柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

”正義”の暴走

当たり前すぎて本来は言う必要もないことのはずですが、意見の相違は犯罪を正当化しません。自分の気に入らない人間に物理的な危害を加える人は本人が自分のことをどう思っていようと単に犯罪者です。

人間の考え方は様々ですし、物事の判断は難しいこともありますから、お互いに誠実に議論しても意見が食い違うことはあるでしょう。それは当たり前のことで、違いは認めるべきです。意見が違ったからと言って他人を脅迫したり嫌がらせしたりするのは言語道断です。

以下のXのポストは最近あった脅迫でたまたま私の目に入ったものですが、全く悪趣味でぞっとします。

被害に遭われた方々には本当に同情を禁じ得ません。早く犯人が捕まることを祈っています。SNSでの匿名での誹謗中傷やこういう犯罪行為で自分の気に入らない言論を封殺しようとするのは極めて卑劣です。

勝手な正義感からこういうことをしているのかもしれませんが*1、こんな方法で実現する正義とは一体全体何なのでしょうか。本人は高尚なことを考えているつもりでも、実際にやることがこれなら、その信念というのは所詮その程度のものです。正当な議論ではなく、物理的脅迫で他人を沈黙させようとするのは要するに議論では勝てないといっているも同然でしょう。暴力ではなく、理性的議論で物事を解決できないなら、「あなたは文明社会のルールがわかっていない」としか言いようがありません。はっきり言ってこれは議論の内容以前の問題です。

こんな事件が繰り返されれば、怖くなって思ったことを発言しなくなる人も増えるでしょう。実名で発言したり連絡先を公開したり一般向けに情報発信したりするのはリスクをとってそうしているのですから、相応の敬意を払うのは当然です。言うまでもないことですが、脅迫したり中傷したりするなど許されることではありません。

こういう犯罪行為は個人に対する人権侵害であるだけでなく、言論の自由、自由な社会のインフラに対する直接的な攻撃に等しいものです。皆さんは池内先生や東野先生と国際政治について意見が違ったり、塩村議員の様々な政策提言に反対だったりするかもしれませんが、これはその意見に賛同するかしないかとかそういう問題以前の問題です。自分とは意見が対立する人だからといって、こういった犯罪を容認するのは論外です*2

私たちは日本社会という同じ船に乗っています。自分の”敵”の言論の自由が脅かされるのを嗤っている場合ではありません。自由な言論という社会インフラに穴が開けば誰もが不利益を受けることになります。他人の権利の侵害を面白がって助長したり正当化したりするような言動はそれ自体人権侵害ですし自由な社会を脅かすものです。

*1:事件の背景はまだわかりませんので、推測は控えます。

*2:自分と立ち位置が近い人の被害は大騒ぎしておいて、そうでない人の被害はむしろ歓迎するような党派的な風潮は本当に嫌になります。そういう方は結局のところ人権などなんとも思っていないと自白しているも同然でしょう。人権侵害は被害者が誰であれ人権侵害ですし、被害者は被害者です。絶対に容認してはいけません。