柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

自主規制のダブルスタンダード

最近では、俳優が薬物の使用等の事件を起こすと、あるいは事件ですらない不倫などの問題を起こすと、過去の作品が回収されたり、公開が決まっていた作品が撮り直しになったり公開が中止されたりすることが珍しくありません*1

問題を起こした人物の出演する作品の公開中止や回収を支持する方の言い分は、作品の公開には悪影響がある、事件を肯定することにつながるといったもののようですが、作品と事件は明らかに全く別です。両者を区別しない(あるいは区別できない)のはおかしな話でしょう。視聴者が作品の登場人物と現実の俳優を区別できないほど愚かだという想定は視聴者を小さな子ども扱いするも同然ですし、賛成できない意見です*2

ところが、それでいて、我が国の”良識”によれば、元首相を白昼堂々暗殺した人物の動機や人なりを詳細に同情的に報道し、その人物を礼賛するような映画を大手新聞が宣伝したりしても問題はないようです。薬物犯罪や私生活の問題を起こした俳優を袋叩きにするというのに、大規模な性犯罪の舞台となった疑惑がある大手芸能事務所については不問に付しています。随分理解しがたいダブルスタンダードです*3

政府の明示的な規制は言うまでもなく、自主規制のかたちであろうと、意味の乏しい不合理な規制の多い社会は窮屈で、創造性の乏しい社会になりがちです*4。どう評価するかは人それぞれの判断に任せ、芸術の評価の際には、作品は作品の価値で、俳優の仕事は俳優の仕事内容で判断するのが健全な姿勢だと思います。作品を出演した人物の個人的な問題と結びつけ、いちいち過去の作品の公開を制限したり犯罪を宣伝しているわけでもない作品をお蔵入りにしたりするのは愚かしいことです。いい加減こうした慣行はやめてほしいものです。

*1:最近の風潮に逆らった次のようなニュースを見るのはうれしいことです。「東リベ2」再撮影・再編集行わず予定通り公開に「素晴らしい決断」「嬉しいお知らせ」と反響 場地役・永山絢斗容疑者が逮捕(モデルプレス) - Yahoo!ニュース 麻薬はもちろん日本では認められませんし、法律に従うべきです。とはいえ、麻薬中毒患者は道徳的非難や攻撃の対象というよりも、同情と治療による再起を期待する励ましの対象であるべきではないでしょうか。近年では、欧州諸国や米国の一部の州では、乱用を防止する規制や治療体制を整備した上で麻薬所持を非犯罪化している国もあります(もちろん、だからといって日本で法律を破って良いことにはなりません。麻薬の使用の危険性は極めて高いことは強調しておきます。誤解のないよう)。薬物の使用はいわゆる被害者なき犯罪ですし、本人こそ被害者といえますから、少なくとも性犯罪や殺人等の重罪に比べれば遥かに情状酌量の余地は大きいでしょう。

*2:詩人のヴィヨンは泥棒でしたし、コールリッジやボードレールヴェルレーヌといった詩人は麻薬中毒患者でした。偉大な画家であるゴッホは傷害罪を犯し、カラヴァッジョは殺人犯でしたが、その作品と人物の犯した罪を私たちは全く問題なく区別しています。ゴッホ展もカラヴァッジョ展もR18指定にはなっていませんし、詩人たちの作品が自主回収されたり発売中止になったりはしません。これは理にかなったことです。現代のドラマや映画でも同じようにできないのは一体なぜでしょうか。

*3:日本では、何らかの事件の容疑者ということになると、メディアが一斉にその人物を悪魔化し、人格や過去の業績まで含めて袋叩きにするということになりがちですが、どうやら事件の規模が大きく、より重大であれば寛大に扱ってもらえるらしいですね。

*4:こうした愚かしい自主規制は日本だけの話ではもちろんありません。ロシアのウクライナ侵攻直後には、チャイコフスキーのようなロシアの作曲家の作品の演奏自粛が広がる騒ぎがありました(それでいて、欧州諸国はロシアから天然ガスを輸入し続けていました)。私は、ロシアのウクライナ侵略には断固として反対ですが、こうした無意味な流行にはうんざりしたものでした。チャイコフスキーを演奏しないとしても、それはロシア政府に対しては何の制裁にもなりませんし、ただ単にロシア人(中には今のロシア政府の侵略を心から非難している方ももちろんいます)とロシア政府を区別しない人種差別的な愚行でしかありません。幸い、こうした流行はすぐ終わり、その後はウクライナ政府に対する効果的な軍事支援・人道支援の議論がとってかわりました。