柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

アルゼンチン経済の奇跡

リバタリアンの経済学者出身のハビエル・ミレイ氏がアルゼンチンの大統領に就任して1年が経ちました。最初はエキセントリックな言動のミレイ氏はさんざん嘲笑されましたが、今は多くの人が考えを改めています。その成果はリバタリアニズムが達成できることを雄弁に物語っています。莫大な財政赤字とインフレの原因となっていた補助金を廃止し国営企業の民営化や大幅な歳出削減に取り組んだ結果、わずか1年でアルゼンチン財政は黒字に転換しインフレ率も急激に低下しています。アルゼンチン経済はすでに回復に転じておりこのまま改革路線が続けば来年以降の見通しは極めて明るいでしょう。

ミレイ政権はこの1年で期待以上の成果を上げましたが、何より驚いたのはその実行力です。昨年の大統領選挙でのミレイ大統領の公約は、インフレと過剰な規制と重税で疲弊した経済に対してまっとうな経済学者なら誰もが提言する処方箋でしたから、ミレイ政権の経済政策が効果を上げていることは驚きではないのですが、ミレイ氏の政治的能力の高さは全く予想外でした。改革は難航するのではないかという心配は杞憂でした。ミレイ政権は議会では少数与党でありながら、中道右派やときにはペロン主義者の一部とも協力しながら柔軟に政権を運営し、改革を前に進めています。こういう姿勢は是非とも石破首相も見習ってほしいものです。大統領制と議院内閣制はもちろん違いますが、たとえ少数与党でも首相にやりたいことがあれば、その気になれば多くのことが出来るはずです*1

ところで、アルゼンチンをめぐっては毀誉褒貶が激しく、左派がミレイ氏を”新自由主義”の極悪人だと糾弾し全然成果を認めない一方で、一部の右派には行き過ぎた礼賛としか思えない言説も見受けられます。ここではそのいくつかを取り上げてみたいと思います。

①物価はミレイ政権で上昇した!

ミレイ政権発足当初のインフレ率は確かに当初上昇しています。しかし、その意味は丁寧に見るべきです。第一に、金融政策の効果にはラグがあります。ミレイ政権初期のインフレは前政権から続いてきたけた外れのインフレを引き継いだものです。前政権までアルゼンチンでは財政赤字中央銀行のマネーファイナンスで賄っていましたからこれがマネーの急拡大と激しいインフレを引き起こしてきました。ミレイ政権はマネーファイナンスを政権発足後すぐ中止していますが、ある程度は慣性が働いてインフレが続いたのはやむをえません。すべてをミレイ政権の責任にするのはナンセンスです。

出所:BCRA(Banco Central de la República Argentina)

また、ミレイ政権発足直後の物価上昇は経済改革のためには避けることが出来ないものだったことも指摘されるべきです。例えば、ミレイ政権は発足直後に人為的に高い水準に維持されていた為替を大幅に切り下げています。前政権では、輸入価格上昇を抑えるためもあって、為替レートに割高な公定為替レートが設定され、為替管理が実施されてきました。ミレイ政権は為替管理は維持しつつ公定為替レートを半分に切り下げより実勢に近い水準まで引き下げました。この措置は輸入品価格の上昇につながるため、一時的に物価上昇を招いたのは確かです。

しかし、闇市場と乖離が大きすぎる公定レートを見直す措置はいずれは避けられないものでしたし、為替政策の混乱で機能不全に陥っていた貿易を再開させ経済を軌道に乗せるためには不可欠の措置でした。実際、為替切り下げで合理的な水準に為替相場が是正されて以降、アルゼンチンの貿易は急回復しています。

出所: BCRA(Banco Central de la República Argentina), Blue Dollar, INDEC(Instituto Nacional de Estadística y Censos de la República Argentina)*2.

為替の切り下げに加えて、ミレイ政権は公共料金等の補助金を打ち切ったため、それまで低く抑えられていた電気代等の価格も上昇しました。もちろん、こうした措置が一時的に物価を引き上げたのは事実です。それはミレイ政権も認識していましたし、痛みを伴う改革であることをはっきり明言していました。そもそも、補助金政策は財政の大幅な財政赤字の元凶であり、到底持続不可能でした。ミレイ政権に残された選択肢は、補助金を維持するために財政赤字中央銀行ファイナンスしインフレを激化させてハイパーインフレを起こすか、補助金を直ちに打ち切り財政を黒字転換してインフレの元凶を断ち切るか、2つに1つでした。ミレイ政権は正しい方の選択肢を選んだといえるでしょう。

為替の切り下げや公共料金価格の引き上げなどの一連の政策は、人為的に低く抑えられていた価格を正常な水準に戻し価格体系のゆがみを正すためには不可欠な措置です。こうした措置が実施されたことで、インフレは次第に落ち着き輸出産業を中心にアルゼンチン経済は回復基調をたどるようになりました。ミレイ政権は正常な経済活動が可能になるための前提を作り出したといえるのです。

新自由主義のせいで貧困率が上昇?

確かに就任後しばらくは貧困率が上昇しましたが、これは破綻寸前の補助金行政の打ち切りによる公共料金の上昇等からやむを得ない部分があります。貧困率上昇の主たる責任はやはり持続不可能な財政運営を続けていた前政権にあるといえるでしょう。そもそもミレイ政権発足以前から貧困率の急上昇は既に始まっていました。新自由主義が貧困をもたらしたのではなく、経済の破綻が貧困率の上昇をもたらしたのであり、厳しい緊縮財政は今はやむを得ないものです。景気の回復につれて問題は緩和されていくでしょう。実際、今年中盤から景気回復とインフレの落ち着きで実質賃金は上昇し始めており、直近のデータでは貧困率は低下しています*3。問題の深刻さを否定するつもりは全くありませんが、事態は改善に向かっており、ミレイ政権を一方的に非難するのは誤っています。

出所:Ministerio de Capital Humano de Argentina

ついでに言うと、反新自由主義の旗手のベネズエラ社会主義経済が破綻し貧困率が90%に上昇しています*4。なんでも適当に”新自由主義”を非難しておけば済むものではありません。ベネズエラ流の反新自由主義こそ貧困への道であり、隷従への道そのものです。アルゼンチンは遅ればせながらそこから引き返しつつあるのです。ミレイ政権の措置は経済政策に関しては全く妥当なものです。歴代政権が滅茶苦茶にした経済の立て直しのためには一時的調整は避けられません。インフレにしても貧困率にしてもミレイ政権を非難するのはちょうど火事が起きているからといって消火活動にあたっている消防士を非難するようなものです。

③アルゼンチンのインフレ率は”わずか”2.7%に低下?

数字はその通りです。しかし、多くの記事の見出しはあまりにもミスリーディングです。2%台というのは月間2%台です。年間2%ではありません。多くの新聞やネットニュースの見出しは、インフレ率の数字が年間なのか月間なのか明記せず、誤解を招く書き方をしています。月に物価が2%上がるのと年に物価が2%上がるのではとてつもない違いです。月率2%は、年率に直せば約27%です。

確かにアルゼンチンの10月のインフレ率は2.7%と2%台に下落しましたが*5、これは年率換算で言えば約38%のインフレです。これを「わずか2.7%」と表現するのはナンセンスに思えるのですが、いかがでしょうか*6。前年同月比でみた場合、インフレ率は4月の289.4%のピークからは大きく下がっていますが、10月はまだ193%で異常に高い水準です。

10月にアルゼンチンの(月間)インフレ率が「わずか2.7%」になったことを称賛する人たちは日本のインフレに批判的な方が多いようですが*7、これは不当な評価です。敗戦直後を除けば、日本のインフレ率がこんな水準になったことはありません。狂乱物価の時のインフレ率ですら1974年10月に前年同月比24.8%を記録したのが最高で、現在のインフレ率はそんな水準には遠く及びません。アルゼンチンのインフレ率低下が話題になった2024年10月時点の日本のインフレ率は前年同月比2.3%です。アルゼンチンを称えるのは結構ですが、それなら日本はもっと賞賛してよいのではないでしょうか。コロナ禍以降インフレ率は確かに上昇しましたが、一番高かった時でも2023年1月の前年同月比4.3%がピークです。

アルゼンチンに比べて日本はダメでインフレが心配だなどというのはデータを見ずに見出しだけで物事を判断している感情論で全く現実離れした議論です。消費が低迷する中でマイナス成長が予想され、インフレ率も低下基調にある日本で「減税をしたら大インフレで大変なことになるから増税が必要」とか「円が紙くずになるのを防ぐには今すぐ金融引き締めが必要」等と主張するのはさすがにおかしいでしょう。アルゼンチンと日本は物価に関しては状況が全く違いますから適切な政策は異なって当然です。見習うべきなのは規制改革と減税政策であって、事情が全く違う国の金融政策を輸入するのはお勧めできません。アルゼンチンのインフレが2%台で安定しつつあるなんて賞賛している人を見かけますが、2%台は2%台でも月間2%と年間2%では全然違います。月間2%台で安定されては困ります。アルゼンチンの状況は大きく改善しているにしてもまだまだ道半ばなのです*8

④アルゼンチンに比べて日本は酷いのか

部分的にはそうだとしても全体としてみれば否です。日本には様々な問題があるとしても、過度な悲観論はよくありません。バブル崩壊以降迷走が続いたとはいえ、日本はアルゼンチンよりも豊かですし規制の水準もアルゼンチンほど極端ではありません。日本は潜在的な能力は高い国ですし、規制改革も遥かに有利な位置からスタートできます*9。アルゼンチンに比べて日本はダメだというのは規制改革のスピードに関しては妥当な意見ですが、規制の水準で言えばアルゼンチンは依然として酷い水準です。そもそもアルゼンチン経済はIMFから融資を受けており、今も為替管理を実施していて為替レートを人為的に操作しています。これは急激なペソ安によるインフレを防ぐためにある程度理解できる措置ですが、国際標準の自由市場経済国とは到底言えません。アルゼンチンはリバタリアンのパラダイスにはまだほど遠い前途多難な状況にあるといえるでしょう。

アルゼンチンにはまだまだ改革すべきことが多く残っています。とはいえ、ミレイ政権の1年目の経済政策の評価には最高点に近い評価を与えられるのは間違いありません。ミレイ政権は来年中には為替管理を撤廃する方針を公表していますし、税制改革でも順調に行けば来年度にはさらに大きな成果が上がるでしょう。社会政策等で賛成できない政策もありはしますが、経済改革に関して素晴らしい成果を上げていることに疑いの余地はありません。

かつて20世紀初めのアルゼンチンは日の出の勢いで、ブエノスアイレスは南米のパリと称えられたものです。アルゼンチン経済をここまで没落させたのはペロン政権をはじめとする歴代政権の社会主義国家主義の失敗に他なりません。ミレイ大統領の改革が成功し、アルゼンチンが再び繁栄する国となることを願ってやみません。

なお、ミレイ大統領の改革について日本語で得られる信頼できる情報は、自由主義研究所*10のサイトが充実しています。ミレイ大統領の演説の翻訳やアルゼンチン経済の状況などについて知ることが出来ます。2月頃には蔵研也先生の翻訳でミレイ大統領に関する書籍も出版予定だそうです。こちらも大変楽しみなことです。

アルゼンチン経済についてはこのブログでも何度か取り上げていますが、Voice2025年2月号(1月6日発売予定)でもここで取り上げたのとは別の観点から論じましたのでそちらも併せてご覧いただければ幸いです。

*1:もちろん、首相を続ける以外に何かやりたいことがあればの話ですが。

*2:為替乖離率はBCRA(Banco Central de la República Argentina), Blue Dollarから市場為替レートと公式為替レートの乖離を公式為替レートで割ることで計算.輸出(数量指数, 実質)はINDEC(Instituto Nacional de Estadística y Censos de la República Argentina)より計算.

*3:Ministerio de Capital Humano de Argentina & Consejo Nacional de Coordinación de Políticas Sociales ”Proyección de incidencias de pobreza e indigencia - 3er Trimestre 2024,” Ministerio de Capital Humano de Argentina, 19 de diciembre de 2024, "Deudas sociales en la Argentina del siglo XXI (2004-2024)." 

*4:新自由主義を糾弾する人たちはベネズエラのことも新自由主義のせいだとか米国の経済制裁だとかの責任にしたいようですが、ベネズエラ経済の崩壊は米国の制裁のはるか前から始まっていました。

*5:11月には2.4%までさらに低下しています。このまま順調に行くと来年の年間インフレ率は現在の3桁から2桁になりそうです。

*6:もちろん、記事を書いている方々は「月間インフレ率の意味ぐらいわかっている」というかもしれませんが、もし分かってそう書いているなら尚更問題です。これは読者に間違った印象を与える書き方です。

*7:例えば、

*8:もっとも、ミレイ大統領自身は現状を正しく認識しており、インフレの最大の元凶だった財政のマネーファイナンスを中止し的確な政策をとっているという点は強調しておきたい点です。ここでの批判は、日本側の過大評価への批判であり、ミレイ改革そのものの批判でないことはご留意ください。

*9:もちろん、規制改革をスタートする気があれば、の話です。規制改革に背を向け、おかしな産業政策にうつつを抜かしていると日本経済の衰退は不可避でしょう。とはいえ、繰り返しになりますが、過度な悲観論は望ましくありません。

*10:自由主義研究所は、XnoteYoutubeもされていますのでご関心のある方はそちらも是非ご参照ください。ミレイ大統領の演説やアルゼンチンの経済改革の紹介をはじめ、オーストリア学派を中心とした自由主義経済学を紹介する活動をされています。