柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

関東大震災の教訓(1)

令和6年能登半島地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。私事になりますが、私も北陸に暮らしたことがあり、慣れ親しんだ地域の惨状に大変ショックを受けています。一日も早い復興を願ってやみません。

1月4日、こんなことを議論するのは少し早過ぎるかもしれないと躊躇しつつ、少しでも復興の参考にしていただければと思い、Xで以下の投稿をさせていただきました。

この投稿は幸いにも多くの方にリポストしていただき、思っていた以上の反響に驚きました。東日本大震災では震災後すぐ増税が決まりましたが、同じ失敗を繰り返してほしくないという思いから投稿したのですが*1、多くの方が同じように感じておられることは心強い限りです*2

震災にかかわる重要な情報を伝えるには発信力の高いメディアを使う方がよいかもしれないと考え、しばらくXのポストを積極的にやってみたのですが、実際に多くの方に見ていただき大変感謝しております。ただ、どうして文字数の制約上、Xでは情報発信が断片的になりがちで、誤解を招きかねない危うさも感じました。

こちらのブログでは、Xの投稿の内容に少し補足をしておきたいと思います。上記の投稿の文章は国税庁のサイトからの引用で、私自身は、「関東大震災からの復興は途中から緊縮路線になり1920年代はデフレ的な経済状況だったので大成功とは言い難いですが、参考になる部分も多いでしょう。」という重要な但し書きの文章を付け足していたのですが、どうもこちらのポストはあまり拡散されずそれほど読まれなかったようで、なかなか投稿は難しいなと実感したところです。サキシルの新田哲史さんからは関東大震災の対応は長いスパンで見れば必ずしも成功例ではないのではないかという的確なご指摘をいただきましたが、これは私も全く同感です。

関東大震災当初の経済対策は確かに迅速で、被災地の負担軽減のために減税するという方向性は正しかったといえます。ところが、その後の政策は問題が多いものでした。特に問題だったのは金融政策です。当時の日本経済は大戦景気のバブルが崩壊し、震災前から低迷していましたが、旧平価での金本位制復帰を計画する政府・日銀は引き締め気味の金融政策を続けていました。震災で金本位制復帰は延期されたものの、デフレ的金融政策はその後も続きました。デフレ不況が続く中で、結局、震災復興も余裕がなくなり、1920年代の終わりには増税が実施されています*3。ですから、当初の方針が減税であったことは良かったものの、その後の政策は問題が多いものだったというのが私の評価です。関東大震災後の経済政策を高く評価しているわけではない点にご注意ください。

ご理解いただけたかと思いますが、震災後の減税政策への私の評価は、関東大震災への対応全般*4や当時の制度*5等を理想化するものでは全くないのです。むしろ私が言いたかったのはそれとは正反対のことです。現代より多くの点で遥かに遅れており、劣悪な制度を持っていた101年前の日本政府ですら震災時には減税が妥当なことぐらいはわかったのですから、現代でもそれぐらい当然できるはずだということです。

*1:2011年当時、政府からは「復旧・復興のための財源については、次の世代に負担を先送りすることなく、現世代全体で連帯して負担する」という「東日本大震災からの復興の基本方針」が示されましたが、これはおかしな考え方です。数千年、数百年に一度の災害の負担を、偶々被災してしまった不運な世代だけに全額負担させるのは不公平ですし、何のメリットもありません。確率的に殆ど起きない出来事の負担は数世代にわたって広く薄く負担するのが公平性から言っても当然だったでしょう。天災にあったばかりの人に増税という人災まで加えるのは酷ですし、復興を助けるためにはむしろ負担軽減が必要です。

*2:幸い、政府からも復興増税のような議論は今のところ出ていません。今回の被害規模は東日本大震災に比べれば小さいので大きな財源がいらないという理由もあるでしょうが、評価できる対応です。

*3:関東大震災の時の蔵相は井上準之助ですが、彼は後に金解禁を強行して昭和恐慌を招いた張本人でもあります。

*4:以前書いた通り、関東大震災では流言飛語から朝鮮人虐殺という悲劇が発生しています。混乱を拡大させた当時の政府の対応は強い非難に値します。この問題は次回書く機会があるときにまた触れようと思います。

*5:例えば、緊急勅令のような乱用される恐れのある非民主的な制度は不必要です。迅速な対策は首相が方針を明言し、後で補正予算を組めばいいだけの話です。現行法で十分出来ます。実際、そんな時代錯誤の法令で震災対策をする先進国などありません。現代の民主的な説明責任のある制度の方がよほど優れています。現代に何か問題があるとしたら単に私たちがその優れた仕組みを活用していないことだけです。