柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

関東大震災の教訓(2)

前回の投稿では、関東大震災の経済政策についてお話ししました。誤解のないようここでも再度強調しますが、私の投稿の趣旨はあくまでも関東大震災の際の迅速な経済対策とその方向性(増税ではなく減税)への評価です。当時の政府への高い評価を意味しているものではないことにご注意ください。むしろ、「こんな政府ですら減税ぐらいはできたのですよ」という趣旨です。

他の機会にも書いたことですが、流言蜚語による混乱と人権侵害に関しては関東大震災は最悪の反面教師です。1923年9月1日の震災発生後まもなく、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とか「暴動を起こしている」といった根拠のない流言飛語が広がり、それがもとで大勢の方が殺されました*1

特に事態を大きく悪化させたのは軍や警察が当初「朝鮮人暴動」のデマを事実とみなし、流言飛語を公的な情報として宣伝し、自警団にお墨付きを与えてしまったことです*2。軍や警察は自警団を扇動しただけでなく、自らも朝鮮人の殺害に関与しています。デマを取り締まるべき側がデマを宣伝して自ら暴走してしまったのですから、虐殺に対する政府の責任は極めて重いといえるでしょう。

事態の深刻さに気が付いた政府が閣議朝鮮人保護を決めたのはようやく4日になってからで、山本権兵衛首相が朝鮮人迫害の「自重」を呼びかける内閣告諭を出したのは9月5日、流言飛語を取り締まる治安維持令を発したのは7日です*3

関東大震災が流言飛語への対応に失敗した最悪の例であることは現代の歴史家が一致して認めるところです。例えば、内閣府中央防災会議『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』は朝鮮人虐殺について次のように述べています。

「 殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。また、殺傷事件を中心とする混乱が救護活動を妨げた、あるいは救護にあてることができたはずの資源を空費させた影響も大きかった。自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある。 」*4

あるいは「当時はそういうものだったのだから現代の視点で歴史を裁くな」と言われるかもしれませんが、1906年サンフランシスコ大地震など同時代の同程度の規模の地震と比べても、日本の関東大震災の混乱ぶりは決して評価できるものとは言えません*5。当時の視点で評価したとしても、虐殺事件の発生は到底正当化できない異常なものです。実際、当時の文書からも日本政府が国際的非難を恐れていたのは明らかです。例えば、9月5日の内閣告諭では、朝鮮人迫害は「諸外国ニ報ゼラレテ決シテ好マシキコトニアラズ」と述べています*6。震災後には朝鮮人だけでなく、中国人も600名以上が虐殺されましたが、特に在日中国人のリーダーだった王希天の拉致殺害事件は日中の外交問題に発展しています*7帝国議会でも田渕豊吉や永井柳太郎のように、虐殺事件を糾弾して政府の責任を追及する厳しい声がありました*8。当時から人道に反する大失態だという認識は十分あったわけです。政府が虐殺の隠蔽に努めたこと自体、虐殺は文明国にあるまじき恥ずべき事態だという認識が政府自身にもあった何よりの証拠でしょう。

震災で深刻な混乱が発生していたという事情はあるにせよ、虐殺が起きたのは当時の日本社会に深刻な人種差別が蔓延しており、外国人の命が軽く見られていた証です*9。言うまでもありませんが、こんな悲劇は二度とあってはなりません*10。歴史に学ぶとは歴史的愚行を繰り返すことでは全くありません。流言飛語や人権侵害については関東大震災の混乱を反面教師とし、経済政策に関しては迅速な復興減税の知恵を学びつつ、金融引き締めの失敗は繰り返さないことが重要です。

*1:最近一部の歴史修正主義者が朝鮮人虐殺否定論を唱えていますが、都合の悪い歴史を改竄したりなかったことにしたりしてしまうと、過去の失敗から学ぶチャンスを失うことになります。虐殺のきっかけになった「朝鮮人暴動」の噂が根拠のないデマであったことや流言飛語に基づいて数千人の虐殺が起きた事実は真面目な歴史家なら立場を問わず誰一人否定していません。朝鮮人虐殺否定論の荒唐無稽さと欺瞞性については次の著作をお勧めします。TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち | 加藤直樹 |本 | 通販 | Amazon また、次の本も優れています。関東大震災「虐殺否定」の真相 ――ハーバード大学教授の論拠を検証する (ちくま新書) | 渡辺 延志 |本 | 通販 | Amazon 

*2:各地のデマの伝播の過程を調べた郷土史の研究によれば、デマを広めたのは東京や横浜の避難民というよりは、むしろ内務省警保局長の地方長官宛の電信文(9月3日)をはじめとする公的機関の流した電報や通牒等だったことが指摘されています。また、埼玉、千葉、群馬等で虐殺事件を起こした自警団の多くは警察や軍の求めに応じて結成されたものです。これについては郷土史の優れた研究がたくさんありますが、民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書) | 藤野 裕子 |本 | 通販 | Amazon第4章に簡潔な紹介があります。大規模な虐殺は軍や警察の扇動とお墨付きがあったからこそ起きたといえるでしょう。

*3:なお、加藤友三郎首相の急死(8月24日)を受けて山本権兵衛内閣が発足したのは9月2日の夜で、震災発生時点では内田康哉外相が首相代理を務めていました。首相不在中に震災が起きたことも警察や軍部の一部の独走を招き、混乱を助長したといえます。とはいえ、山本内閣は虐殺事件への対処が遅れただけでなく、事件終息後も虐殺を隠蔽し犯人を処罰しようとしませんでしたから、やはり事件に重大な責任があることは明らかです。

*4:内閣府中央防災会議『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923 関東大震災【第2編】』内閣府,平成21年3月, 206頁

*5:デマの問題だけでなく、防災計画自体がそもそもなかったために政府の対応は場当たり的でしたし、デマによる混乱もあって救助活動は大きく遅れました。

*6:藤野(2020)は、9月5日以降、虐殺の阻止に政府が動いた一因は「海外からの批判を回避することを視野に入れた方針転換」であると指摘しています(169頁)。

*7:中国人の虐殺、王希天の殺害には軍が関与していたため、山本内閣は事件の隠蔽を決め、その後の政府も責任を取りませんでした。関東大震災と中国人――王希天事件を追跡する (岩波現代文庫) | 田原 洋 |本 | 通販 | Amazon 史料集 関東大震災下の中国人虐殺事件 | 今井 清一, 仁木 ふみ子 |本 | 通販 | Amazon

*8:比較的入手しやすい田渕、永井の演説の紹介は以下を参照。Amazon.co.jp: 九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響 : 加藤 直樹: 本

*9:経済の面から言えば、1923年は1920年恐慌で第一次大戦のバブルが崩壊し、不況が続いていた時期でした。不況下で仕事のない労働者の間では、朝鮮人や中国人の労働者への排斥感情が高まっていました。不況が排外主義を煽るのは何時でも同じです。景気回復に失敗していた点でも当時の政府には大きな問題があったといえます。

*10:今回の能登半島地震でも「井戸に毒」とか「外国人窃盗団が来る」とか101年前と同じ根拠のないデマをまき散らしている人がいましたが、無責任なデマは人を殺すということを自覚してほしいと思います。地震後「外国系窃盗団が能登半島に集結」偽情報などSNSで拡散 | NHK | 令和6年能登半島地震 私は日本社会の良識を信頼していますし、心無いことを言う一部の人に日本国民は騙されたりはしないだろうと思いますが、それにしても、無責任な人たちには憤りを禁じ得ません。