柿埜真吾のブログ

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独裁国家が戦争に弱い理由

プーチン大統領ロシア帝国復活を夢見てウクライナ戦争を始めたわけですが、今やロシアは崩壊の危機に立たされています。一党独裁政党の支配に比べ、プーチンのロシアのような個人独裁は政治的に不安定で、戦争に敗北すれば*1崩壊する可能性が高いと考えられます。

独裁国家は強権的で戦争にも強いイメージがありますが、プーチン大統領のような独裁者は往々にして無謀な戦争を始めがちです。意外かもしれませんが、実証研究によれば、独裁国家は民主主義国に比べて戦争に弱いことがわかっています*2。少し前の論文ですが、Reiter and Stam(2022)*3独裁国家が敗北しがちな理由を①独裁者は民主主義の指導者と比較するとリスクの高い戦争を起こしがち、②独裁者は軍部の反乱を恐れるため軍を弱体化させる、③批判にさらされない独裁者は周囲から正確な情報を手に入れることができず無謀な戦争を始めやすいという3点に分けて説明し、これらは全て今回のウクライナ戦争にも当てはまっていると指摘しています*4。的確な分析ですので、最近の情勢についても触れつつご紹介したいと思います。

①独裁者は反対派を弾圧でき、戦争に負けても簡単に失脚しないので、民主主義の指導者と比較するとリスクの高い戦争を起こしがちです。

 実際、ロシアが民主主義国ならば、数十万*5の死傷者を出し、ロシア経済に壊滅的な打撃を与えている戦争を続けることは不可能でしょうし、こんな戦争を始めた政治家はとっくに失脚しているはずですが、プーチン大統領は反対派を弾圧し相変わらずその地位に留まっています。

②独裁者は軍部の反乱を恐れるため軍を弱体化させがちです。

 ロシアの正規軍がこれほど弱いのは、まさにプーチン大統領が反乱を恐れ、正規軍の指揮系統を複雑にし、プリゴジンのワグネルをはじめとする民間軍事組織やチェチェン自治州のカディロフ首長の私兵組織カディロフツィなどに頼ってきたからです。このような正規軍ではない私的な軍隊に頼るのも独裁者が昔からやってきた手法です。例えば、古代ギリシャの僭主は独裁権力を握ると、多くは外国出身者からなる傭兵隊に自分を警護させたものでした。正規軍の司令官とは違い、独裁者に個人的に雇われた傭兵隊長少数民族指導者が国民から支持を得るのは通常は困難です。反乱を恐れるプーチンのような独裁者がやることは昔から変わりません。プーチンの独裁のおかげでロシアは強くなるどころか、むしろ弱体化が進んでいたわけです。その結果、ロシアは、とても近代国家とは思えない、古代や中世のような傭兵隊に頼った戦争をするはめになっています*6プーチン大統領にとって誤算だったのは、ウクライナとの戦闘で正規軍がますます弱体化し、自分の私的な軍隊だったはずのワグネルが相対的に強くなり、手に負えなくなったことです。肥大化したワグネルが脅威になったのは自業自得というしかないでしょう*7

③批判にさらされない独裁者は周囲から正確な情報を手に入れることができず無謀な戦争を始めやすいことがわかっています。

 実際、ウクライナ戦争開戦にあたり、ロシア政府はウクライナ軍の士気や装備を完全に見誤っていましたし、何よりもロシア軍の能力を過大評価していました。イエスマンに取り巻かれたプーチン大統領には誰も正しい情報を伝えようとしなかったわけです。プーチン大統領の独裁は次第に強化され、最近はますます専制的になっていますが、独裁権力が強化されるにつれて、適切な助言ができる人間もいなくなっていったのでしょう。Reiter and Stam(2022)の指摘するように、ウクライナ戦争は独裁者の始める失敗した戦争の古典的な事例だといえるでしょう。

Reiter and Stam(2022)の指摘する3つの理由に加えて、独裁国家は一般に貧しく、経済発展も遅れがちで、軍事的能力が劣るという点も指摘できるでしょう。旧式で時代遅れな装備しかもたないロシア軍は、西側の援助で最新の武器を持ったウクライナ軍に苦戦を続けています。ドローンなどのハイテク兵器が重要になっている現代の戦争では、経済力が決定的に重要ですが、非効率で貧しい独裁国家は効率的に軍事力を動員することができないのです*8

そもそも独裁国家の意思決定は行き当たりばったりですから、計画的に戦争を準備することすら困難です。戦前の日本やナチスドイツの戦争計画も全く計画性に欠けたものでしたが、ウクライナ戦争でもプーチン大統領が戦争の準備を計画的に進めていたとは到底言えません。

SIPRI Military Expenditure Databaseの推計によれば*9、2016年をピークにロシア軍事費は減少気味です。おそらくこれは原油価格がこの時期に暴落したことで財政収入が打撃を受けたことや西側との貿易の停滞で経済が停滞していたため、ロシア政府が軍事支出にも消極的になったことが理由だと思われます。GDPに占める軍事費の割合も2016年以降は低下しています。周到な準備も計画性も全く見られないといえます。ウクライナ戦争が始まってからも軍需物資の増産には失敗しているようです。

出所:SIPRI Military Expenditure Database. SIPRIの推定値.ただし、ウクライナ戦争開戦後の2022年の数字は不確実性が極めて高い.おそらく2022年はやや過少推定と思われる.

独裁体制は軍国主義に走りがちですが、幸いにして誤った意思決定を下しがちな上に経済も非効率的ですから、民主主義国が結束すれば独裁国家に対抗することは十分可能なのです*10

 

*1:前回の投稿でも書いた通り、ロシアは今回の戦争には既に実質的に敗北しているといえます。

*2:例えば、古典的研究としてReiter, Dan, and Allan C. Stam(1998) “Democracy, war initiation, and victory,” American Political Science Review,92.2,pp.377-389.

*3:Reiter, Dan, and Allan C. Stam(2022) “Why democracies win more wars than autocracies,” Washington Post,March 31, 2022.

*4:Reiter, Dan, and Allan C. Stam(2022) “Why democracies win more wars than autocracies,” Washington Post,March 31, 2022.

*5:現在、ロシア政府から正確な死傷数は公表されていないため不明です。

*6:傭兵隊長といえば、30年戦争の際に活躍した傭兵隊長ヴァレンシュタインが有名ですが、ひょっとするとプリゴジンの運命も似たようなものかもしれません。ヴァレンシュタインは自前の傭兵部隊を率いて次々と戦果を挙げ、神聖ローマ皇帝に重用されましたが、異例の出世は諸侯の嫉妬を招き、やがて皇帝とも対立するようになって失脚します。その後、神聖ローマ帝国軍の危機的状況を立て直すため再度司令官に抜擢されますが、最後は反乱を疑われて殺されています。ヴァレンシュタインはシラーの戯曲の悲劇の主人公ですが、実際には占領地を徹底的に略奪する残忍な占領行政を敷いたことで悪名高い人物で、その点ではプリゴジンとそう変わりません。

*7:今後、ロシア軍が衛星国家や少数民族自治共和国をコントロールできなくなり、ロシアが分裂するというのはありそうなことです。

*8:独裁者であっても革新的な企業を保護すれば経済発展を促すことができ、「開発独裁」をやればよいと思われるかもしれませんが、現実の「開発独裁」は、開発が進まない単なる独裁体制か(大多数)、経済発展で独裁体制が倒れるか(韓国や台湾、チリ)どちらかに終わる場合が殆どです。独裁体制は殆ど不可避的に発明に不利な環境を生み出してしまうからです。革新的な発明が生まれる環境を生み出すには、人々が自分の経済活動の成果を政府に奪われることなく手に入れられる保証が不可欠ですが、独裁者はその成果をいつでも好きな時に奪うことができます。絶対権力を持つ人間は、どんな約束をしても、その約束を後で覆すことができます。独裁者は独裁者である以上は信頼できる約束をすることができないのです。また、誰であれ優れた起業家が成功を収めることができる環境を保つのは独裁体制ではまず不可能です。独裁者と関係を持たない人間が大きな成功を収めることは体制を危険にさらします。独裁体制下でそんな人物が安全に暮らすことができる可能性はまずないでしょう。独裁国家では、必然的に独裁者とコネを持つ少数のオリガルヒが富を独占し、発明は停滞することになりがちです。本来であれば、ロシアには優れた文化や芸術の伝統がありますし、教育水準の高い人材も多いですから、潜在的には豊かになる能力には欠けていないはずです。独裁体制が一日も早く終わることを願ってやみません。

*9:ロシア政府の公式統計は信憑性が低いことは言うまでもありません。SIPRI の推計の精度についてはもちろん議論の余地があります。とはいえ、議論の出発点として推計値を使うことは許されるでしょう。

*10:民主主義と戦争の関係やウクライナ戦争の経済学的分析として、原田泰(2022)『プーチンの失敗と民主主義国の強さ 自由を守るウクライナの戦いを経済学から読む』(PHP新書)はお勧めです。