柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

永住許可取り消し規定の問題点

国会で審議中の入管法改正案の外国人の永住資格取り消し規定が議論を呼んでいます。改正案では、入管法の義務違反や税や保険料を故意に納めない場合も永住許可取り消しの対象になるとされています。既に衆議院では5月21日に可決され、参議院でも近く可決の見通しですが、法案には重大な疑義があります*1

①法案の前提となる客観的根拠、事実が調査されていない

現行法でも、虚偽記載や重罪の場合等は永住許可取り消しの対象になります。現行法の罰則ではダメで新たな規制を増やすというなら、政府はその根拠を示す必要があるはずです。現状でどの程度の問題があるのか、新しい規定の下ではどの程度の改善が見込まれるか,あるいはコストはどれだけになるのかといった情報が必要なのは当然です。

ところが、驚くべきことに、政府はこうした情報を全く提示していないどころか、調査さえしていないのです。永住者の税の未納の状況については、現状で永住者のどれだけが税を滞納しているのか調査はなく正確な数字を把握してもいません*2。国会での追及を受けて厚労省は今年度中にも調査するとしていますが*3、まず法律を作って調査は後からするというのはいい加減極まりない話です。

移民受け入れの是非などについては様々な意見があって当然ですが、永住許可の取り消しは、立法事実(法の根拠になるエビデンス)がろくに調査されていないという点では最近の規制強化の流れと同様です。立派な大義名分があれば、なんとなく印象で法律を作ってしまうのは危険です。賛否はともかく現状をきちんと把握してからにすべきです。

賛成派の言い分は「とにかくデータがあろうがなかろうが、法律を破るのは悪いことだから罰を受けるのは当たり前で、新しい罰を作って何が悪い」というものでしょう。ですが、「よいこと」であれば何であれ政府が命令すればよく、「悪いこと」ならば何であれ国が取り締まる法律を作ればよいという発想は大きな誤りです。闇雲に効果を考えずに規制を導入するのは賢明ではありません。新たな規制を提案するなら、提案者は現状でどの程度問題が起きているのか客観的事実を提示し、新しい規制が問題を解決するために必要で釣り合いの取れたものであることを示す義務があります。

②不明確で釣り合いを欠いた罰則規定

永住許可取り消しは、永住者にとって生活基盤を奪うことになりかねず重大な不利益を与えかねません。そうした罰則は、社会に対してよほど大きな損害を与えた場合でなければ適切ではないでしょう。こういうことを書くと「外国人に人権など保障する必要はない」という反論が来るのが常ですが、「外国人なら煮ても焼いても食っても構わない」というのはずいぶん野蛮な意見ですし、そうしたところで日本に大きな利益があるとは思えません。既に重大な不正行為に対しては罰則があるのですから、新たな規定を設ける必要性は乏しいと考えられます。

入管法の義務違反と言えば、在留カードの不携帯のような軽微な違反も含まれてしまうことになります。警察のレイシャル・プロファイリングの問題を考えれば、この問題はかなり深刻になりえます。政府の説明では些細な違反は永住許可取り消しの理由とはしないようですが、審議を経ても実際にどの程度の違反が取り消しの対象になるのかは依然として不明確です*4

税や保険料の未納はもちろん望ましいことではありませんが、病気などの事情で税や保険料を納められない状況になったりミスで納税すべき金額を納税しなかったりといったことは誰にでも起こりえることです。「それは”故意に”納めていないわけではないから関係ない」といわれるかもしれませんが、そもそも”故意に”税や保険料を支払っていないと一体誰がどうやって客観的に判定できるのでしょうか。入国管理庁の役人の善意や判断力を信頼せよというのでしょうか。入国管理庁のこれまでの実績から言って、それはあまりに楽観的過ぎるナイーブな見方でしょう。政府はガイドラインを定めるとしていますが、ガイドラインが妥当な内容になるのか、恣意的に運用されない保証はあるのかには大きな疑問が残ります。作家の李琴峰さんは、「日本人だろうと外国人だろうと、同じ法で平等に裁けばいいのではないか? 外国人に対してだけ、生活基盤となる永住資格を剥奪する正当な理由はどこにあるのか?」と指摘しておられますが*5、この指摘には全く同感です。

ここで取り上げた2つの論点のうち、第二の論点については、同意されない方もおそらくいることでしょう。これはある意味では価値観の問題ですから、もちろんそういう見方もあると思います。とはいえ、第一の論点は依然として有効であるはずです。何であれ新しい規制は自由の制限ですから、その必要性を立証する義務は規制の提案者にあります。現状では法案の根拠となるデータすらないのですから、議論以前の状況というべきです。感情論や正義感から、証拠を精査しないままに厳しい規制を導入するのは大きな禍根を残すことになるでしょう。

今回のケースでは、影響を受けるのは永住者の方で自分には関係ないと思われる方もいるでしょうが、これと同じような調子で立法事実を調査しないままに、官庁や政治家のフィーリングを根拠に新たな規制を導入されてはたまったものではないはずです。外国人に対してはろくに調査もせずに権利を制限する法律を作ってしまう政府が自国民の権利に対しては敬意を払い慎重に行動するはずだと考えるのは根拠がない幻想です。悪い先例は少ないほうが良いに決まっています。やはり拙速に法案を通すのではなく、一度立ち止まって考えるべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。

左派と右派では直感的に「そうだ!」と感じる事柄が異なります。今回のケースは右派の琴線に触れる話で,右派は賛成で,左派が反対です。これとは構図が逆で、左派が支持し右派が反対する話もあります。AV出演被害防止・救済法*6やホスト規制などはよい例でしょう。しかし、いずれにせよ立派な大義名分があれば効果を確かめず闇雲に規制を増やして良い理由はありません。客観的根拠となるデータもないままに、このような規制を増やすことには反対です。

*1:これについてはXではコメント済みですが、こちらでも書いておきます。

*2:永住者の税など「未納件数」めぐる入管のデータが、立法事実の根拠にならない理由 | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp)

*3:在留外国人の保険料納付状況など初調査へ 厚労省 | NHK | 厚生労働省

*4:些細なものであれ義務違反が厳しく処罰されるのは当然だという方はきっと一切書類を忘れたことがなく役所で不備を指摘されたこともない完璧な方なのでしょうけれども、うっかりミスというのは普通は誰にでもあるものです。永住許可の取り消しのような厳しい処罰をすることで何か社会に著しいメリットがあるとは到底思えませんが、永住許可を剥奪される人にとっては重大な不利益が発生するのは明らかです。現行法以上の規制が必要とは思えません。

*5:(寄稿)隣に暮らす外国人 小説家・李琴峰:朝日新聞デジタル (asahi.com)

*6:やはり当事者の実態調査をろくにせずに立法されたことに批判が集まっているのは周知の通りです。