柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

不毛なレッテル張り(1)

「諸君、議論が白熱すると、あまりに簡単に相手には悪意があると決めつけるのは実に不快な習慣であります。意図に対しては寛大であるべきなのです。それは良いものだと信じなければいけませんし、実際明らかにそうなのです。しかし、我々は矛盾した論理や不条理な推論に対しては全く寛大である必要はありません。悪い論理に従う者は意図せずして、悪人が意図して犯すよりもより多くの罪を犯すものだからです。」-デュポン・ド・ヌムール[1]

 

自戒も込めて書きますが、経済や政治をめぐる議論では、だれしも感情的になりがちです。Twitterなどでは議論が白熱し、売り言葉に買い言葉で、ついつい過激な表現を使ってしまう人も少なくありません。普段の日常ではおとなしい人が政治経済の話になると、興奮してとんでもないことを言うなんてことはしばしば目にするところです。ネットでは、相手が目の前にいないので、どれだけ相手を傷つけるかも考えずに失礼な人身攻撃をする人が少なくないように思います。

しかし、たとえ相手の主張が世の中のためにならないと思っても、相手の意図が悪意だと考えるのは理由のないことです。すぐに「反日」、「外国のスパイ」、「国賊」、あるいは「ツボ」、「日本会議」などとレッテルを張るのは極めて非生産的で悪い習慣だと思います。経済政策や外交政策をめぐる論争は悪の組織と正義のヒーローの戦いではなく、単なる意見の相違に過ぎません。事実の解釈や将来の予測が異なるというだけの話を善悪の話にし、感情的に相手の意図を攻撃するようでは、理性的な話し合いは不可能です。

何の証拠もないのに、相手の裏に特定の組織がいるとか、相手は悪意で「日本を滅ぼそうとしている」などと主張するのはただの誹謗中傷です。陰謀論めいた態度からは、実りある議論は生まれません。そんなことを言う相手とは誰だってまともに議論などできないでしょうし、誹謗中傷は立派な犯罪です。相手が言っていることはもしかしたら正しいかもしれないのですから、そういった呪文を唱えて耳を閉ざすのは全く賢明ではないでしょう。

たとえ相手の議論がどんな支離滅裂で酷いように見えるとしても、その言葉を使うこと自体が自分の品位を落とす言葉というものがあります。経済や政治の話は今すぐ自分の命に関わるわけではありません。別に殴られたわけでもないのですから、常識ある言葉で話すべきです。当然ながら意見が違う相手も人間です。居酒屋で騒いでいるならばともかく、ネットでは、全世界に自分の発言を公にしているのですから、最低限のマナーぐらいは守っておきたいものです。

 

[1]フランスの自由主義経済学者。フランス革命期には議員に選出され、恐怖政治や過大な紙幣の発行に反対する政治家として活躍。