柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

ESG投資家へのアダム・スミスの忠告

ウクライナ戦争による資源高と経済危機で、ひところ盛んだったESG投資にはここのところ逆風が吹いています。ESG投資の収益は低迷し、日本のESGを謳ったファンドの設立は2022年には2021年の半分以下に減少し、今年も低迷が続いています*1。脱炭素を掲げ、化石燃料関連企業には融資しないと謳っていた金融機関も最近では戦略の見直しを迫られています*2

ESG投資について聞くと、いつも思い出すのはアダム・スミスの次の言葉です。

「公益のために商売をしていると気取っている人たちが大きな利益を与えた例を私は全く知らない。実際、こういった気取りは商人の間ではそれほど一般的ではないので、それをやめさせるにはごくわずかな言葉で足りるのである。」(『国富論』第4編第2章)。

これは、有名な「見えざる手」の少し後に続く文章ですが、今日のESG投資家たちにもそのまま当てはまるでしょう*3。こういった活動が現実に環境にどの程度影響したかは疑わしいものです。ESG投資は名ばかりで実際には特に環境保護に寄与していない場合が少なくありません*4

もちろん、一部の投資家が現実の環境政策に影響を与えたケースもあるにはあるでしょうが、そもそも脱炭素のために欧米先進国の炭鉱や油田の開発を中止させるESG投資家や環境活動家たちの取り組みが果たして国際社会全体の利益になったのかどうかは議論の余地があります。結果的に欧州諸国が自国の資源の開発の代わりに独裁国家ロシアの天然ガスに依存するようになったことはロシア政府の軍事的脅威を高め、人権侵害を加速させることになったのではないでしょうか。資源高は貧困層の生活を直撃し危機的事態を招いていますが、化石燃料への過少投資を助長してきたESG投資家には今日の事態にいくらか責任があるといえます*5。再生エネルギーの普及にしても人権侵害が指摘される国々で部品が生産されたり脱炭素につながっていなかったりするケースがしばしばあり、単純な評価は難しいでしょう。

スミスが「見えざる手」の比喩で説得的に議論しているように、人は自分の利益を追求する場合の方が、社会の利益を促進しようと意図している場合よりもより効果的に社会の利益を実現できることが少なくありません。市場価格は何が不足し、何が必要とされているかを示す信頼できるシグナルです*6。企業や消費者は世界全体で起きている出来事を詳しく知ることなしに、市場価格を観察することで、何を節約し何を利用すべきかについて適切な指針を手に入れることができます。

市場価格は情報を伝えるだけでなく、適切な行動の動機も与えてくれます。値上がりした商品の消費を減らすのは、希少になっている資源を節約する望ましい行動ですが、そうした行動をとるのに立派な人間である必要はありません。誰だって高いものは買いたくありませんから、自分の利益を追求しているだけの人間であっても社会全体の役に立つ行動をとるように促されることになるのです。価格という見えざる手に導かれて、人々は自分自身の利益を意図していながら、社会全体の資源を効率的に利用するというまったく意図しなかった目的に導かれることになるのです。

これに対して、価格メカニズムを無視し、意識的に善い行いをしようとする場合、問題は遥かに複雑になります。全体の状況を理解せずに善意だけで闇雲に行動することが常に良い結果につながることは稀です。例えば、脱炭素だけに注目し過ぎ、人権侵害に無頓着になってしまったり、主観的な思い込みで実際はそうではないのに特定の企業を差別したりといった失敗が起こりがちです。脱炭素を効果的に推進したいのであれば、それは政府の規制の役割であるべきです*7。企業の社会的責任の名のもとに企業に政府もどきの仕事を請け負わせたり、一企業では手に負えないような役割を期待したりするのは望ましいことではないでしょう*8

*1:「見せかけ」ファンド、淘汰へ(2ページ目) | 日経ESG (nikkeibp.co.jp)

*2:米国共和党からの反トラスト法違反という批判もあり、保険会社の「ネットゼロ保険同盟」からは既に有力な保険会社18社が脱退しており、国内大手3社(東京海上、MS&AD、SOMPO)も5月30日までに脱退済みです。6月9日現在、残りは14社になっています。

*3:CSRへの古典的な批判として以下も参照。Friedman, M. (1970). The Social Responsibility of Business is to Increase its Profits,The New York Times, September 13

*4:例えば、Raghunandan, A., & Rajgopal, S. (2022). Do ESG funds make stakeholder-friendly investments?. Review of Accounting Studies, 27(3), 822-863,  Flugum, R., & Souther, M. E. (2022). Stakeholder Value: A Convenient Excuse for Underperforming Managers?. Available at SSRN 3725828

*5:もちろん、最大の責任は侵略戦争を続けるロシア政府にあります。

*6:ただし、外部不経済などの市場の失敗がある場合、市場価格に反映されない重要な情報があるのはもちろんです。外部性のあるケースでは、所有権の適切な設定による外部性の内部化、外部性のコストを反映させる課税(ピグー税)による是正が検討されるべきです。

*7:企業や消費者のしばしば間違った方向に向きがちな努力よりも、炭素税のような形で市場では評価されていない温暖化の被害を市場価格に反映させ、炭素の消費が大きな製品の消費の節約を促す政策の方が効果的です(ただし、炭素税の導入には負担を相殺する減税が不可欠です)。あるいは、政府による気候変動対策関連の基礎研究への投資(環境にやさしいと称する特定産業への補助金ではなく)も有力な選択肢です。

*8:企業に多くの中途半端な義務を負わせるのは株主の権利の尊重や法の支配の観点からも好ましいことではありません。