食料品の値上げが相次いでいます。こういうとき必ずやり玉に挙がるのが金融政策です。「インフレを目指しているせいで物価が上がる、そのせいで生活が苦しい、すぐ金融緩和をやめて引き締めるべきだ」といった主張を盛んに唱えておられる方がいます。
しかし、食料価格の値上がりと金融緩和を結びつけるのは国際比較を無視した議論です。食料価格の上昇は国際的なもので、日本だけの現象ではありません。例えば、OECD諸国では食料品は4月*1に前年同月比12.1%値上がりしていますが、4月の日本の食料品価格の上昇は前年同月比8.7%ですから、相対的にはましな方です。OECD諸国の多くは日銀のような大規模金融緩和はやっていませんし、今は金融引き締めを続けている国が殆どです。そもそも10年間金融緩和を続けている中で、食料価格が異常に上昇したのはここ2年ほどです。いきなり副作用が出てきたのだというのはどう考えても無理のある主張でしょう。常識から考えてもわかると思いますが、現在の食料品価格の上昇はウクライナ戦争に伴う穀物不足やエネルギー価格高騰による輸送費の上昇といった国際的要因によるものです。非難するなら日本銀行ではなく、無謀な戦争を始めたプーチン大統領を非難していただきたいものです*2。
価格について議論する際に大切なのは、他のものと比較したある商品の価格(相対価格)と、経済全体の物価の区別です。食料品の値上がりで生活が苦しくなるのは、食料品が他のものの価格と比較して値上がりしている(相対価格が上昇している)からです。もしすべてのもの(給与も含む)が一律に10%値上がりしていたら(物価が10%上昇していたら)、皆さんは食料品が10%値上がりしても特に不満を持たないでしょう。これが相対価格と物価の違いです。
金融政策は全体の物価に働きかけることならできますが、個別の商品の相対価格を左右することはできません。確かに金融引き締めをすれば食料品価格は下がりますが、下落するのは食料品価格だけでなく、皆さんの給与も含む全ての価格です。金融引き締めをすれば、食料品の値下がり以上に皆さんの給与が下がり、相対的な食料品価格は変わらないことになるでしょう。金融政策で個別の商品の相対価格を引き下げるようなことはできないのです。中央銀行は貨幣量には影響を与えることができますが、穀物の供給を増やしたり原油や天然ガスを無から生み出したりする方法は持ち合わせていないのですから当然の話です。今金融引き締めに踏み切るのは害の方が遥かに大きいでしょう*3。
食料品価格高騰への対策を考えるのであれば、無理筋の責任を日銀の金融政策に負わせるのではなく、食料品にピンポイントに効く対策を考えるのが正しいやり方です。幸いにして、日本の食料品価格には引き下げ余地がいくらでもあります。農業分野だけを取り出せば、日本は殆ど社会主義国並みに効率が悪い政策をとっているからです。日本は100%を超える高関税でコメや小麦等一部の農作物を保護しています。また、2018年度には形式上コメの減反政策は終わりましたが、今も転作補助金で事実上の減反を続け、価格を釣り上げています*4。
多かれ少なかれ農業保護政策はどこの国にもありますが*5、日本のような農作物の価格を釣り上げる保護政策は極めて非効率なやり方です。同じ農業保護であれば、単純に農家に補助金を出す方が価格支持政策よりもずっとましです。補助金であれば割高な農作物を買わされる消費者の損失は避けることができます。実際、殆どの国では、価格を釣り上げるタイプの農業保護はマイナーで、補助金による保護が一般的です*6。日本の農業保護は不必要に高コストになっています。OECDによれば、2019-21年の日本の生産者価格は国際価格より60%割高です。食料品の消費が所得に占める割合は通常、貧困層の方が高いですから、このような形の負担は極めて逆進的です。農業をどうしても保護したいなら別のやり方はあるわけですし*7、食料品価格を下げるには関税を下げるのが一番だと思いますが、いかがでしょうか。食料価格が高いなら、関税を撤廃し、減反をやめるのが当然はないでしょうか?金融政策云々よりもこの方がよほどピンポイントに問題を解決できますし、本質的な議論だと思います。
*1:OECDについて現在入手できる最新のデータ.Prices - Inflation (CPI) - OECD Data
*2:もっとも、どういうわけか、こういった議論をする方の多くは、ウクライナ戦争に関してもロシア政府ではなく、別の犯人がいると思っておられる方が多いようですが。
*3:16日の記者会見で、植田日銀総裁は、現状のインフレはコストプッシュインフレであり、「インフレ率を是が非でも下げたいということであれば、ものすごい金融引き締めをして金利を上げて、経済を冷やして下げていくということは考え得るわけですが、それはそのことによるマイナスの方が大きいというふうに、当たり前ですがとらえています」(総裁定例会見(6月16日) (boj.or.jp))と述べておられますが、的確なご指摘だと思います。
*4:生産量をわざわざ減らす政策は農業保護主義者の主張する食料自給率向上とすら矛盾している全く必要ない政策です。
*5:日本の農業保護政策の費用はGDPの0.9%で、米国0.5%、EU0.7%、OECD平均0.6%と比較して極端に高いわけではありませんが、それでも大きい方に入ります。またPSE(生産者の所得に占める農業保護政策による支援の割合)は、日本が41%、米国11.5%、EU18.8%、OECD平均17.3%で、日本が突出して高くなっています(OECD(2022),Agricultural Policy Monitoring and Evaluation 2022: Reforming Agricultural Policies for Climate Change Mitigation, OECD)。こうした数字は特に日本の農業がGDPの1%しか占めていないことを考えると驚くべき大きさです。農水省は農業は危機的状態だから支援が必要だといいますが、これだけの予算を使って危機的な状態が続いているのであれば、農水省の予算の使い方には根本的な問題があり、漫然と彼らに予算を渡すべきでないと考えるのが自然ではないでしょうか。
*6:OECDによれば、価格支持による保護政策は日本の場合、農家に対する保護の83.7%を占めていますが、EUでは23.1%、米国では25.7%、OECD平均では45.8%に過ぎません。
*7:貧しい人への貧困対策は必要だと思いますが、保護しないと「農家がかわいそう」という議論は説得的には思えません。農家でなくてもかわいそうな人はいますし、とりわけかわいそうな職業なるものがあるわけではないでしょう。毎日色々大変な会社員の皆さんもかわいそうな人は多いはずですけれども、保護してもらえたためしがあるでしょうか?どんな職業であろうと、それ自体を保護する必要があるとは思えません。政府はどこからお金をひねり出してくるわけではなく、誰かを保護するときは、他の誰かからとった税金でそうするのです。保護政策は当然タダではありません。実のところ、農家は兼業農家が多いですし、特に低所得ではありません。とはいえ、それでもとにかく農家がかわいそうだというなら、補助金を出せばよく、関税も減反も不要です。