柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

社会主義は労働者の味方か

昨日の記事では、現在の技能実習制度の最大の問題は、実習生が実習先を変更する自由がない点だと指摘しました[1]。この問題に限らず、労働者に選択の自由がない状況では、労働環境は劣悪になりがちです。

社会主義計画経済は、基本的に政府という唯一の雇用者しかいない社会です。こうした社会では唯一の雇用者である政府に対して不満を持ってもどうすることもできません。企業は全て国営企業ですし、企業経営者も企業を監督する役人も警察も弁護士も労働組合の幹部もみな同じ政府の役人であり、仲間同士です。社会主義の社会で、雇用者と敵対することは社会から抹殺されることを意味するのです。トロツキーが言ったように、こうした社会では「働かざるもの食うべからず」ではなく、「従わざるもの食うべからず」という掟が支配することになります。高尚なお題目を唱えていたにもかかわらず、社会主義国の労働条件が劣悪だったのは当然のことといえるでしょう。

社会主義者の中には、中央集権的な政府ではなく、共同体で物事を決める分権的な社会主義を支持する人たちもいますが、現代人がノスタルジックに思い描いているほど、共同体社会は素晴らしいものではありません。「出口なし」の人間関係は地獄になり得ます。近代の自由で個人主義的な社会は、因習や強い同調圧力で物事が決まる閉鎖的な村社会からの解放だったのです。市場の代わりに共同体で資源を配分する場合、各人の生活の細部までありとあらゆることを共同体内で決めなければなりませんし、反対者は下手をすれば村八分です。どんなに理想的な共同体をつくったとしても、労働者が自分の共同体の信条に対して苦情を言ったり多数意見に反対したりするのは明らかに極めて困難です。分権的な社会主義の理想が実現した暁に訪れる社会をイメージしたければ、かつての因習的な村社会と現代のカルト宗教の共同体生活を思い浮かべるのが良いでしょう[2]。こうした社会の労働条件は過酷なもので、何ら羨む理由がありません。いずれにせよ、社会主義経済は「労働者の味方」ではないのです。

これに対して、市場経済では、多様な企業が存在し、優秀な人材を獲得しようと競争しあっています。労働者にはたとえ今の会社でうまくいかなくなっても他の企業に転職するという選択肢があります。実際に行使するかどうかにかかわらず[3]、労働者がこうした選択肢を持つことが企業の権限の乱用を抑えることになります[4]。こうした傾向は特に好景気で人手不足になれば尚更強くなります。日本でもデフレ不況で人余りだった時代にはブラック企業が話題になりましたが、アベノミクスで人手不足が続くようになり、今ではブラック企業のビジネスモデルは苦境に立たされています。競争的な市場経済では、労働者を守ることは通常は企業の利益になります。

もちろん、市場の競争だけでは労働者を守るには不十分ですが、分権的な市場経済では、労働者を守るための仕組みは他の経済体制よりもうまく機能します。市場経済の下では、企業は国から独立していますが、逆に言えば、国は企業から独立しているともいえるわけです。例えば企業が労働者を虐待すれば、その企業とは独立した機関である警察や労基署、あるいは弁護士等に訴えることができます。あるいはメディアに企業の不正を訴え、広く世論を喚起することもできるかもしれません。これは、独立した複数のメディアが様々な視点で報道しているからこそできることです。民主的で自由な社会は、市場経済なしに成り立ちません。

いうまでもありませんが、現在の日本は理想的な社会ではありませんし、皆さんも何かしら不満を抱えていることはあるでしょう。ですが、その責任を安易に「資本主義」に求めるのは間違っています。技能実習制度もその一つですが、現代の日本の問題は、資本主義というよりもむしろその反対の制度によって作り出されたものです。確かに資本主義は、人類を不老不死にも天使にもしませんけれども、その代わりになるどんな制度よりもずっと自由で民主的な社会を守ってくれる労働者の味方なのです。

 

[1] それだけですべてが解決するというつもりは全くありませんが、現行制度のような不合理な形で職業選択の自由を制約するのは明らかに問題です。

[2] なお、資本主義の下では自発的に共同体生活を始めることは禁止されていませんし、自由にやって良いはずですが、現在の日本でそうした共同体生活を喜んで選んでいるのは一部のカルト宗教団体の共同体ぐらいのものです。圧倒的多数の人はそんな生活に耐えられないでしょう。市場経済の代わりに小さな共同体がバラバラに意思決定をする体制は合理的に機能しません。

[3] もちろん、転職するのはなかなか勇気がいるものですから、実際に転職する人はそれほど多くはないとしても、「あの企業は人を大事にしない企業だ」という悪評が広がれば、企業に人が集まらなくなりますし、ブランドにも傷がつきますから、多くの企業は潜在的な競争圧力にさらされており、労働者を不当に扱わない方が利益を増やすことができます(ケースバイケースですし、中にはひどい企業もあるのですが、その多くは経営不振です)。

[4] たとえ転職しなくても、社会主義社会のように、どこへ行っても何をしていても雇用者に関係ある人と鉢合わせするということもありませんから、働いている時間以外は好きに過ごすことができます。