柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

山本一太群馬県知事より拙著『自由と成長の経済学』のご紹介をいただきました!

12月1日の日本経済新聞「リーダーの本棚」のコーナーにて、群馬県山本一太知事より、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』とともに拙著『自由と成長の経済学』を紹介していただきました。ご紹介大変ありがとうございました!

群馬県知事 山本一太氏 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

「最近読んだ本で引き込まれたのは斎藤幸平の『人新世の「資本論」』、それに丁寧に反論した柿埜真吾の『自由と成長の経済学』です。新進気鋭の論客の真摯な論争は、現代の日本社会の問題点を考えるうえで非常に興味深かったです。」

拙著の意図を理解していただき大変嬉しく思いました*1。『自由と成長の経済学』の簡単な紹介は、シノドスの記事読書人のインタビューをご覧いただきたいですが、拙著は斎藤氏の著作への建設的な批判を意図したものです。

斎藤氏の『人新世の「資本論」』については、特に第7章で詳しく論じています。斎藤氏の著書からきちんと引用した上で、斎藤氏の提唱する「脱成長コミュニズム」の問題点を指摘しています*2

共産主義や脱成長に共感される方は反感を持たれるかもしれませんが、環境にやさしく人権の尊重される社会を望む点では、私の意図は斎藤氏と異なるものではありません。ただ、その手段として共産主義や脱成長は望ましくないと主張しているのです。拙著では資本主義の下での経済成長が環境にも弱者にも優しいことをデータや歴史的事実に基づいて議論していますので、是非ご覧いただければと思います。

皆様も是非、両方合わせてお手に取っていただければと思います!

 



追記

この日経記事は集英社もXで取り上げていました。

まあ、出版社が違いますから私の本を挙げないのは当然でしょうけれど、元の文意から言って、二冊目をなかったことにするのはさすがに恣意的すぎる引用ではないかなあと思いました。原文は先ほども引いていますが、次の通り。

「最近読んだ本で引き込まれたのは斎藤幸平の『人新世の「資本論」』、それに丁寧に反論した柿埜真吾の『自由と成長の経済学』です。新進気鋭の論客の真摯な論争は、現代の日本社会の問題点を考えるうえで非常に興味深かったです。」

「新進気鋭の論客の真摯な論争」が語の文章を『人新世の「資本論」』の感想のように引用するのはいかがなものでしょうか。著者でこんな引用をやったらアウトでしょう。

もし書くのであれば、「群馬県知事山本一太氏より日経新聞書評欄の「リーダーの本棚」のコーナーにて斎藤幸平の『人新世の「資本論」』をご紹介いただきました!」ぐらいではないでしょうか。

ちなみに、斎藤氏はこの記事をリポストしていません。大変賢明だと思います。

*1:山本知事の読書遍歴も興味深く読ませていただきました。山本知事は、思想家の内村鑑三と遠縁の親戚にあたるそうで、愛読書の一つに内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を挙げておられます。この本は実は私も好きな本です。近著でも『デンマルク国の話』にちょっと触れています。

*2:拙著は、共産主義が歴史的に人権侵害や環境破壊と結びつきがちだったことを指摘していますが、これは何も共産主義への恐怖を煽るためではなく、斎藤氏の提案が過去のソ連をはじめとする共産主義体制と多くの欠陥を共有していることを指摘した上でそうしています。例えば、斎藤氏が提案する「使用価値経済」では「使用価値」のないものは禁止されます。「マーケッティング、広告、パッケージングなどによって人々の欲望を不必要に喚起することは禁止される。コンサルタント投資銀行も不要である」(斎藤,2020,303頁)というのですが、このような社会に表現の自由職業選択の自由もないことは明らかでしょう。そもそも、そういったものに使用価値がないと決めたのは一体誰でしょうか。何が不必要に欲望を刺激するかいったい誰が決めるのでしょうか。結局、斎藤氏は不必要だと思うものを主観的判断で禁止すべきと言っているに過ぎません。

「“大谷選手も1億円しかもらえない”でいいと思う」という趣旨の斎藤氏の発言は大きな批判を浴びましたが、客観的根拠がない主観的独断という点では、斎藤氏の上記の提言も本質は全く同じです。市場で決まる消費者の選択の代わりに斎藤氏の主観的な価値観を信頼すべき理由があるとは思えません。斎藤氏の提案する「使用価値経済」では何が使用価値がないかを誰が決めるのかという肝心な問題が解決されていないのです。「使用価値経済」に基づく体制は、必然的に特定の価値観が押し付けられる、自由のない抑圧的な政治体制にならざるを得ません。

また、斎藤氏は水、食料、電力、住居、医療、教育などをコモン(共有)にして無償にすべきだと主張していますが、これらの希少な資源が無償化されれば、たちまち不足するでしょう。価格がなければ、節約のインセンティブは働きません。私有でなければ、資源は潤沢にあると言って話を済ませることはできません。水不足、食料不足、電気不足、住宅不足、待機児童問題、病院の順番待ち、いずれも現実にある問題です。こうした問題が発生するのは何らかの規制で価格メカニズムが働かない状況であるのが一般的です。無償化された財は間違いなく不足しますが、一体どうやって資源の無駄を節約するのでしょうか。例えば、電力は一瞬でも不足すれば停電になり、命に関わります。こうした体制が価格メカニズムを活用した市場経済よりも資源を効率的に使い、環境を保護できるという主張を正当化するのは困難です。