柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

David Boaz, RIP

6月7日、ケイトー研究所副所長を長く務めたリバタリアンの偉大な思想家David Boaz氏*1(ケイトー研究所名誉シニアフェロー)が亡くなられました。体調を崩しておられるというニュースは少し前からあったので驚きではありませんでしたが、自由を愛する人々にとって本当に大きな損失です。

ケイトー研究所が今日のような世界的な影響力を持つリバタリアンシンクタンクとなったのは彼の功績によるところが大です。ケイトー研究所は優れた実証研究をもとに麻薬問題、住宅問題、社会保障改革といった具体的な問題にリバタリアニズムのアイデアを生かすことで大きな名声を得てきました。近頃のMAGAの陰謀論に毒されがちな保守系シンクタンクや懲りもせずに社会主義に傾く左派系シンクタンクなどとは一線を画し、自由な社会を支持する人々の砦になっているケイトー研究所はまさに彼の最大の遺産といえるでしょう。

ケイトー研究所の発展に尽力する傍ら、彼は多くの啓蒙書を残しています。リバタリアニズムの入門書Libertarianism: A Primer*2Libertarian Mindはとりわけ優れた入門書です。彼の編集になるThe Libertarian Reader: Classic & Contemporary Writings from Lao-Tzu to Milton Friedmanも現代のリバタリアニズムにつながる古今東西の思想家の言葉を集めた優れたアンソロジーです。彼は現代の最も重要なリバタリアンの一人であり、私自身もその著書から大きな影響を受けました*3

彼は左派の介入主義、社会主義だけでなく右派の権威主義や人種差別主義にも断固たる態度をとった真のリバタリアンでした。右であれ左であれ、多くの自称自由主義者は「自由を愛する」と口では言いながら、実際には偏見に満ちた発言をして少数派の権利を侵害することを支持したり、自由を制限するような規制に安易に賛成したりしがちですが、彼は違いました。同性婚の問題などにも多様性を重んじるリバタリアンとして積極的に発言し、陰謀論極右が人気を集めて権威主義になびく自称リバタリアンも続出する中でも、揺らぐことなく全ての人の自由を守ることの大切さを訴え続けました。彼の公の場での最後の演説となった LibertyCon International 2024 でのスピーチ(2024年2月)は最近の極右に接近する一部のリバタリアンへの強い警告でした*4

「私たちリバタリアン、そしてほとんどのアメリカ人は自由主義者です。自由主義とは、普遍的な信条です。私たちはすべての人々が奪うことのできない権利を与えられていると考えます。それらの中には、生命、自由、幸福の追求が含まれます。権利を持つのはすべての人であって、ある人々だけがそうだというのではありません。この考え方は、“血と土”*5に基づいた政治思想や、人種や宗教を理由に人々を差別的に扱うこととは相いれません。

〔ところが、近頃の〕自称自由の擁護者は“血と土”について語り*6、あるいは、自分が負けた選挙結果を覆そうとしている独裁者になろうとしている人物*7を助けています。あるいは、LGBTの平等な扱いを性的堕落であると語り*8、黒人に対する政府の人種差別など気にすべきではないと言っています。あるいは、南部連合や南部の大義を擁護し*9、右翼の文化戦争*10に参加し、彼らの敵と戦うために政府権力を使おうとする政治家を助けています。Twitter上でホロコーストを冗談の種にして殺害の脅迫をしたりしています*11。もし自称自由の擁護者がこうしたことを話しているのを見たときは、それがなんであるか認識すべきです。そういうときは遠慮なく言いましょう。反撃しましょう。それはアメリカ的ではないし、それは確実にリバタリアニズムではないとはっきり言いましょう。」*12

リバタリアニズムはすべての人の自由を第一とする哲学です。一部の人の特権を擁護したり差別的な扱いを支持するのは自由な社会とは相いれません。人種差別主義やマイノリティーへの迫害を支持し、民主的手続きを軽視するような権威主義的政治家が、その他の人の自由を守ってくれるだろうと期待するのは愚かしい話です*13 ハイエクフリードマンの流れをくむ正統派のリバタリアンの思想家として、Boaz氏は決してぶれることなく、自由の重要性を訴え続けました。その遺産は、今後も自由を愛するリバタリアンの間で引き継がれていくでしょう。

*1:なお、Boazは「ボアズ」と発音するのが普通ですが(そう表記している文献も見受けられますが)、彼の名前は「ボウツ」あるいは「ボーズ」に近い発音です。とりあえず、ややこしいので英語のままにしておきます。

*2:出版年は1998年と少し古いですが今も読み返す価値があります。なお、邦訳がありますが、訳者は著名な陰謀論者の方であまりお勧めできません。Boaz氏は一部のリバタリアンが傾きがちな安易な逆張り陰謀論や事実に基づかない空想的な議論とは無縁の人でした。過去の思想家の訓詁学に堕したり逆張り陰謀論に走ったりといった思想系のシンクタンクが陥りがちな失敗をケイトー研究所が避け、知的名声を手にすることができたのは、Boaz氏の事実を重んじる厳格な姿勢、優れた知性と卓越したリーダーシップによるところが大きいと思います。

*3:このブログでも以前に彼の主張を紹介したことがあります。

*4:最晩年の彼は特にリバタリアン党の極右の派閥Mises Caucusがトランプに接近していることを懸念していました。幸い、リバタリアン党党大会に招かれて演説したトランプ元大統領は支持されるどころか猛烈なブーイングを浴び、リバタリアン党の大統領候補にはトランプ元大統領やMises Caucusの支持する候補ではなく、自由主義的でLGBTの権利など多様性を重んじるClassical Liberal Caucusのメンバーであるチェース・オリバー(Chase Oliver)が選ばれ、MAGAによるリバタリアン党の乗っ取りはひとまず失敗しました。ちなみに、オリバー候補は同性愛者ですが、「リバタリアン党がwakeになった、ゲイの左派に乗っ取られた」などと書いている人たちは歴史を知らないというべきです。そもそもリバタリアン党の最初の大統領候補ホスパーズ(Hospers)は同性愛を公言する米国初の大統領候補でしたし、リバタリアン党は被害者なき犯罪の取り締まりや多様性の抑圧に一貫して反対してきました。オリバー候補を選んだのは結党当初から同性婚合法化をどの政党よりも早く公約にしてきたリバタリアン党らしい選択です。近年のロン・ポール(そもそも元々共和党)やその取り巻きの陰謀論者や人種差別主義者の”リバタリアン”の方こそ伝統からの逸脱というべきでしょう。Boaz氏の最後のXの投稿は、リバタリアン党員がトランプ元大統領との協力を拒否したことを歓迎する投稿でした。

*5:かつてナチスの広めたスローガンで、極右が今も好んで使っている。

*6:ミーゼス研究所のJeff Deist所長(当時)が2017年に「血と土、神と国家は人々にとって依然として重要だ」と演説し、極右に接近していること等への皮肉(Nicholas Sarwark, Arvin Vohra call out Jeff Deist and the Mises Institute’s “blood and soil” politics – Independent Political Report)。また、リバタリアン党の極右の派閥Mises Caucusもネオナチや南部連合支持者に対して融和的で大きな問題になっています。Mises Caucusはネオナチや反ユダヤ主義者に共感を示したり、「ヒトラーは天国に行った」と主張するKarlyn Borysenkoホロコースト否定論者のDavid Croteauのような人物を候補者に選んだりといった極めて危険な極右です。

*7:もちろん、トランプ元大統領のこと。

*8:例えば、LGBTの権利擁護は変質者を利用して社会主義を建設する陰謀だと主張したデラウェアリバタリアン党(最近は極右の派閥Mises Caucusに乗っ取られている)の投稿がよい例。自称リバタリアンによるLGBT嫌悪の最悪の例はリバタリアン党Mises Caucusのジェレミー・カウフマン(Jeremy Kauffman)のLGBTの殺害を歓迎する投稿

*9:Paleolibertarianと呼ばれる晩年のマレー・ロスバードの思想の流れをくむ極右と結びついたリバタリアン南部連合に好意的です。Mises Caucusの牙城になっているニューハンプシャーリバタリアン党キング牧師の誕生日に「米国が黒人に負っているものは何もない。むしろその反対だ」と投稿するなど(NH Libertarian Party deletes MLK Day tweet claiming Black people are 'in debt' to America for special treatment - Raw Story)、黒人に対して人種差別的な攻撃を繰り返しています。

*10:中絶禁止を求めたり進化論等の宗教的信念に反する内容を学校で教えるのに反対したりする保守派とリベラル派の対立のこと。

*11:ホロコーストを嘲笑したニューハンプシャーリバタリアン党のXの投稿(New Hampshire Libertarian Party mocks Holocaust in antisemitic tweet - The Jerusalem Post (jpost.com))等への批判。

*12:David Boaz gives a speech, "The Rise of Illiberalism in the Shadow of Liberal Triumph," at LibertyCon International 2024 hosted by Students for Liberty | Cato Institute

*13:これについては、少数派の権利が他人事でない理由をご覧ください。