柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

投資詐欺と経済学の常識

著名人の名前を騙った投資詐欺が流行っているようです。

投資詐欺が急増!名前悪用された有名人も注意呼びかけ|NHK 北海道のニュース

私が親しくさせていただいている先生方も勝手に名前を使われて被害に遭われていますが、SNS運営側もさっさと取り締まってほしいものです。なりすましをみかけた方はぜひ通報にご協力ください。

田中先生の書いておられる通りですが、そもそも経済学者で「必見!必ず儲かる株式投資!」なんてやる人はいません(笑)。もしそういう人がいたら、それはトンデモ自称経済学者か、なりすましの詐欺師だと思ってよいと思います。

経済学の最も大事な原理の一つは「世の中にフリーランチなどない」ということです。仮に「必ず儲かる株」、「必ず値上がりする株」なるものが本当にあるんだとしたら、誰もがその株を買おうとするはずです。当然、株価は上昇してすぐに儲からなくなるはずです。これは株に限らずなんにでもいえることです。

「濡れ手で粟」の儲け話が本当にあるとしたら、誰もがその事業を始めようとするはずですから、競争が働き、濡れ手で粟の利益を得る機会はすぐ消滅するはずです*1。儲け話の機会なんてそこらに転がっているはずがありません。

百歩譲って仮にそういう話があるとしても、何の理由もなしに儲かる機会をわざわざ教えてくれる人がいるのでしょうか*2。しかも、普通の人で赤の他人に何故教えてくれるのでしょうか。

市場が効率的であれば、濡れ手で粟の儲けの機会は存在しませんし、仮に市場が非効率だとしても、誰にでもわかるような儲けの機会は競争が働いてやはり消滅すると考えるのが妥当です。「怪しげな儲け話には裏がある」というのは経済学以前の常識に近い話ですが、詐欺には本当に注意したいものです。

*1:政府による参入障壁など競争を妨げるものがあれば、高い収益を得る機会はなくならないのではないかと思われるかもしれませんが、政府による参入障壁や補助金がある場合でさえも、政府の支援の獲得のために競争が起きます。レントシーキングにはそれなりのコストがかかるので大きな利益を得られるのは稀です。特に何の特別なコネもない素人が大儲けする機会などありえません。

*2:「手数料を取るから問題ないのだ」というかもしれませんけれど、つまり、それは少なくとも「儲け話を他人に教えることで得られる手数料の収入は、儲け話それ自体の収入よりも大きい」ということです。「儲かる機会を知っているのだが、事業をするお金が十分ないので、あなたの支援が必要だ」と言われた?それなら、その事業は銀行やプロの投資家には安全でないと思われたので融資を断られたということです。それこそ濡れ手で粟のもうけ話ではない証拠です。

男女共同参画センターをめぐる誤解

自分にとって好都合な情報ばかりに飛びついていると、陰謀論的な思考に陥ってしまいがちです。主張の結論が心地良いかどうかではなく、情報の真偽をきちんと判断することが重要です。今回はその好例と言える以下の事例を取り上げたいと思います。

男女共同参画社会をめぐっては様々な意見があるでしょう。しかし、どんな意見であれ、事実に基づいた意見である必要があります*1フェミニストに批判的なのはそれはそれで一つの立場であるとしても、これは無理筋です。業務内容も誤解していますし、予算額も誤解しています。

令和4年度の国家予算の男女共同参画費は15億円です*2。このうち、配偶者からの暴力や性暴力被害者等を支援する民間シェルターやワンストップ支援センターの運営費等は4億5千万円です。日本政府の税収は100兆円ではなく70兆円程度で100兆円というのは一般会計予算の数字ですが、男女共同参画費は一般会計予算の10分の1どころか1万分の1にすら届きません。

都道府県・政令指定都市男女共同参画・女性のための施設整備費をみても、22億7047万4千円に過ぎません。地方自治体の男女共同参画センターの平均事業予算額政令指定都市で8861万6千円、 都道府県で7168万9千円、市区町村で2199万円です*3。男女雇用参画センターは男女共同参画の推進を目的とした広報啓発や講座の開催、女性の子育てや健康等の相談、情報収集・提供といった事業を主として実施しているところです*4。いくら盛大に無駄遣いしても、こんな業務に10兆円も使えるわけがないのは常識的にわかるでしょう。もちろん無駄な予算はカットすべきですが、それで節約できる予算の規模に関して非現実的な見通しを持つべきではありません。

では、10兆円という数字はどこから出てきているでしょうか。これは男女共同参画推進関係予算の数字だと思われます*5。この予算は確かに10兆円ありますが、その中身は皆さんの想像するようなものではありません。これについては既に良質のファクトチェック記事がありますが、簡単に言うと、この予算は、各省庁の男女共同参画と多少関係ありそうな予算をまとめたものに過ぎず、その中身は「フェミニスト予算」というにはほど遠い代物です。特に金額が大きな項目は、「介護給付費国庫負担金等」、「良質な障害福祉サービスの確保」、「児童手当制度(国庫負担分)」、「子どものための教育・保育給付等(国庫負担分)」の4つで、これらだけで70%以上になります。金額の大きい4項目以外についても中身は似たようなものです。要するに男女共同参画推進関係予算と男女共同参画との「関係」は極めて希薄ですし、フェミニズムとの関係は殆どないものです。

もちろん児童手当などは廃止した方がよいという議論はありうると思いますし、現行制度の無駄を改善すべきだというのはその通りです。ですが、10兆円という数字は一般に想像される「フェミニスト予算」の無駄遣いとは殆ど全く関係がありませんし、まして10兆円が「男女共同参画センター」に使われているなどというのは明白なデマです。そういう虚偽の論拠で廃止を訴えるのは不適切です。

こういうことを書くと、「いずれにせよ、無駄遣いを糾弾していて、小さな政府につながるなら、細かいことはいいではないか」とか「柿埜はフェミニスト押しで無駄遣いの味方だ」とか言われそうです。もしそういう感想を持たれるようでしたら、私の書いたことはまるで伝わっていないとしか言いようがありません。私が言いたいのは、「誰それの味方か敵か」、「**の推進に役に立つかどうか」というような理由で、証拠を吟味しないで物事を判断する党派的思考では正しく物事を判断することはできないということです*6

フェミニスト予算」だろうがアンチフェミニスト予算だろうが、無駄な予算は全廃すればいいでしょう。しかし、自分が何を言っているのか何をいくら削ろうとしているのかぐらいは正しく認識している必要があります。そうでないと、結局は無駄をなくすという肝心な目標も達成できないのです*7。これに限りませんが、何であれ、その記事の結論が好きか嫌いかだけで物事を判断すると間違った結論に飛びつくことになりがちです。論証の妥当性、議論の証拠になる情報は正確かどうか常に疑いを持ってみることが重要です。「誰それは**党だから正しい」といった党派的姿勢で物事を見るのは、お勧めできない姿勢です。不都合な事実であっても正しい根拠があれば受け入れる姿勢が大切です。

*1:今回の投稿の趣旨には無関係ですが、一応、男女共同参画社会に関する私自身の立場を書いておきます。私は女性の社会進出に賛成ですし、男女差別に反対です。誰とは言いませんけれども、「女性は働くべきではないしその方が本人も幸福なのだ」とか「生物学的差異があるから男女格差は女性が自分で選んだ結果」とか「差別ではなく区別」などと言い張る「アンチフェミニスト」の方とは正直言って全く価値観を共有できません。ただ、だからといって、男女共同参画社会の実現手段として闇雲に効果の疑わしい規制を増やすことには強く反対です。効果の疑わしい規制は「女性は優遇されているから云々」と言いたがる差別主義者をつけ上がらせるだけです。むしろ女性の活躍を妨げる政府規制(130万円の壁をはじめとする「税金の壁」、教育や医療・介護分野の参入規制、避妊薬の許認可の遅れ等)の撤廃により競争を促進し、民間の道徳的説得や啓蒙活動に努めることが重要だと考えます。競争はもちろん万能薬ではないですが、市場経済の下では不合理な差別をしている企業は競争上むしろ不利になりますから、通常は差別は自然に減少していきます。実際、グローバル化の進む下で、男女間賃金格差はゆっくりとですが世界的に縮小しています。

*2:「共同参画」2022年3・4月号 | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)

*3:資料1 男女センター概況 (gender.go.jp)

*4:女性センター | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)

*5:令和5年度予算についてはこちらを参照してください。

*6:小さな政府を求めるのに反フェミニズムとか殊更にそういう色を付ける意味はないでしょうし、無駄な対立を煽るのは生産的ではありません。日本ではまだマイナーですが、英米には自由主義(リバタリアニズム)のフェミニストもちゃんといます。小さな政府と女性の権利の擁護は全く矛盾しません。

*7:まあ、もしもあなたがただ単にフェミニストへの憎悪を煽ること自体が目的なら不正確でも何でもいいでしょうけれど、私は善意の人に話しているつもりです。

大谷選手の私生活は「コモン」か?

有名人であれ誰であれプライベートでどんなことをしていようと自由であるはずです。仕事に関係ないことの公開を求められたり詮索を受けたりする義務はありません。他人の私生活に土足で入ってくる人たちには本当に嫌になります。

斎藤幸平東京大学准教授*1のような方まで大谷翔平選手の結婚相手が誰かなどという話題に関心を持っておられるのは少々びっくりしました。

斎藤幸平東京大学准教授は、以前「大谷選手も1億円しかもらえないでいいと思う」*2とおっしゃっていましたが、年収だけでなく*3、「オープンな交際」がどうのなどと結婚生活の在り方にまで口を出されてはたまったものではないでしょう。それとも、ひょっとして、斎藤氏の理想とする「脱成長コミュニズム」の社会では、大谷選手の私生活の情報も「コモン(共有)」なのでしょうか。いくらなんでも、まさかそんなことはないでしょう*4

誰と付き合おうと誰と結婚しようと自由ですし、そんなことを世間に報告する義務などありません。以前も別の文脈で書きましたが、「有名税」などといって、勝手に他人のプライバシーを暴き立てるストーカー行為を免罪するのは悪い風潮です*5。本人が詮索されたくないというのですから、それを尊重するのが当然でしょう。

世間から見ていかに風変りであろうが何であろうが、他人の権利を侵害しておらず、当事者同士がその取り決めに満足しているなら、部外者が他人の生活に干渉する権利などありません*6。自由な社会では当事者同士が合意した取り決めは尊重されるべきです。

*1:「サンジャポ」お相手を語らない大谷翔平「アメリカ人からするとおかしい」東大大学院准教授が指摘「ここまで隠すのは…」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

*2:「所得上限を設けて再分配。“大谷選手も1億円しかもらえない”でいいと思う」 斎藤幸平氏が提唱する“脱成長”3つのポイント | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ

*3:大谷選手の年収は、ロサンゼルス・ドジャースと本人が合意しており、観客が喜んでお金を払っているのですから、全く問題ないと思います。誰を搾取したわけでもありませんし、誰かを不幸にしているわけでもありません。むしろ全く逆でしょう。私には一体何故悪いのかわかりません。

*4:まあ、こういうゴシップの番組でコメントを求められて、答えに困ってこういう話をしたのでしょうからそれは同情します。敢えてこの話題を取り上げるのは少々意地悪かもしれません(ごめんなさい)。とはいえ「世間ではどうしているか」とか「普通はどうか」とかは余計なお世話だと思います。仮に何か言うなら、「本人がそっとしておいてほしいと言っているのですから尊重すべきで、コメントは特にありません」で良かったのではないでしょうか。

*5:記者会見を開いた理由について、大谷選手は「一番はみなさん(メディア)がうるさいので」と言っておられましたね。拍手を送りたいところです。

*6:さらに言えば、自分の権利を行使しているだけの当事者が世間に対して自分の決断の理由を申し開きしなければならない理由もありません。誰にも迷惑をかけていないのですし、「普通でない理由」を説明するように強制されるいわれはないのです。これは他の問題についても言えることだと思います。本人の自由で良い問題、当事者で話し合えばいい問題に赤の他人があれこれ口を出し、「こうあるべきだ」とかいうのは余計なお世話で、その方がよほど覗き趣味で不道徳だと思います。

書評『プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解』

拙著『本当に役立つ経済学全史』を出版させていただいたテンミニッツTVの講義録シリーズから、この度、第2弾として納富信留先生のプラトンの『ポリテイア(国家)』の解説書が出ましたので、ご紹介させていただきます。

プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解 (テンミニッツTV講義録 2) | 納富 信留 |本 | 通販 | Amazon

かつて20世紀英国の哲学者ホワイトヘッドは、西欧哲学の伝統は「プラトンに対する一連の脚注からなっている」と述べたことがあります*1。実際、西洋哲学を理解するには、その思想に賛成するにせよしないにせよ、プラトンの哲学を知っておくことが前提になります*2。本書にも紹介されているように、プラトンの『国家』は、哲学の専門家や哲学科の学生の間でも最も読まれている本です。

『国家』の注解書には優れた本がたくさんありますが*3、本書は、現代日本の読者が『国家』を読むうえで、知っておくと便利な前提知識や勘所を紹介する優れた入門書です。プラトンの同時代人には自明でも、現代人が読むとわからない当時の時代背景やプラトンの対話篇の舞台設定の意味*4など、プラトン研究の第一人者である納富先生のご研究を踏まえた興味深い話が紹介されています。

『国家』と言えば、ポパー『開かれた社会とその敵』以来、民主主義の批判者、危険な全体主義に通じる思想家としてのプラトンの側面がクローズアップされてきましたが、本書ではプラトンの僭主政に関する議論なども紹介しつつも、この作品の本来のテーマは正義論や人間の在り方についての議論であることを指摘し*5プラトンの正義論や人間論、教育論等に主に焦点を当てています*6プラトンの提起した問題や鮮やかな比喩*7は彼の結論に同意するかどうかは全く別として*8極めて刺激的ですし、その後の西洋哲学や文学に大きな影響を与えたものばかりです。

プラトンの思想と現代社会とのつながり、例えば現代の日本の小学校教育で体育や音楽の教育がされるようになった背景に、プラトンの教育論がかかわっているといった挿話も楽しく読めるでしょう*9。本の「あらすじ」を単に要約したような安易な入門書とは一味違う洞察が得られる一冊です。初学者だけでなく、哲学が好きな方も楽しんで読めると思います。

*1:A. N. Whitehead, Process and Reality: An Essay in Cosmology, New York: Free Press,1978(Originaly published in 1929), p.39(邦訳は『過程と実在』上, 山本誠作訳, 松籟社, 1984年,66頁).

*2:全く違う時代に生きている現代人にはプラトンの哲学は縁遠い部分が少なくありませんが、自分と違うからと言って関心を持たないのはプラトンのような大きな影響を持った思想家に対しては不当な態度でしょう。私はどちらかというと反プラトン派なのですが(笑)、良い悪いは別として、マルクス等と同様にプラトンは思想史を理解する上で極めて重要な思想家であると考えます。現代でも哲学科ではプラトンの著作はもちろん必読書ですし、そうあるべきです。哲学だけでなく、芸術についてみても、プラトンは多くの芸術家にインスピレーションを与えています。例えば、新プラトン主義はボッティチェリミケランジェロなどのルネサンスの芸術作品を理解する上で不可欠です。世界を数学で解明できると考えたガリレオ・ガリレイのような科学者はプラトン主義から影響を受けていますし、(まあ、かなり遠いつながりしかないにしても)プラトンイデア論にちなむ「数学的プラトニズム」は今も支持者のいる学説です。これは本書でも紹介がありますが、『国家』におけるプラトンの男女平等論は男尊女卑が強烈だった古代ギリシャではかなり革新的です。もちろん、プラトンは女性の権利にさして関心を持っていたとは言えませんし、その正確な意図や限界(例えば『饗宴』で間接的にディオティマという女性が出てくる以外は対話篇で議論に参加するのは男性で、女性は登場しても重要な議論に参加できない(『パイドン』)等)をめぐっては議論はあるにせよ(簡単にはこちらを参照)、プラトンが時代を超えて影響を与え続けている思想家であることは間違いないでしょう。

*3:例えば、次の2冊は入手しやすくお勧めです。名著誕生4 プラトンの『国家』 (名著誕生 4) | サイモン ブラックバーン, Blackburn,Simon, 元, 木田 |本 | 通販 | Amazon Amazon.co.jp: プラトン 『国家』――逆説のユートピア (書物誕生 あたらしい古典入門) : 内山 勝利: 本

*4:プラトンの作品は『ソクラテスの弁明』や書簡を除けば、いずれも対話篇の形式をとっていますが、その登場人物や舞台設定はいい加減なものではなく、大抵の場合は実在の人物が登場し、対話の時期についてもかなりしっかりと年代や時代背景を特定できるように書かれている場合が殆どです。

*5:なお、納富先生は、この作品が国家論、政治哲学の本として狭く解釈されてしまうことを避けるために、本書では伝統的訳語である『国家』を避けて『ポリテイア』という原題を使っています。原語は「国家」よりもむしろ「国のあり方」の意味に近く、内容も「魂の構造や宇宙の構造も含めた、あり方の問題」(本書20頁)を扱っているといえるので、『国家』という訳語は不適当と指摘されています。ただ、この書評では『ポリテイア』と書くと馴染みがないと思いますので『国家』で通しています。

*6:ポパーの議論にはかなり批判もありますが、私は評価すべき点が多いと考えます。本書にも紹介されていますが、プラトンの政治思想と20世紀の全体主義との関係を知りたい読者は、ポパーの前掲書の他、佐々木毅先生の『プラトンの呪縛』や納富先生の『プラトン 理想国の現在』も併せて参照されるとよいでしょう。ちなみに、プラトン自身は、今のイタリアにあったシュラクサイという都市の僭主を哲人王にしようとして3度もシチリアに旅行していますが、失敗しています。

*7:詩人追放論者プラトンには皮肉なことですが、彼自身が比喩の天才であり優れた詩人でした。まあ「自分の比喩と詩は良いがホメロスやヘシオドスはダメだ」ということなんでしょうが(笑)。

*8:当然ですが、理解することは賛成することではありません。アリストテレスからニーチェに至るまで多くの哲学者がプラトンに反発し新しい哲学を生み出してきました。プラトンは重要な哲学的問題を提起した思想家として(問題にうまく答えたかは別として)確かに哲学の出発点に位置付けられる人だと思います。

*9:体育や音楽が苦手だった学生の皆さんが恨むべきはプラトンかもしれません(笑)。古代ギリシャでは音楽が人間の魂や政治と深く関係すると考えられていたのは興味深い点です。アリストテレスの『政治学』にも音楽談義があります。

陰謀論の無意味さ

陰謀論や人種差別に熱中する方々を見ていて、いつも疑問に思えてならないのは、それがあなたの人生に一体何の役に立つのですかということです。

例えば、プーチン大統領やらトランプ前大統領やら何とかやらが正義の味方だとか光の戦士とかだとして、だからどうしたのでしょうか。DSやらなにやらについて込み入ったプロットを覚えるのは結構ですけれど、ここは日本なのですから、それは騒いでいる方々の生活に特に重大な関係はないでしょうし、日本に住む私たちがどうにかできる話ではないでしょう。少なくとも、YoutubeやXを眺めているだけで重大な世界の秘密を知ったり世界を救ったりできるとは到底思えません。外国の作家とか歌手とかに夢中になるなら大いに理解できますが、外国の政治家にどうしてそこまで肩入れできるのでしょうか。それが本当だとして、それで、だからどうだというのでしょうか*1

まあ、死んだと思われた誰それが実は生きていたり、***氏が実はゴムでできていたり爬虫類だったりしたら*2、それはまあまあ面白いですが、そんな出来の悪い陰謀論を読むより、SF映画でも見た方がよほどよいと思います。

同様に、***人は全員邪悪で化け物みたいな人たちだなどという信じがたい馬鹿げた話を真面目に信じるよりは、ゾンビ映画でも見た方がいいのではないでしょうか。どちらにせよフィクションなんですから、もっと面白い方を見るべきでしょう。半端な陰謀論よりずっと洗練されていて作りこまれた設定の名作はたくさんあるんですから、その方が楽しいですし害がありません。

韓国や中国にルーツを持つ方が日本で活躍するのを妨害したら、それが何の得になるんでしょうか。それで生活が良くなるでしょうか。どん兵衛を食べるのを我慢し、高千穂には絶対に観光に行かないことにしたら豊かな老後を過ごすことができるんでしょうか。毎日のように外国人への憎悪に取りつかれてYoutubeやらXやらにかじりついている人生が幸福でしょうか。

マイノリティの方がひどい目に遭ったりするようなことが起きたら、その分だけマジョリティが利益を受けるという発想は出来の悪い社会主義的な発想です*3。韓国あるいは中国の方が豊かで幸せになると日本人はその分だけ不幸になるなんてそんな馬鹿な話はありません。そういうゼロサム的な発想は社会を貧しくし、誰もが不幸になるだけの最悪の考え方です*4

どうしても政治がやりたいなら*5、世界の陰謀とやらと戦おうとしたり、しょうもないCMやらミスコンのバッシングに夢中になったりせずに、まずは身近な地方自治体の予算の無駄を探したり減税を訴えたりするとか、自分ができる身の丈に合った地道なことから始めるべきでしょう。

陰謀論や極右の言説に熱中するのはたぶんそれはそれで孤独な人生の慰めや生きがいになるのでしょうけれど、同じ楽しみは芸能人に熱中したり趣味に熱中しても手に入ります。その方が誰も傷つけないですし、ずっと楽しいでしょう。それだと「日本のために高尚な活動をしている」という高揚感は得られないかもしれませんけれど、実のところ、陰謀論者や極右が重要だと騒いでいる問題は、たとえ本当だとしても(ほぼ全て完全な出鱈目ですけれども、それはともかく)、日本の未来どころか、私たちの生活にも人生にも本当は殆ど何の関係もないはずの問題です*6。まあ、既に陰謀論のかなたに行ってしまっている方にはこんなことを書いても無駄かもしれませんが…

*1:常日頃は「権力を疑え」とか「政府は信用できない」とか言いながら、どこの誰ともわからない匿名のXやYoutubeの情報を信じたり、トランプ前大統領やプーチン大統領の発言ならすぐ鵜呑みにするというのは全くいただけない姿勢です。「自国政府は信じないが、ロシア政府の情報なら信じる」というのは「反権力」ではなく単に「ロシアの御用学者」だというだけでしょう。愛国者でも保守でもリバタリアンでもリベラルでも何でも結構ですが、外国の独裁的政治家のプロパガンダを頼まれもしないのに懸命に伝える陰謀論者になるよりはもう少しましな生き方がありそうなものです。

*2:おそらく陰謀論に詳しくない方は一体何を言っているか意味が分からないと思いますが、そんな荒唐無稽な話を真面目に信じる陰謀論者もいるんです。

*3:最近では、極右の方々は、LGBTの権利活動家やら米国民主党やらネオコンやらをやたらと共産主義者扱いしていますが、そういう不正確な言葉遣いには賛成できません。少なくとも、歴史的な共産主義LGBTを犯罪者扱いし米国のグローバリズムとやらと戦っていたのですから、極右の皆さんの同志ではあっても敵ではありません。例えば、ベラルーシのルカシェンコ大統領はスターリンレーニンを尊敬していると公言していますが、反LGBTの急先鋒ですし、極右の大好きなロシアのウクライナ戦争を支持しています。意外と極右の皆さんとは話が合うのではありませんか?嫌いだからってなんでも見境なしに「共産主義」と呼ぶのはおかしいですし、食わず嫌いは良くないですよ?

*4:多くの社会主義者は金持ちが豊かなのは貧しい人を搾取しているからだと信じ、金持ちを貧乏にしたがります。一方、国粋主義者は外国人が成功すれば日本人が貧しくなると信じ、外国人を貶めたり外国の経済危機を喜んだりしています(実際は外国の経済危機は日本の貿易を縮小させ、日本にもマイナスになる場合が圧倒的なのですが)。外国人のせいにするか、金持ちのせいにするかという違いはあっても、どちらの世界観も決まった大きさのパイの取り合いとして世界をとらえている点では大して変わりません。

*5:なお、私自身は他の社会に役立つ活動と比べて、とりわけ政治が社会をよくする活動だとも高尚な活動だとも思いません。例えば、顧客が喜ぶ優れた製品を開発する企業家は、無意味な政策を立案し、新たな規制を作る政治家よりもよほど社会の役に立っているでしょう。政治をやっている、政治に関心があるというだけで他人より自分が偉いと思って見下すような方とは個人的には関わりたくないですね。

*6:思想以前の問題として、CMやらミスコンやら実に些細なことの攻撃に本気で全力投球されているのを見ると、天下国家を論じる前にまず物事の重要性の程度を判定する最低限の能力がないと何もできませんよと言いたくなります。

書評掲載(2/16)

少しお知らせが遅くなりましたが、週刊読書人2月16日号に、池尾愛子著『天野為之 日本で最初の経済学者』ミネルヴァ書房)の書評を掲載させていただきました。ぜひご一読いただければ幸いです!

天野為之は、福沢諭吉や田口卯吉と並び明治日本の3大経済学者と称えられた経済学者です。ジョン・スチュアート・ミルの経済学から影響を受け、自由貿易や自由市場経済を説いたことで知られていますが、これまでその業績はあまり顧みられてきませんでした。本書は天野の経済学を、当時の時代背景や同時代の思想家とのつながりを検証することで再評価した興味深い一冊です。

明治期の日本の経済政策は、殖産興業などの産業政策が有名で、さぞ介入主義的だったのだろうと思われがちですが、実際には官営工場設立などの政策は大赤字を出して失敗に終わっていますし、官業払下げですぐ民営化されています。明治日本の基本的な政策は自由貿易、自由市場経済の下での近代化であり、西欧諸国の優れた文明を取り入れ、株式会社など近代的な資本主義の制度を積極的に採り入れる政策が中心でした。こうした近代化政策を理論的に支えたのが天野をはじめとする自由主義経済学者です。

日本が開国した当時、世界で主流だったのは自由市場経済の重要性を説く古典派経済学であり*1、日本に経済学を伝えたフェノロサ*2ボアソナード、アペール*3、ラーネッド*4といった人たちが教えたのも古典派理論でした。天野の経済学は古典派経済学を消化した上で、経済学方法論や限界効用理論など当時最先端の知見を取り入れたものでした。明治期にも保護主義的、国家主義的な経済思想はありましたが、当時のベストセラーは天野の『経済原論』で、経済政策の基調は自由主義でした。これは日本の経済発展にとって幸運なことだったといえるでしょう*5

「学理と実際の調和」をモットーとしていた天野は『東洋経済新報』を率いて経済評論でも活躍し、実際の経済政策にも積極的に発言しています。本書は、天野の思想が植民地主義を容認しているものの一貫した自由貿易、門戸開放主義であったことを評価し、日露戦争後の日本の暴走を警告した朝河貫一イェール大学教授との接点等にも触れています。大正デモクラシーの時代になると、『東洋経済新報』は植松孝昭、三浦銕太郎、石橋湛山らが植民地主義を真っ向から批判する論説を掲載し、急進的自由主義の牙城となっていきますが、天野時代にもその萌芽はあったといえるでしょう*6。天野の経済学は古典派の色彩が強い一方で、ケインズ的発想も見られるという本書の指摘は、昭和恐慌期に高橋是清石橋湛山といった天野とゆかりのある人々がデフレ不況を財政金融政策によって克服する処方箋を唱えたことを考えると極めて興味深いものです。

経済思想史でもスター経済学者にばかりスポットライトが当たりがちですが、大スターの活躍も先人の活躍があってこそのものであることがしばしばです。忘れられた経済学者を再評価する本書のような取り組みは大変貴重です*7

*1:1870年代の限界革命で登場した新古典派経済学が主流になるのはもう少し後です。

*2:今日ではもちろん日本美術の再評価の方で有名な人ですが、実は東大で政治学や経済学(当時は「理財学」)を講義し、日本に初めて本格的に経済学を伝えた人でもあります。なお、フェノロサは東大の講義ではジョン・スチュアート・ミルの『経済学原理』を基本とした内容を教えていたようですが、ジェボンズMoney and the Mechanism of Exchange(1875)など当時としては新しいテキストも参考書に挙げていて比較的水準の高い講義をしていたのではないかと思われます。天野はフェノロサの弟子で、自由主義経済学を継承した人です。ちなみに、東大はフェノロサの後、ドイツ歴史学派の影響を受けた和田垣謙三(彼も『リア王』の翻訳とか本業以外で結構活躍した人ですが)が経済学の講座を引き継いでおり、どちらかというと国家主義的な傾向が強くなりますが、天野が教えた東京専門学校(後の早稲田大学)等の私学や、民間の間では自由主義経済学が盛んでした。

*3:ボアソナードの名前は法政大学にボアソナードタワーがあるからご存じの方も多いでしょうが、フランスの法学者で、お雇い外国人として日本の法制度の近代化に尽力した日本近代法の父です。アペールもお雇い外国人として来日したフランスの法学者です。2人とも法学者なのですが、東京法学校(後の法政大学)、明治法律学校(後の明治大学)、東大などで経済学も教えています。彼らの教えた内容は、イギリスの古典派経済学に加えて、セー、バスティアなどフランスの自由主義経済学の伝統を受け継いだものでした。

*4:同志社の第2代学長として有名ですが、経済学も教えています。古典派経済学を引き継ぎながら独自の立場を模索した内容ですが、基本的には自由主義的です。

*5:その後、昭和恐慌で軍国主義が台頭し、2・26事件以降は戦時統制経済国家社会主義が主流になるわけですが、言うまでもなくこれは破滅への道でした。

*6:もっとも、天野の主張には時期によってかなりブレがあり、石橋湛山のような一貫した反帝国主義とは到底言えないのですが、当時大多数が帝国主義を支持していたことを考えれば、軍拡に伴う経費の増大や無謀な軍国主義が日本の孤立を招く危険性などを冷静に批判していた天野の先見の明はやはり評価に値するでしょう。

*7:なお、念のため一応お伝えすると、本書は専門書で、わかりやすく書かれてはいますが、きちんと理解するには一定の知識は必要ですので、初学者にはややハードルが高いかもしれません。が、敢えて紹介させていただいたのはこうした忘れられた経済学者にも目を向けていただければと思ってのことです。

2%と200%の違い

先日オーストリア学派のレトリックを中途半端に使った増税を支持する議論を批判したので、あるいは誤解があるかもしれませんが、私は別に真面目にオーストリア学派を研究している方に喧嘩を売っているわけではありません*1。私が言いたかったのは単にリバタリアンの本丸は減税や規制改革であって、金融政策の意見の相違を理由に減税派を攻撃したり専ら反金融緩和ばかり唱えたり、まして増税を主張したりするようになっては本末転倒でしょうというだけのことです。

多くの場合、オーストリア学派の主張は有益ですし、それは私自身これまできちんと評価し紹介してきたつもりです。例えば、最近の話で言えば、オーストリア学派の経済学者出身のアルゼンチンのミレイ大統領が進めている規制改革や歳出削減は称賛に値すると思っています*2。アルゼンチンが経済自由化を進めることは不可欠でしょう。アルゼンチンの通貨であるペソを廃止して米国ドルを代わりに使うドル化政策、中央銀行廃止についても、アルゼンチン中銀の散々な実績を考えるとありうるオプションです*3

では、金融政策に関してアルゼンチンと同じことを日本に勧めないのはなぜかと言えば、それは単に状況が違うからです。2023年12月の消費者物価指数でみた日本のインフレ率は前年同月比2.6%です。アルゼンチンは211.4%です。アルゼンチンは、世界で最も高いインフレを起こしてきた高インフレ国です。一方、日本は世界最低のインフレ率(デフレ)の常連の国ですし、今でも国際的に見てインフレ率の低い国です。200%以上のインフレの国と2%のインフレの国では優先課題やなすべき政策が違っていてもおかしくないのではないでしょうか。

インフレーションはいつでもどこでも貨幣的現象であるというフリードマンの言葉の通り、アルゼンチンの極端なインフレの主な原因は爆発的な貨幣量の増加をもたらした金融政策です。アルゼンチンの広義貨幣量M2の前年同月比増加率は2023年12月には 142.3%でしたし、2024年1月には 182.4%です。これはどんな基準から見ても大きすぎますし、アルゼンチンでは貨幣の急増を止めるのが急務であるのは明白です。アルゼンチン中銀はこれまでも財政ファイナンスのために過大な貨幣の増加を容認してきましたし、猛烈なインフレを何度も起こしてきました。アルゼンチンのインフレを止めるには厳しい金融引き締めが必要ですし、ドル化は究極の安定化政策です。アルゼンチン中銀の一向に改善されない散々な実績と信頼のなさを考えると、ドル化にはリスクはあるものの、それはそれでありうる政策であると思います。

一方、日本はM2の前年同月比増加率は2023年12月には2.3%、2024年1月には2.4%でした。日本の貨幣の増加率はバブル崩壊以降は大体この程度ですが、これは主要国でも最低水準です。ちなみにバブル崩壊以前は日本の貨幣量は約8%で増加していました。貨幣量以外の基準をとることもできますが、日本の金融緩和の効果は穏やかなもので、景気の極端な加熱も極端な物価上昇も起こしていません。破滅論者の期待するような顕著な副作用も別に生じていません*4

日本の金融政策には様々な課題があるでしょうし、ご批判もあるでしょうけれども、日本の喫緊の課題が高すぎるインフレや金融緩和の行き過ぎであるとは思えません。イデオロギーではなくてデータを素直に見る限り、インフレの悪に関する一般論や昔の格言を、インフレ率の違いを無視して日本にもアルゼンチンにも同じように当てはめるのは無理があるでしょう。日銀はアルゼンチン中銀とは似ていませんし、日本のインフレをアルゼンチン同様の大問題だと主張するには少なくとも100倍ほど話を誇張しなければならないでしょう*5

まあ、もちろん、それでも、日本のインフレ率を2%から0%(あるいはマイナス?)にすることが是非とも必要でそう考えない奴は絶対に許さないし自由主義者の資格を認めない!というのであれば、それは意見の相違でもうどうしようもないでしょう*6。別に私は特に言葉にこだわる趣味はありません*7。とはいえ、インフレとか金融緩和を終わらせることが今の日本にとって自由な社会の実現のためには不可欠で最優先の課題かと言えば、さすがにそれは違うのではないでしょうか*8。金融政策がどうであれ規制改革も無駄な歳出の削減も適宜進めればよいだけでしょう。金融緩和を潰しデフレに戻すのが規制改革とか歳出削減の必要条件だとしたら、そんな条件を満たしている国はありませんが、実際は規制改革が進んでいる国はいくらでもあるのですから、そこにこだわる意味はないのではないでしょうか。別に金融政策で何でもできるわけではありません。

*1:一部の方から極端に攻撃的な批判をいただいたので驚いたのですが、私は別に特に特定の方を念頭に置いた個人攻撃やそう受け取られる表現をしたつもりはなかったので誤解を招いたなら申し訳なく思います。一貫したオーストリア学派の経済学の紹介をされている方は意見は違っても尊敬に値すると思っています(例えば、こちら)。

*2:ただし、ミレイ大統領の経済以外の政策については、中絶禁止など議論の余地のある政策があります。特に女性の選択の自由を制限する中絶禁止には強く反対です。

*3:何が何でも特定の政策を常にどの国にも万能薬のように処方するとかそういう趣味は私にはありません。状況に合わせて処方箋は異なるでしょうし、それは当たり前です。中央銀行が無能で信頼がなく、独自の金融政策を持つメリットよりもその弊害の方が上回ると予想される途上国の場合、ドル化は一つの選択肢になりうるでしょう。ただし、ドル化を推進するにあたっては、歳出改革を徹底する必要があります。そうでないと財政破綻のリスクが高まります。また、ドル化に幻想を持つべきではありません。ドル化していても、パナマエクアドルエルサルバドルといった国はさして経済自由度が高い国ではありませんし、いずれも貧しい国です。例えば、ヘリテージ財団の公表するEconomic Freedom Indexの2023年のデータを見ると、経済自由度のスコアは日本が69.3であるのに対し、パナマが63.8、エルサルバドルが56、エクアドルが55です。パナマは日本と同じくmostly freeに分類されますが、エルサルバドルエクアドルはmostly unfreeに分類されています。

*4:例えば、金融緩和のせいで政府が借金漬けになったという人もいますが、日本の債務残高が大きいのは今に始まったことではなく2012年に既に純債務残高の対GDP比は144%でした。アベノミクス以降、コロナ禍を除けば政府債務の伸びはむしろ鈍化しています。例えば1990-2012年にかけて毎年平均して純債務残高の対GDP比は5.7%ポイント上昇していましたが、2012-2023年では1.3%ポイントに下がっています。2012~2023年にかけて政府の純債務残高は対GDP比で14.6%ポイント上昇しましたが、IMFにデータのある87か国の平均は12.7%ポイント、中央値は15.5%ポイントですから特に日本が大きいわけではありません。

*5:なお、個別の資源価格の高騰は、中央銀行原油も食料も生産できませんので、金融政策のせいにしても解決できません。対策としてはガソリン税や関税引き下げといったミクロ的な政策で対応すべきです。最近起こった悪いことは何でも中央銀行のせいというのは無理筋ではないでしょうか。私はそういう中央銀行万能論には反対です。

*6:殆どの国は2%もインフレを目標にしていますし、2012年以前の日本はデフレだったわけですが、それが理想だというなら好きにすればいいでしょう。しかし、インフレ目標を支持したり金融緩和を支持したりする経済学者が「アカ」で社会主義者だというのはさすがに言いがかりです。世界の先進国の大半はインフレ目標を持ちますし、大半の経済学者はそれを支持しています。大多数の経済学者はやはり社会主義者なのでしょうか。そういうわけではないでしょう。せいぜい、どういう制度がいいかの些細な意見の相違ではないですか。

*7:自由主義とかリバタリアンという言葉が資格認定制だとは知りませんでしたが、私のミスですからどうぞ好きなようにしてください。

*8:なお、オーストリア学派を支持するリバタリアンの多くは金本位制を主張していますが、それが自由な社会とどのくらい関係あるのか疑問に思います。金を通貨にする制度もそもそも政府が作った制度ですし、19世紀の金本位制の時代は別に理想的な自由の時代だったとは言えません(例えば植民地主義奴隷制も徴兵制もあった時代です)。金本位制の廃止以降、管理通貨制の下で世界経済は大きく拡大しています。いろいろな意見はあるでしょうが、古い通貨制度に執着するよりも、規制を減らし経済的自由を拡大することに主眼を置くべきではないでしょうか。本題と関係が乏しい技術論にはまりすぎるのはどうかという気がします。