柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

『ショック・ドクトリン』の欺瞞

少し告知が遅れてしまいましたが、先日、10mTVよりナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』批判を公表させていただきました*1

ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』は、「新自由主義のショック療法のウソを暴いた」素晴らしい作品として、日本では新自由主義批判のバイブルになっています。しかし、クラインの主張は実際に事実に即したものなのでしょうか。結論から言えば、クラインの主張は恣意的な文献の引用や事実の歪曲の上に成り立っており、到底精査に耐えるものではありません。

クラインによれば、新自由主義経済学者は、「ショック・ドクトリン」なる思想を信奉しており、世界で起きた悪しき出来事は殆ど全て新自由主義者が引き起こした「ショック」の責任であるとされています。彼女によれば、このショック・ドクトリンとは、戦争や災害、クーデターのような「ショック」を国民に与え、国民が呆然としているうちに強引に不人気な市場原理主義を押し付ける手法であるということですが、そんな手法を唱えた”新自由主義”の経済学者など一人もいません。

クラインは、ショック・ドクトリンを考えたのはミルトン・フリードマンであるとして、『資本主義と自由』等のフリードマンの著書を引用しています。しかし、彼女の引用は全く文脈を無視した恣意的なものです。フリードマンが殆ど使ったことがない「ショック療法」という言葉を彼の経済学の核心であるなどと主張し、IMF廃止論者で米国の中東での戦争に批判的だったフリードマンIMFネオコンの黒幕のように扱うのはナンセンスです。天安門事件に至っては中国民主派を生涯支援し続けたフリードマンを虐殺者の側であったかのように描いており怒りを禁じ得ません。

クラインは全く無関係なCIAの拷問実験とフリードマンの研究を並べ、あたかもCIAの拷問からフリードマンがヒントを得たかのような印象操作をしています。このデマは大いに普及しているらしく、先日放送されたNHKの 100分 de 名著 に至っては、次のように断言していた始末です。

「一体フリードマンは、このアイデアショック・ドクトリン〕を、どこから得たのでしょうか。それは、クラインが後に「あまりにもグロテスクな話」と表現した、米CIA(中央情報局)(* 14)が絡む、 恐るべき洗脳実験でした。」*2

しかし、実際のクラインのテキストを読めば明らかなように、両者の関係を示すような根拠を彼女は一切提示していません*3。実際、両者に関係など一切ないのですから当たり前です。CIAが極秘でやっていたカナダでの実験を何の関係もないフリードマンが知っているわけがあるでしょうか。

はっきり言えば、彼女のやり方は、全く無関係なものを「ショック」という言葉が共通しているからという理由で、無理やり関係があるかのように見せかける言葉遊び、もっと悪く言えば、どうしようもない陰謀論なのです。クラインの手法こそ、衝撃的だが全く無関係な出来事を利用して論理的に無理のある主張を無理やりねじ込むショック療法であるというべきでしょう。

クラインの議論の大前提になっているのは、民営化や規制改革はゼロサムゲームで、金持ちが得をし、人々を貧乏にするものだという強烈な思い込みです。1980年代以降、民主主義国でも独裁国家でも世界的に経済自由化が進んでいますが、彼女が取り上げるのは独裁国家や紛争地域の例ばかりで極めて恣意的です。

クラインの陰謀史観では、世界の経済自由化は新自由主義者の暗躍で無理やり進められたことにされていますが、実際には極端な規制や高すぎるインフレの弊害は1970年代末には誰の目にも明らかでした。米国のカーター民主党政権ニュージーランドのロンギ労働党政権のように、左派政権でも規制改革やインフレ抑制に乗り出していた政権はたくさんあります。経済改革は圧倒的多数の国で民主的に進められていますし、民衆の支持を受けていたのです。東欧や中国でも、民主派は民主主義とともに、法の支配、恣意的に財産を奪われることがなく、所有権の保証される市場経済を求めていました。共産主義独裁に苦しんでいる地域の農民が最も必要としているのは、今も昔も土地所有権をはじめとする所有権の保障です。

東欧のバルト三国などが良い例ですが、経済の自由化は民主主義と手を携えて前進してきました。クラインのような恣意的に特定のエピソードを選ぶ偏向したやり方ではなく、きちんとした実証研究では、民主主義と経済的自由には密接な結びつきがあることが確認されています*4。経済的自由は経済的繁栄とも密接な関係があります。クラインの著書を読むと世界の貧困は悪夢の「新自由主義」の時代に激増しているように思われるでしょうが、現実には1981年から現在までの間に絶対的貧困者数は67%減っています。クラインによれば、ショック療法で悲惨な境遇に落ち込んでいるはずの韓国はその後順調に経済成長を続け、今や日本以上の先進国です。東欧諸国でもバルト三国チェコスロヴェニアなどは日本と同程度の所得になっています*5。クラインの主張は明らかに現実にあっていません。

クラインが地獄絵図のように描く国々が繁栄を謳歌する一方、彼女が楽園だという南米諸国は独裁と貧困にあえいでいます。クラインは元々ベネズエラチャベス独裁政権の熱心な支援者*6ですが、『ショック・ドクトリン』でも、チャベスエクアドルのコレア、ボリビアのモラレス、ニカラグアオルテガといった独裁的政治家やレバノンのテロ組織ヒズボラを絶賛しています。クライン流”ショック・ドクトリン”に惑わされず、彼女の現実に目指しているものをよく見ていただきたいと思います。

*1:『ショック・ドクトリン』とフリードマンの原著を対比する | 柿埜真吾 | テンミニッツTV (10mtv.jp)

フリードマンの主張と電気ショックは本当に似ているのか? | 柿埜真吾 | テンミニッツTV (10mtv.jp)

天安門事件や南米の独裁者への評価分析も間違いばかり? | 柿埜真吾 | テンミニッツTV (10mtv.jp)

陰謀論の典型的なパターンとは?惑わされぬための考え方 | 柿埜真吾 | テンミニッツTV (10mtv.jp)

*2:堤未果(2023)『NHK 100分 de 名著 ナオミ・クラインショック・ドクトリン」』 NHK出版, p.23.

*3:実はクライン自身は「関係がある」とはどこにも書いていません。単に読者にそう誤解させるような書き方で書いているだけです。

*4:例えば、Lawson, R. A., & Clark, J. R. (2010). Examining the Hayek–Friedman hypothesis on economic and political freedom. Journal of Economic Behavior & Organization74(3), 230-239.

*5:なお、大変な誤解がありますが、これらの国にいわゆる「ショック療法」を勧めたのはフリードマンではありません。

*6:If We Were Venezuelan, on August 15th, 2004, We Would Vote for Hugo Chavez | Venezuelanalysis.com