柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

「政府支出」の意味

先日、評論家の池田信夫先生の次のようなツイートを目にしました。前々から気にはなっていたのですが、誰も指摘されないようですので、一言コメントすることにします。

以前から池田先生は様々なところで、「政府支出=歳出-税収」であり、それ以外の定義をするのは「バカ」などと激しい言葉で繰り返し罵倒しておられます。

経済学でいう「政府支出」は財政赤字(歳出−税収)のこと*1

GDP個人消費+民間投資+政府支出+純輸出

という式〈…中略…〉は正確に書くと、GDPをY、消費をC、投資をI、歳出をG、税収をT、純輸出をXとして、

 Y=C+I+G-T+X

GDPを決める政府支出は、歳出から税収を引いた財政赤字(G-T)である。」*2

もちろん池田先生がどのような言葉をどう定義されても自由ですが、池田先生の定義は経済学では決して一般的な定義ではありません。一般的でない独自定義に基づいて、他人を罵るのはいかがなものでしょうか。

例えば、定評あるテキスト『マンキュー 入門経済学(第3版)』では、「政府支出は、地方自治体、州政府、連邦政府による財・サービスへの支出であり、政府職員の給与や公共事業への支出などで構成される」とあります(272-273頁)*3。マンキューの教科書は特に特別な定義をしているわけではなく、常識的な定義です。

私の知る限り、「GDPを決める政府支出は、歳出から税収を引いた財政赤字(G-T)である」とか、「経済学でいう「政府支出」は財政赤字(歳出−税収)のこと」といった不思議な定義は見たことがありません(博学な池田先生から言わせると、きっと私が「バカ」で勉強不足なんでしょう*4)。

池田先生の定義する「ケインズ理論」ではどうか知りませんが、一般的なケインズ理論では、政府支出の定義は普通の経済学と同じです。通常の定義では、「GDP=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出」という式は正確です。

池田先生の定義では、財政赤字がゼロであれば、通常の意味の政府支出が1000兆円であろうと、1兆円であろうと、GDPは全く変わらないことになりますが、国民経済計算ではそんな風には考えませんし、ケインズ理論では均衡財政の下での政府支出増加はちょうど同じだけの総需要拡大をもたらします。専門用語を使うと(といってもこれは経済学部1年生レベルの専門用語ですが)、均衡予算乗数は1です*5。「GDPを決める政府支出は、歳出から税収を引いた財政赤字(G-T)である」というのは池田先生の独自理論であり、ケインズ理論の常識とは真っ向から衝突します*6

もちろん、池田先生にはきっと何か深遠なお考えがあるのでしょうが*7、いずれにせよ、池田先生の独自理論をもとに他人を「バカ」とか「高校の現代社会も知らない連中」とかいうのはあまりに変ではないでしょうか*8

なお、勘違いされないよう急いで付け加えておきますが、私が池田先生の主張の一部を否定するからといって、池田先生に反対する方々(当然ながらいろいろな方がいます)の主張を肯定しているわけでは全くありません。当たり前のことですが、どうか誤解のないよう*9

*1:https://twitter.com/ikedanob/status/1631525119414927360

*2:池田信夫 blog : 「政府支出」を増やしても成長できない (livedoor.biz)

*3:なお、GDPに含む「政府支出」には、移転支払(年金等の再分配の支出)は含みません。GDPとは新たに生み出された付加価値を合計しているものなので、単なる所得移転はGDPに含まれないからです。

*4:池田先生のファンの方は池田先生の独自理論をもちろんご存じなのだろうと思いますけれども、普通の学部レベルの経済学の知識を持っていない方は池田先生の理論の前にまず初級マクロ経済学の入門書を読むことをお勧めします。

*5:ここでは導出過程は省きますが、マクロ経済学の入門書や公務員試験用の教科書には必ず載っている式ですからご関心ある方はそちらをご確認ください。

*6:また、「政府支出=歳出-税収」という式について「歳出を増やしても減税しても、左辺は同じ」というのは正しいですが、ケインズ理論では政府支出拡大と減税は乗数効果が異なります。池田先生の説明は控えめに言っても不親切でミスリーディングです。

*7:池田先生はご自身の独自理論がどんなものなのか明確に示したことがないですから、私としては池田先生が間違っているなどと罵倒するつもりは別にありません。池田先生のような博学な方が初歩的な知識を勘違いされているなどということはまさかないでしょう。ただ、池田先生の主張しておられる理論は通常の経済理論とは大きく異なる独自理論であることは確かです。この点では池田先生が批判している方々の方が普通の用語法に従って書いています。

*8:私たちが普通「帽子」と呼ぶものを誰かが「妻」と呼ぶとしても、それは一向にかまいません。きちんと定義してそう呼べばいいでしょう。けれども、普通の言葉を話している人に対して、無知であるとかバカであるとか罵倒した挙句、「私の帽子」を「私の妻」と言えと強要するとしたら、誰だって抗議したくなるのは当然ではないですか?ハンプティ・ダンプティではないのですから!

*9:例えば、何度も書いたように(例えば次の論考(1),(2)をご覧ください)、私はただ単に政府支出を増やせば経済が成長するなどという意見には強く反対です。まあ、こう書いても早速誤解する方がいるのではないかと危惧していますが…