柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

有名税という名の人権侵害

タレントの不倫とか色恋沙汰はゴシップの話題にはなっても、広告や番組から降ろされたり謝罪会見をさせられたりするような話ではないはずです。有名人であっても私生活は尊重されるべきです。

タレントの広末涼子さんの不倫に対するバッシングのおかしさについては、既に多くの方がきちんとした意見を書いておられます。付け加えることは殆どありませんが、常々こういう話はやめてほしいと思っておりましたので、一言書かせていただきます。

週刊誌やテレビ番組がどうやって入手したのか不明な私信を勝手に掲載したり読み上げたりするのは犯罪行為に等しいですし、それに赤の他人がコメントするなど全く異常なことです。勝手に私信を読み上げ、「内容が恥ずかしい」だのとコメントしている人たちの方がよほど恥ずかしいでしょう。たとえ有名人であっても、その私生活を暴き立てることには何の公益性もありません。

自由な社会ではプライバシーの尊重が基本です。不倫はあくまでも私的な事柄です。結婚相手や不倫相手の配偶者に迷惑はかけたでしょうけれども、それは私生活の話であって、公的に謝罪が要求されたり、何の迷惑も被っていない無関係な一般国民に謝らなければならないような話ではありません。

もちろん、こういうことが横行するのは日本では「有名人にプライバシーなどなく、有名税を払うのは当然」といった考えが横行し、私生活のスキャンダルに興味本位で飛びつく人が多いからでしょう。有名人であれば何を言ってもよく、落ち度があれば人権も剥奪できるとでも言わんばかりです。こういった風潮は、最近では欧米流のキャンセルカルチャーと日本の古い道徳がごっちゃになって、ますます強くなっているように思いますが、極めて害の大きいものです。

タレントとして良い仕事をしているならば、その人が私生活でどんな人であろうが関係はないでしょう。タレントに限らず、政治家でもなんでもそうです。誰と付き合おうが別れようがとがめられる筋合いはありません*1

他人の私生活をあれこれ詮索し、気に食わなければ罵倒し罰を与えようとするような社会は窮屈で停滞した社会になりがちです。こういった世論の専制*2が横行する社会では気に食わない活動を禁止するために政府の強制力を使うことにも抵抗がなくなりがちですし、他人と違ったことをしようとする人に対して不寛容であれば創造的な活動も停滞しがちになるでしょう。

誰しも聖人君子ではありませんし、間違いはあるものです。他人の過ちには寛容であるべきですし、再起するのを応援する方が良いと思います*3。たたきやすい相手を叩き*4、互いに足の引っ張り合いをやっているような社会が停滞するのは当たり前です。変な偽善的ピューリタニズムを振りかざすのはそろそろやめにしませんか。

*1:私は政治家に聖人君子を求めるのも間違いだと思います。法を守り、よい政策を支持するなら、その人が私生活でどんな人間でも結構です。実際、私生活のスキャンダルが致命傷にならない国もあります。例えば、フランスでは、サルコジ元大統領やオランド前大統領のように、在任中に離婚、再婚した大統領もいますが、こうした問題はそれ自体はさほど問題にならず、支持率にも殆ど影響していません。政治家としての能力が問題であり、プライベートは関係ないという考え方です。

*2:自由主義の古典、J.S.ミルの『自由論』は政府の専制だけでなく、世論の専制の脅威も指摘しています。通常、この2つの専制は補完しあうものではないかと思います。もちろん、常にそうであるわけではありませんが、最近の日本で政府の私生活への介入を容認する傾向が強まっているのは明らかですし、憂慮すべき事態です。

*3:たとえ刑法上の犯罪の場合であっても本人が反省し再起しようとしているなら個人的には応援したいと思いますし、刑期を終えてもいつまでも犯罪行為を許さないのはどうかと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。

*4:これもすでに多くの方が指摘されていることですが、同意がない性的行為が強要され、本物の刑法上の犯罪行為があったジャニー喜多川氏の性加害事件の報道が抑制されているのと比較すると、当事者間の問題に過ぎない広末さんの事件を大きく報じ、厳しい社会的制裁を加えているのは偽善的です。力が強いジャニーズ事務所には遠慮するけれども、叩きやすい相手には正義の味方ぶって道徳を説教し追い詰めるというメディアの姿勢には疑問を感じないではいられません。こうした風潮は結局、少数派への迫害や弱い者いじめにつながるだけです。