柿埜真吾のブログ

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減税vs.政府支出:なぜ減税が望ましいか

積極財政派の政治家は少なくありませんが、その多くは政府支出を増やすことに積極的であっても、減税にはあまり積極的ではないようです。減税も政府支出拡大もどちらも財政政策なのですが、なぜか人気があるのは公共事業等の政府支出拡大です*1。実際には、減税と政府支出ではどちらがより効果的なのでしょうか。

単純なケインズモデルの答えは、経済学部生ならよく知っているでしょう。ケインズモデルを信じるならば、同じ金額の景気対策をするのであれば、政府支出を増やす方が減税よりも効果的です。政府支出は総需要を直接的に増やすのに対して、減税の場合、減税で可処分所得が増えた人が消費を増やしてはじめて総需要が拡大します。ですから、景気対策としては減税よりも政府支出の方が有効であるというのが教科書的な答えです*2

しかし、現実に政府支出の増加が減税よりも有効性が高いのかといえば、実は実証研究の多くはむしろ反対の結果を支持しています。例えば、最近の財政政策の実証研究をまとめたRamey(2019)*3によれば、多くの実証研究で政府支出乗数は0.6~1程度であるのに対して、租税乗数(増減税の効果)は2~3程度となっています。つまり、政府支出の増加は支出額の0.6~1倍しかGDPを増やさない*4のに対して、減税は減税額の2~3倍GDPを拡大させます(増税増税額の2~3倍GDPを低下させます)。減税の効果の推定には政府支出に比べて幅があり、単純なモデルベースの予測*5では1.5以下になるものが多くなりますが、より信頼性が高いと考えられる、政権交代による税制政策の変化などの自然実験を利用した実証分析では効果が大きく、推定方法や分析対象の国や期間の違いにかかわらず殆どが2以上です。例えば、米国の財政政策の変更を分析したRomer and Romer(2010)はGDP比1%の増税がGDPの3%の低下をもたらすと結論しています*6。実証研究からは減税の方が政府支出よりも効果が大きいといえそうです。

実際、日本の経験から言っても、税制の変更の効果は政府支出の効果を上回っている可能性が高いといえそうです。例えば、2014年や2019年の消費税増税の際には増税のショックを和らげるために景気対策が実施されましたが、消費は大幅に落ち込みました。消費増税の効果が景気対策の効果を遥かに上回っていたと考えるのが妥当な見方といえるでしょう。多くの実証研究は、財政再建増税に頼る場合よりも政府支出の削減を中心にした場合の方が景気への打撃が少なく、財政再建に成功する可能性も高いことを指摘しています*7

減税と政府支出の効果をGDPへの影響で比較することには実は政府支出の効果を大きめに推定してしまうバイアスがあるのですが*8、それにもかかわらず、殆どの研究で政府支出よりも減税の方が効果が大きいという結論になるのは極めて興味深い結果です。

なぜ現実がケインズ理論の予測とは逆の結果になるのでしょうか。明確な答えを出すのは困難ですが、いくつかの理由が考えられます。まず、単純なケインズモデルでは需要サイドしか考慮されておらず、供給サイドへの影響が無視されていることが挙げられるでしょう。インフラの整備や減税は投資の意思決定に影響し、経済の生産能力を高める可能性がありますが、機械的乗数効果の計算では当然これが無視されています。殆どの場合、政府支出は非効率な使われ方をされがちです。政府に使い道を決めてもらうよりも減税して人々に自分自身のお金を返して自由に使い道を決めてもらった方がうまくいくことが多いと考えられます。経済に歪みをもたらすような税金(殆どの税金はそうですが)が引き下げられれば、長期的な効率性の改善にもつながります。ですから、現実には政府支出よりも減税の方が短期的にも長期的にも経済成長に結びつく可能性が高いのです。減税はケインズ的な効果というよりも新古典派的な効果で経済成長を高めるということができるかもしれません。

また、政府支出が競合する民間投資を締め出してしまう効果(クラウディング・アウト)も指摘できます。減税でも完全雇用ではクラウディング・アウト効果が働きますが、公共投資の場合、完全雇用になる遥か前から民間部門との資源の取り合いが発生しそうです。例えば、飯田泰之先生が指摘しておられる点ですが、最近では日本の土木・建設産業では技術者の人手不足で供給制約が深刻になっています。公共事業が増加しても、それによって土木・建設産業の人手不足、資材不足が深刻化し、民間の建設工事が止まってしまうならば、生産は増えません。飯田(2013)の分析は、最近の日本では公共事業の増加はその半分程度が民間の土木建設事業の減少によって打ち消されてしまい、公共事業の乗数効果が大きく低下していることを示しています*9。最近は人手不足の加速で、日本においてはこうした問題はますます深刻になっていると考えられます。特定産業向きの政府支出は単に減税した場合に比べて効果が乏しく、民間の経済活動を邪魔しがちなので、減税に比べ景気を刺激する効果が弱くなりがちです*10。政府支出を増やしさえすれば経済が成長するといった主張は明らかに現実離れしていますし、実証研究によっても全く支持されないのです。

日本の現状は今しばらくは積極財政が必要な局面ですが*11、積極財政が必要だからといって、何も政府の肥大化を支持する必要などありません。特定産業への補助金や公共事業は恩恵を受ける人が目に見えやすいですが、腐敗を生みがちでもあります。長期的な効率性を損なうような財政刺激策は望ましくありません。非効率な政府支出を闇雲に増やす積極財政は、減税に比べて短期的にも効果が乏しいといえます。景気対策から言っても、長期的な経済成長の観点から言っても、望ましいのは政府支出の拡大ではなく大胆な減税政策です。

*1:政治家の間で政府支出の方が人気がある理由は単に選挙の政治力学というか政治経済学的な理由なのかもしれません。米国の全米税制改革協議会(ATR)のような減税を支持する運動が一大勢力になっているような場合は別ですが、一般には政治家にとっては組織票が入りにくい減税を推するよりも、特定産業を支援する方が確実な票になるでしょう。あるいは「税金を下げますから使い道は皆さんが決めてください」というよりも「私が成長戦略を策定し、**投資を推進しました」という方が何となく頭がよさそうに見えるのかもしれません。

*2:マクロ経済学を習った方のための復習:政府支出の乗数効果は1/(1-c)、減税の乗数効果はc/(1-c)で表されます。cは限界消費性向(1単位の所得の増加に対してどれだけ消費が増えるか)で、0<c<1をとります。

*3:Ramey, Valerie A. "Ten years after the financial crisis: What have we learned from the renaissance in fiscal research?." Journal of Economic Perspectives 33.2 (2019): 89-114.

*4:ただし、不況期には政府支出の乗数効果は大きくなる傾向があり、2程度になる場合もあるとする研究があります。政府支出拡大の重要性を否定したいわけではありませんので、念のため。

*5:ニューケインジアンモデルやDSGEモデルに基づく予測は減税の波及経路のごく一部しか考慮していませんから、減税の効果を大幅に過小評価している疑いが濃厚です。

*6:Romer, Christina D., and David H. Romer. "The macroeconomic effects of tax changes: estimates based on a new measure of fiscal shocks." American Economic Review 100.3 (2010): 763-801.

*7:例えば、Alesina, Alberto, and Silvia Ardagna. "Large changes in fiscal policy: taxes versus spending." Tax policy and the economy 24.1 (2010): 35-68,  Jalil, Andrew. "Comparing Tax and Spending Multipliers: It's All About Controlling for Monetary Policy." Available at SSRN 2139855 (2012).

*8:国民経済計算(GDPを計算するルール)では、政府の提供するサービスの価値はほかの財・サービスとは異なった方法で計算されています。GDPというのは、ある一定期間にその国でどれだけの付加価値が生み出されたかを測るものですが、政府が提供する公共サービスの場合、市場がないのでその価値を市場価値で測ることができません。そこで、その公共サービスの生産にかかったコストを便宜的に付加価値とみなしています。ですから、市場取引で10万円の支払いがあった場合と政府の取引で10万円の支払いがあった場合では意味合いが全く異なります。市場取引の場合、10万円を払って財・サービスを購入した買い手はそれだけの価値があると思ったからこそその金額を支払っているわけですが、政府の取引の場合は、役人が納税者のお金を使って10万円支出したからといって実際にそれだけの価値があるものを本当に生み出しているのかどうかはわかりません。例えば、税を徴収した政府が、納税者が1円も払いたくないようなモニュメントを建てたとしても、統計上は10万円生産が増えたことになるわけです。これは単なる統計上のルールに過ぎません。政府支出を増やせば、何であれGDPは「増える」のですが、その中身には注意が必要です。

*9:飯田泰之(2013)「財政政策は有効か」、岩田規久男浜田宏一・原田泰編『リフレが日本経済を復活させる』(中央経済社、2013 年)第6章.

*10:最近の日本の場合、そもそも公共事業の効果の大きさ以前の問題として予算が予定通り執行されていないという問題もあります。毎年コロナ関連予算は未執行分が多く予備費も余る結果になっています。予算が計上されてもタイムリーに執行できないなら、その効果は当然小さくなってしまうでしょう。減税の方が即効性が高く確実といえます。

*11:経済が完全雇用になれば、経済成長をもたらすのは基本的に民間のイノベーションであり、積極財政で経済を成長させることはできず、単にその分民間投資をクラウディングアウトするだけになります。