柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

書評掲載(6/6)

この度、『週刊金融財政事情』にブランシャール『21世紀の財政政策』の書評が掲載されましたのでお知らせします。是非ご覧いただければ幸いです。

『21世紀の財政政策 低金利・高債務下の正しい経済戦略』 | きんざいOnline (kinzai-online.jp)

ちなみに、ブランシャールの『21世紀の財政政策』の書評としては、既に田中秀臣先生原田泰先生中里透先生池田信夫先生の大変興味深い書評が出ています。いずれも違った切り口の書評ですが、興味深い書評です。先生方の書評も大変おすすめですので、是非ご一読ください。

本書の論点は多岐にわたりますので、私の書評では概要のみ紹介していますが、極端な積極財政でも緊縮財政でもない、バランスの取れた議論はブランシャールらしい優れたものです。ブランシャールは、欧州債務危機の際には緊縮財政の弊害を明らかにした優れた研究を発表していますが*1、同時に、MMTには極めて批判的で*2、バイデン政権の過度な財政刺激策をいち早く批判し、インフレの危険を警告した方でもあります*3

近年の低金利環境は、中央銀行の低金利政策の結果というより、中立金利(経済を潜在GDPの水準に保つために必要な金利)自体の低下によるものだというブランシャールの指摘は大変重要です。経済を安定させるには当面は超低金利を維持することが避けられませんが、金利水準が実効下限制約に近づくと、それ以上金利を引き下げることが難しくなり、通常の金融政策の効果は限定されたものになります*4。その一方で、低金利環境下では財政赤字の悪影響は小さく、中立金利が経済成長率を下回る水準で推移する状況では、債務残高のGDP比を上昇させることなく、相当な財政赤字を出し続けることが可能です。近年の中立金利の低下は構造的な要因によるものであり、当面は長期停滞が続くと予想されることから、今後は積極的な財政政策の重要性が高まるというのが著者の指摘です。既に大きな債務を急激に圧縮するのは現実的でもなく、メリットも殆どないので、当面は高水準の債務と共存する必要があるという指摘は妥当なものでしょう。

ブランシャールには本書の訳者の田代毅氏との日本の財政に関する共同論文もあり*5、本書でも日本経済には多くのページが割かれています。規制改革の取り組みは不十分であるにせよ、ここ最近の日本の財政金融政策は長期停滞に対しておおむね適切だったというのがブランシャールの評価です。今後の日本経済へのアドバイスとしては、より効果的に金融政策を運営できるよう、インフレ目標を3%に引き上げることが望ましく*6、財政政策についても3%程度の赤字を当面維持して積極財政を実施することが可能だと指摘しています。これらのアドバイスは大いに傾聴に値するでしょう。

本書の出版前後から世界的なインフレ率の上昇で世界各国の中央銀行は大幅な利上げに踏み切っており、超低金利環境は変化しているように見えますが、中立金利の低下は高齢化に伴う貯蓄の増加など構造的要因を反映したものであるため長期にわたって続くというのがブランシャールの予想です。この予測が正しければ欧米諸国の高金利は一時的なもので、いずれ低金利環境に復帰することになるでしょう。実際、現在でも欧米諸国の名目金利はインフレ率と同程度か少し低いくらいで、実質金利の水準は決して高くありません*7。とはいえ、将来の中立金利の水準に関する予測は難しいものですし、過去の趨勢としてはそうかもしれないとしても、長期停滞が今後も続くか、彼の議論が完全に説得的といえるかは議論の余地があります。この点についてはサマーズとブランシャールの討論は参考になるでしょう。

中立金利に関する議論はやや上級のトピックですが、中立金利と成長率の関係や過去の金利水準の歴史の解釈など大変興味深い議論が平易な言葉で紹介されており、中級レベルのマクロ経済学の参考書としてもおすすめしたい本です。

*1:Blanchard, O. J., & Leigh, D. (2013). Growth forecast errors and fiscal multipliers. American Economic Review, 103(3), 117-120.

*2:What Modern Monetary Theory gets ‘plain wrong,’ according to former IMF chief economist - MarketWatch

*3:Blanchard, O. (2021). In defense of concerns over the $1.9 trillion relief plan. Peterson Institute for International Economics, February, 18, 2021.

*4:私自身はブランシャールの指摘するよりも超低金利下でも非伝統的金融政策の効果は大きいのではないかと考えています。実際、欧米諸国でコロナ禍のさなかにゼロ金利下で実施された金融緩和は効果がありすぎたくらいで、大規模なインフレを招いています。

*5:Blanchard O. J., & Tashiro,T(2019) "Fiscal Policy Options for Japan," POLICY BRIEF 19-7, Peterson Institute for International Economics, May 2019(オリヴィエ・ブランシャール、田代毅(2019)「日本の財政政策の選択肢」ピーターソン国際経済研究所).

*6:なお、他の所でも書いている通り、私は物価水準目標が望ましいと考えますが、インフレ目標の引き上げも興味深いアイデアだと思います。どちらが望ましいかはコミュニケーション戦略としてどちらが透明性が高いか、長期的に望ましいインフレ率は2%より高いのかどうかといった点を考慮する必要があるでしょう。

*7:厳密には予想実質金利を考える必要がありますが、それも決して高くないと考えられます。インフレ抑制に名目でも実質でも大幅な高金利が必要だった1980年代と比較すればこの違いは明らかです。