柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

美しく着飾っても共産主義の本質は変わらない

東京大学の斎藤幸平准教授とアーティストの村上隆氏の対談動画が話題になっています。対談の内容というよりは、脱成長論者の斎藤氏が高級ブランドのメゾン・マルジェラの服を着ていることに批判が集まっているようです。学者としての斎藤氏はともかく*1、彼の芸能活動には大した関心を感じませんが、一応、一言コメントしておきたいと思います。話題になったやり取りは以下の部分です。

村上:「斎藤さん、マルジェラ着ている時点でどうなの?それはいいんですか?」
斎藤:「でも、結構、私,意図的に着ていて。左翼は貧しくて資本主義反対して頑張っているんだみたいなのをすげー変えたいんですよね。…〈中略〉…「リベラルとか左翼って怖いよね」〔というイメージがあるが〕これを変えて、あ、なんか左翼って楽しそうじゃんみたいな風にしたい」
村上:「でも加担していますよね、買うことで」
斎藤:「うん、別に、なんていうんですかね、でも、そこはまあいいのかなって」*2

斎藤氏がどんなブランドの服を着ようが何をしようが、私は一向に関わないと思いますし、誰であれ「ブランド物の服を着ている」などということを叩くのは馬鹿げています*3。ですから、それ自体は問題視しようとは思いませんが、問題の動画の斎藤氏の主張は確かに矛盾しており、批判は免れ得ないでしょう。

斎藤氏は『人新世の「資本論」』では人工的に希少性を作り出しているなどとブランドの価値を否定し、「意味のないブランド化」を攻撃してきたはずです。いつからブランドは正義になったのでしょうか?ロレックスの時計はダメで、マルジェラはよいというのは確かにおかしいでしょう*4

『人新世の「資本論」』において、斎藤氏は、「環境にやさしい」等の”意識が高い”お題目を掲げるSDGs を資本主義を正当化する「アヘン」だと断罪していましたし、斎藤氏は常々「マイバッグ・マイボトルを持っても地球規模の問題には対処できない」などと説いているはずです。「メゾン・マルジェラには重要なメッセージ性があるので意識して着ている」とか「高級なブランド物の服はリベラルとか左翼のイメージ改善に効果的である」などという理由でブランドを正当化できるなら、斎藤氏がSDGsに反対する理由は何もないと思いますが、いかがでしょうか?

そもそも、斎藤氏は脱成長論者なのですから「貧しくて資本主義に反対」することを批判する理由など何もありません。共産主義は貧しさをもたらすのであり、それこそが「ラディカルな潤沢さ」なのだから恐れることなどない(確かに「悪い自由」は弾圧され、「不必要なブランド化」が禁止された画一的社会になるが、それこそが「真の自由」だ!)と首尾一貫して主張するべきです。

それに、たとえメゾン・マルジェラのブランドで着飾ったとしても、一般人が「左翼って怖いよね」というイメージを持つのは当然です。斎藤氏自身、ゴッホなどの有名な絵画作品にペンキをぶちまけたり、交通機関を混乱させたりする過激な”直接行動”を実践するExtinction Rebellionなどの極左環境団体の行動を称賛し、『パイプライン爆破法』のような過激派環境運動家の本を称賛してきました。斎藤氏が敬愛するマルクスプロレタリアート独裁を支持し、暴力革命を説いた思想家です。マルクスの思想を信奉する共産主義者の独裁とテロは20世紀に1億人の犠牲者を産み出し、北朝鮮ベネズエラキューバ等の現代の共産主義国は深刻な人権侵害と飢餓に苦しんでいます*5。こういった思想の信奉者が「怖い」と思われても、それは誤解などではなく当たり前ではないでしょうか。

一連の動画を見ると、斎藤氏は「芸術自体がどんどんどんどん投資の対象になっていく」*6ことや「アートのコモディティ化*7に反発しておられるようですが、商品をさげすむような前近代的価値観には何の共感もできません。問題の動画で村上氏も指摘しているように、芸術はそもそも商品です。当たり前ですが、古代から現代までアートには常に買い手がいました。私はそれが軽蔑すべきことだとも恥ずべきことであるとも思いません。新しい価値を生み出した活動に対価が払われるのは当然です。消費者が喜ぶ新しい価値を作り出す活動を「人工的な希少性を産み出す」などと批判するのは的外れです。

古来から芸術は常に商品であり投資の対象です。むしろ近代資本主義以前の貧しい社会では、豊かで芸術作品を購入できる買い手が少なく、生活の糧を稼ぐことを気にせずに芸術作品を作りながら優雅に暮らすことのできる階層も限られていましたから、芸術家は特定のパトロンに依存し、基本的に注文生産で作品を作っていました。芸術作品は現代以上に遥かに「コモディティ化」していましたし、芸術家の地位も低かったのです。

芸術家が独立した地位を築き、自らの思い描く理想の作品を作ったりできるようになったのは資本主義の恩恵です。「アートがインディペンデントで社会的なメッセージを発露するという歴史の方が短い」(村上氏)のです。飢餓に苦しんでいた中世の社会でも、「「使用価値」を生まない意味のない仕事」*8が禁止される社会主義経済でも、独立した芸術家が誰にも理解されなくても自ら信じる作品を作ることは不可能です*9

資本主義社会では何に価値があるのかを決めるのは、教会や国王でも社会主義計画当局でもなく個々の消費者です。市場経済は、画一的な特定の価値観の押し付けではなく、人々が思い思いの多様な価値を追求できる唯一の社会体制です。資本主義社会は開かれた社会であり批判を歓迎します。だからマルクス主義でも反体制でも「儲かる」のです。斎藤氏が資本主義を批判しながらベストセラーの本を書き、タレント活動に邁進できるのも資本主義の恩恵に他なりません*10

*1:私は『自由と成長の経済学』で斎藤氏の『人新世の「資本論」』を徹底的に批判しましたし、いま付け加えるべきことも特にありません。

*2:ReHacQ−リハック−【公式】【斎藤幸平vs村上隆】なぜ批判?資本主義とアート!徹底議論【深すぎるアートの世界】

*3:脱成長なのにお金持ちなのは言行不一致というのはその通りですが、まあ多かれ少なかれ人は矛盾しているでしょう。私はそういう個人攻撃にさほど興味を感じません。

*4:なお、私はどちらも個人の趣味の問題だと思いますし、何の問題も感じませんが

*5:斎藤氏によれば、共産主義独裁国家マルクスの思想を”誤読”したのだということですが、そうした主張に説得力がないことは『自由と成長の経済学』『自由な社会をつくる経済学』『本当に役立つ経済学全史』でもさんざん批判したのでここでは繰り返しません。

*6:【斎藤幸平vs斎藤幸平】ウォーホルはなぜ芸術?【高橋弘樹】 - YouTube

*7:【斎藤幸平vs村上隆】なぜ批判?資本主義とアート!徹底議論【深すぎるアートの世界】

*8:斎藤幸平(2020)『人新世の「資本論」』集英社新書,306頁

*9:斎藤氏の提案するような脱成長コミュニズムの社会では、「使用価値」を産まない仕事は禁じられますから、反体制や他の人々に理解されないような活動は不可能です。ソ連がそうだったように、結局、当局に理解できない活動をする芸術家や思想家は弾圧されることになるでしょう。

*10:東京芸術大学の布施英利教授は、斎藤氏との対談の中で、斎藤氏を「日本の学者の中で最も資本主義のど真ん中にいる人。例えば本が大ベストセラーになったとか、あるいは大資本のテレビ局の番組に日常的に出ているとか、まさにマルクス主義と言いながら資本主義を一番体現している」と評していますが、言いえて妙です。