」などというありえないことを主張している人は誰もいません。無論ですが、私の本もそんなことは全く言っていません。ですから、いずれにせよ先生のご批判は不当です。

それに、先生の文章を普通に読めば、「フリードマン生前に一度も日本経済なんか論じてない」(にもかかわらず、柿埜は「思い込み」で「でたらめ」を書いた)と理解するのが自然です。池田先生ご自身の意図がどうであれ、このようなツイートは、私の社会的評価を大きく低下させるものであり非常に迷惑です。このような誤解を招くツイートは削除していただくのが当然ではないかと思いますが、いかがでしょうか*7

もし、先生のような言い方が通用するのであれば、「フリードマンは経済学なんか論じていない」し、「経済学の論文も書いていない」といっても良いことになります(2006年に死んで以降書いたものはもちろん何もないのですから)。

ミルトン・フリードマンなんて経済学者は存在しない」、「モーツァルト交響曲なんか作っていない」、「アメリカは独立戦争なんてしていない」といった不条理な主張はいずれも”正しい”でしょう。何しろ、確かに「今は」そうではないのですから。

しかし、控えめに言っても、こういう言い回しは人を誤解させるミスリーディングな言い方ですし、やめていただきたいです。

金融政策の効果に関してはフリードマンは間違っていたかもしれないですし、池田先生が正しいということは大いにありうるでしょう。池田先生は、フリードマン量的緩和への支持を「多くの点で正しかった彼の唯一の誤り」*8だと主張されていますから、その「唯一の誤り」を評価する私の本が下らないものに見えるとしても仕方ありません。私の本は「絶版にすべき」で、「ひどい本」だという評価は変えていただかなくて結構です。ですが、明らかに事実誤認のツイートは撤回してください。そのうえで、改めて批判されたら良いのではないでしょうか。

*1:池田信夫先生への公開書簡((1)(2)(3)(4)(5)(6))および、池田先生からのお返事へのコメントをご覧ください。

*2:https://twitter.com/ikedanob/status/1624335622734491651?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1624335622734491651%7Ctwgr%5E2becf0e601781db562fe59e9010eca5ca1313066%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fikedanobuo.livedoor.biz%2Farchives%2F52076338.html

*3:池田信夫 blog : フリードマンはリフレ派だったのか (livedoor.biz)

*4:ミルトン・フリードマンの日本経済論 (PHP新書) | 柿埜 真吾 | 国際ビジネス | Kindleストア | Amazon 岩田氏は金融政策を重視してきた点でフリードマンと共通点があるとしていますが、同時に「岩田前副総裁の立場は、金融政策のレジームの重視や財政政策や再分配政策への視点ではフリードマンと大きく異なる」ことも明記しています。

*5:なお、池田先生は、2011年に『もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら』という本を出されています。この本の中で先生は、財政破綻した近未来の日本経済を小泉進次郎氏が『資本主義と自由』に基づいて再建しようとするフィクションを書いておられます。この本ではフリードマンの1990年代、2000年代の日本経済への評価等は取り上げておらず、フリードマンの原典からはかなり離れた自由な内容の作品です。作品に登場する小泉進次郎氏も、実際の小泉進次郎氏とはだいぶ違うように思えます。本書に登場する政党名や人物名は実際とは違う名前(とはいえ、容易に想像できる名前)になっており、フィクションであることを強調するつくりにはなっていますが、小泉進次郎氏は実名です。こうした作品を書いておられる先生が拙著を批判されるのは理解に苦しみます。

フリードマンは、1990年代から2000年代初めに量的緩和を支持し、西山千明氏やリフレ派の中原伸之氏と連絡を取りあっていましたし、たくさんの論考を発表していますから、彼が日本のリフレ派に近い立場をとっていたのは客観的な事実で、一般に認められていることです。私の本からフリードマンはリフレ派に近いという印象を受けたならそれは間違っていませんが、私は自分の勝手な思い込みやフィクションではなく、きちんと出典を挙げていますし、明確な証拠に基づいて書いています。

*6:池田信夫 blog : フリードマンはリフレ派だったのか (livedoor.biz)

*7:例えば、『モンテスキューの日本文化論』という本があったとしましょう。この本に対して、「ひどい本だった。モンテスキューは日本文化なんか論じてないのに、思い込みでモンテスキュー社会学者にしている。出版社は絶版にすべきだ」という感想を書いた評論家がいたとします。実際にはモンテスキューは日本文化を論じていますから、これは虚偽の主張です。著者が抗議したところ、その評論家の方が「私が「モンテスキューは日本文化なんか論じてない」というのは、最近の日本文化の話で、これは彼が1755年に死去したのだから当然です。」と回答したとしたらそれが通用すると思いますか?「モンテスキューの日本文化論は役に立たないもので、現代の日本社会を理解する上では使えない。著者はくだらないものを評価している」というなら話はわかります。ですが、そういうことが言いたいなら、誤解の余地がないようにはっきりそう書くべきでしょう。

*8:池田信夫 blog : フリードマンはリフレ派だったのか (livedoor.biz)