柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

万博中止論について

能登半島地震で、大阪・関西万博中止論が盛り上がっています。能登半島地震の被害は甚大だから、万博を中止して、建設業のリソースを震災復興に充てるべきだという議論です。これに関しては、飯田泰之先生が既に素晴らしい記事を書いておられますので、ぜひご一読をお勧めします。この問題の本質は、飯田先生の以下のポストに尽きています。

万博に必要なのは建設工事で、震災復興には土木工事が中心になるので、万博中止で震災復興という話自体が無理筋です。私から付け加えたいことはあまりないのですけれども、いくつか私自身の感想を簡単にコメントしたいと思います。

①万博の是非は「経済効果」で議論すべきではない

Xで飯田先生の記事をリポストしたところ、ちょっと誤解されているコメントをいただいたので、はっきりさせておきます。私は(飯田先生も)震災を理由にした万博中止論には否定的ですが、それは「万博には経済効果があるから中止すべきではない」と考えているからではありません*1

そもそもの問題として、オリンピックや万博のようなイベントを正当化するために「経済効果」を真っ先に持ち出すのは本末転倒でピントのずれた議論だと思います。経済効果というのは、イベントについてくるかもしれない「おまけ」のようなものです。何らかのイベントを実施したいなら、イベント自体の魅力や価値を中心に議論するべきでしょう。イベントについてくるかもしれない(し、そうではないかもしれない)「おまけ」が欲しいからという理由でイベントを実施するのはおかしな話です。

例えば、「穴を掘って埋める」という事業は、遊休資源が有り余っている場合には確かに乗数効果が発生するはずですが、この事業を「経済効果」を理由に実施すべきだと議論するのはナンセンスでしょう。穴を掘って埋める場合には何も残りませんが、インフラの整備などそれ自体に価値のあるプロジェクトを実施すれば、社会はそれだけ豊かになります。どちらのプロジェクトをやるにしても乗数効果は生まれるのですから、やるならそれ自体に価値のあるプロジェクトを実施すべきです。ですから、たとえ資源が有り余っているとしても(日本の現状は明らかにそうではありませんが)、どんな事業に支出しようと構わないということにはなりませんし、それ自体に価値のないプロジェクトを波及効果があるからなどと言ってやるべきだという理由にはならないのです*2

もっと極端な例を挙げれば、戦争には確かに需要を増やす経済効果がありますが、だからといって、経済効果を理由に適当な国と開戦するべきでしょうか?もちろん常識ある人は誰もそんなことは考えないでしょう*3

実証的にオリンピック等のイベントの経済効果が大きいという議論は殆ど支持されていませんし、経済効果の計算なるものは大体は怪しげな計算で過大評価であるのが普通です*4。経済効果を根拠にした議論は大抵の場合的外れなものになりがちです。何らかのイベントを政府が実施する場合には、イベント自体のメリット、そのイベントが政府にしかできない理由(かつ、政府がやる場合に生まれる無駄を考慮してもそれでもやるメリットがデメリットを上回る理由)を明示すべきです。万博賛成派は経済効果よりもイベント自体の価値を訴えるべきでしょう。

②万博の是非と万博中止論は別問題

万博のようなイベントをやる意義については、当然、その是非について賛否両論があると思います。私自身は国や地方自治体がこうしたイベントを実施することにどちらかといえば疑問を持っています。今後、こうしたイベントの誘致の是非は慎重に議論されるべきでしょう。現在の日本は完全雇用というにはまだ余裕があるにせよ、資源が有り余っている状況ではありませんから、尚更どんな事業を優先的に実施すべきかに注意を払うべき状況にあります。根拠薄弱な経済効果を理由に資源を浪費する余裕はありません。

しかし、万博のようなイベントを政府がやることの是非と、今から万博を中止すべきかどうかは全く別の問題です。仮に万博が無意味で無駄なイベントだとしても、万博を中止した場合のコストは万博をそのまま開催した場合の費用を上回るでしょう。万博は無駄遣いだといわれますが、今から中止する方がよほど無駄です。日本で開催すると決めたのですからいきなり中止すれば国際的な信用問題にもかかわります。予定通り実施する方が安くつくでしょう。

万博賛成派にも言えることですが、万博中止派も経済的無駄を理由に万博中止を訴えるのはまずいやり方です。あくまで今から万博中止にこだわるならば、たとえその方が経済的には高くつく可能性が高いとしても、万博を中止することそれ自体の社会的意義を訴えるべきです。もっとも、こうしたイベントに懐疑的な声は理解できますが、そこまでして中止する意義は見当たらないと思います。

震災復興のため万博を中止せよという主張も成り立ちません。飯田先生がご指摘されているように、万博を中止すれば、その分余裕のできる建設業のリソースを震災復興に割くことができるという議論は、規模感が間違っている無理筋の議論です。こういう類の議論は良い悪い以前の問題というべきです*5。削っても仕方ない殆ど役に立たない経費を削って、イベントを自粛するように圧力をかけるのは単に日本経済を冷え込ませるだけの悪手です。そもそも震災復興に必要な土木関連の労働者と万博の建物を建てるのに必要な労働者とは必ずしも同じではないでしょうし、大坂だけに負担や自粛を強いるのは全く不公平です。万博の無駄遣いを批判したい*6、維新を批判したいとかいろいろな動機があるのでしょうが、震災を口実に万博たたきをするのはいかがなものでしょうか。

③震災復興も万博も

震災復興と万博を両立不可能なもののように攻撃したり、万博をすることが不謹慎であるかのように批判したりするのは不毛です。震災の被害からの復興を口実に、他県のイベントを貶めるのは良いやり方ではありません。震災復興には、寄付をするとか石川や富山に旅行したり特産品を買ったりして応援するとか、もっとポジティブなやり方があります。ゼロサムで考えるのは不毛です。大阪万博を楽しみにしている人もいるでしょう。万博が中止されてがっかりする人が増えれば、震災で不幸にあって悲しんでいる人がその分救われるのでしょうか?そんな愚かしい話はありません。万博はやると決まったからには、成功するように工夫するのが当然です。震災復興も万博もどちらも成功するよう応援しようではありませんか。

*1:飯田先生の記事をリポストしたところ、経済効果があるから万博をやるべきですよねという趣旨のコメントをいただいたのですが、飯田先生の記事を読んでいただければ飯田先生がそのような主張をしているわけではないことがわかっていただけたかと思います。私もそのような主張をしているわけではありません。私が万博中止に反対なのは中止するとむしろ高くつくし、そうまでして中止する理由が見当たらないという理由です。

*2:「深刻な不況下では無駄な事業でも何もしないよりましだ」という議論はあり得ますが、「だから、無駄な事業を積極的にすべきである」というのは議論が飛躍していますし、ナンセンスです。

*3:少し設定をひねって、その戦争に負ける可能性はなく楽勝でき、自国民の死者は出ないことが確実だとしましょう(現実にはそんなことはあり得ませんし、そんな戦争はありませんが)。ただし、相手国に何の非難すべき点もなく、戦争する理由は何もないとします。「経済効果がある」として、開戦すべきでしょうか。これは道義的に恥ずべき最悪の帝国主義の議論ではないでしょうか。それ自体の正当性が当然問題になるべきで、「おまけ」を理由に無茶苦茶なことを主張するのはもちろんおかしな話です。なお、念のため強調しておきますが、現実の戦争は不経済で経済的にも全くもうからないものですから、この議論は架空の議論です。

*4:例えば、万博に来る観光客の消費がその何倍もの乗数効果を生むという議論は、万博に来た観光客が万博以外のイベントにどちらにせよ行っていた可能性を無視すると過大評価になります。万博への観光客の増加で乗数倍需要が生まれても、万博以外のイベントでは観光客が減少してその乗数倍の需要の減少が発生しているでしょう。遊休資源が余っているのでない限り、この手の議論はそのままでは成立しません。また、仮に政府がしなくてもどちらにせよ似たようなイベントを民間がやっていたなら、政府のイベントは民間のイベントに置き換わるだけです。いずれにせよ、発生していたはずの需要を政府の手柄にすると、やはり過大評価でおかしなことになります。

*5:これは他の話題にも言えることです。例えば「議員歳費、政党助成金、無駄な公共事業、ODA、男女雇用参画予算、生活保護等々は税金の無駄だ。社会保障財政再建等々が大変なのに!」とかいった類の議論がそうです。規模感がおかしい比較は意味がありませんし、間違った印象を与えるだけです。その予算それ自体の是非は大いに問題にして結構なのですが、こういう議論の仕方はよくありません。

*6:これまで巨額の経費が掛かったことに不満を言う方もいますが、今更支払った費用は戻ってきませんから、これから万博を進める場合にかかる経費と万博を中止した場合にかかる経費を比較すべきです。