柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

7月会合についての短評

日銀の7月の金融政策決定会合についての私の判断ですが、詳細は他の場所に書きましたし話したのでここでは簡単に書きたいと思います*1。今回は、6月会合で予告されていた長期国債購入額の減額に加え、利上げも実施され、日銀は予想以上にタカ派的でした。会合後の植田総裁の記者会見も今後さらなる利上げを予想させるものでしたが、景気や物価の現状から見て今回の利上げは正当化しがたいものです*2。日銀の説明は日銀自身の提示するデータとも矛盾しているように見えますし、これでは日銀がどこを目指しているのか疑われても当然です。

もっとも、日銀を弁護する人は、利上げは、コールレートを0~1%から0.25%に引き上げただけで「大した利上げではない」のだと反論することでしょう。予想インフレ率も1.5%ぐらいはあるのだから、予想実質金利は依然として低い。何が問題だというのか*3、と。

しかし、金融政策の効果は、人々の予想に与える影響によって大きく変わってきます*4。たとえ数パーセントの利上げでも、それが中央銀行の将来のタカ派的姿勢を示すサインとして受け取られるならば、その影響は大きなものになりえます。例えば、中銀総裁がタカ派的で利上げを今後も続けるので最終的な金利水準が極めて高くなると予想されるなら、今の時点から低金利を前提にした行動は合理的ではなくなりますし、資産価格も将来の予想を反映して直ちに調整されるはずです。植田総裁は記者会見で0.5%を特に「壁」とは考えず1%程度まで金利を引き上げる方針を明言されましたし、日銀がタカ派姿勢を強めているのは明らかです。日銀が黒田日銀以降のリフレ・レジームを放棄し政策転換したと見られれば、その影響は小さなものでは済まないでしょう。

経済・物価データが日銀の展望レポートの予測通りでうまくいっているから予定通り利上げするというのが今回の利上げに関する日銀の説明です*5。植田総裁は、「今回〔7月〕の利上げということで申し上げれば、主な理由としては、経済・物価データがオントラックであったということ」だと述べています*6

では、実際に日本経済は日銀の展望レポートの予測通りに推移してきたのでしょうか。もしそうなら話はわかりますが、実際は日銀の見通しは大幅に外れています。特に景気の予想以上の悪化を受けて、展望レポートの24年度の経済成長率の数字は年初の予測1.2%の半分の0.6%に引き下げられています*7。これですらおそらく高すぎる見通しで、今年度はゼロ~マイナス成長が予想されますから、今後さらに引き下げられる可能性が高いでしょう。来年度以降の物価の見通しも景気の悪化からすれば楽観的過ぎるように見えます*8

日本経済の現状が「わが国の経済・物価は、これまで『展望レポート』で示してきた見通しに概ね沿って推移している」とは到底言えないのは明らかです。にもかかわらず「見通し通りだから利上げした。今後も見通し通りなら利上げしていく」等と説明すれば、「日銀はこれまでの黒田日銀時代の路線を本格的に転換し、タカ派的な利上げを続けていく方針なのではないか」とみられても当然です。植田総裁の会見は(実際にそう意図していたかどうかは別問題として)、結果的にその懸念を打ち消すというよりも裏付けるものでした。

今回の利上げに関する日銀の説明は矛盾しており、説得力に欠けています。「日銀は景気や物価を軽視しており、景気動向がどうであれ、”正常な水準”への利上げを急いでいるのではないか」という疑念*9を招いたことが今回の株式市場の大混乱の一因になったのは明らかです*10。日銀は今回の政策決定に関する説明責任を果たしているとはいいがたいでしょう*11

拙速な利上げは2%インフレの持続的安定的達成を危うくしかねません*12。無茶な利上げを目指さず、ゆっくり進む方が結果的に日銀の望むような金融政策の”正常化”(この言葉は意味のない言葉なので個人的には使いたくないのですが)は、早く進むでしょう。

*1:なお、こちらに書かなかったのは、同じ話題の原稿の締切と仕事を優先したためです。

*2:昨年7-9月以降、景気は明らかに失速しており、1-3月の実質GDPはマイナス成長です。4-6月も回復は思わしくなく、この分では今年はゼロ成長かマイナス成長になる可能性が高いでしょう。仮に現在懸念されているように米国が景気後退入りすれば輸出が減速しますから尚更でしょう。

物価についてみても、6月のCPIは落ち着いており、食料およびエネルギーを除く総合のインフレ率(前年同月比)は1.9%で2%を割っています。日銀自身が公表する「基調的なインフレ率を捕捉するための指標」を見ても、CPIの最頻値、加重中央値は1.4%、1.6%となっています。景気後退が深刻になれば物価にも下押し圧力がかかります。

*3:長期国債購入額の減額も2024年1-3月までに半減させるという穏やかな引き締めで、2006年3月の量的緩和解除の時のような急激な引き締めではありません。

*4:今回の政策をめぐる同様の問題は、飯田泰之先生、片岡剛士先生、田中秀臣先生をはじめ多くの方が既に指摘されている通りです。なお、金融政策の効果が人々の予想に依存するというのは何もリフレ派の専売特許ではなく、学派を問わず、ケインズ、ヒックス、フリードマン、ウッドフォード等、殆ど誰でも言っていることで、金融政策の一般常識です。

*5:7月の金融市場調節方針に関する公表文は「わが国の経済・物価は、これまで『展望レポート』で示してきた見通しに概ね沿って推移している」とし、「今回の『展望レポート』で示した経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく」と主張しています。

*6:日銀が利上げした理由は円安対策だといわれることもありますが、米国の利下げが近いことから言っても今後大幅な円安が進むとは考えにくいでしょう。7月会合時点で既に円安傾向は反転していました(もちろんこれは日銀の政策変更への予想を一部反映していますが)。日銀の「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)を見る限り、日銀自身が円安によるインフレを重大視していたようには思えません。4月の展望レポートと比較して7月の展望レポートのインフレ率の予測はほぼ変化がなく、2024年度のコアCPI(生鮮食品を除く総合)については引き下げられているほどです(これは日銀が見通しが弱気になっているわけではなく、原油価格の変動を反映して機械的に修正しているためと思われます)。植田総裁も円安によるインフレリスクに言及しつつも、円安が主な利上げの理由という見方を否定しています。

*7:1月の展望レポートでは24年度の実質GDP成長率は1.2%の見通しでしたが、4月の展望レポートでは0.8%に下方修正され、7月の展望レポートではとうとう0.6%になりました。

*8:不可解なことに、景気見通しの大幅な悪化にもかかわらず、昨年10月の展望レポートから24年度、25年度のコアコアCPI(生鮮食品とエネルギー除く総合)のインフレ率の中心的な見通しは一貫して1.9%で変わっていませんが、普通は景気が悪化しGDPギャップが拡大すると考えられるならインフレ率の見通しも引き下げてしかるべきで、やや不自然な予測ではないでしょうか。少なくとも、25年度の見通しは引き下げてしかるべきです。

*9:誤解であることを祈りますが。

*10:高名な評論家の方の中にも株価の乱高下に合わせて日銀の政策への評価を目まぐるしく変えている方をお見掛けしますが、私は短期的な株価の変動を事細かに議論する趣味はありません(それは水晶玉を見て占いをやっているのとあまり変わりませんから)。むしろ政策のもたらす長期的な帰結の方を見ています。株価がそんなにうまく分析できるなら、私はとっくに大金持ちになっているでしょうし、皆さんにいちいちその秘訣を明らかにしたりはしていないでしょう(笑)。

7月31日の利上げ後、株価は当日こそ上昇しましたが、8月1日から大幅に下落し、8月5日までに日経平均株価は約20%暴落しました。円は一時141円まで急騰し、大幅な円高が進行しました。市場の変動は過剰反応な部分もあるとはいえ、日銀の時期尚早な利上げなしにこの混乱は起こりえなかったでしょう。日銀の一連の利上げを擁護していた人たちは「これは米国の景気指標が弱かったためで日銀のせいではない」とか「これはすべてこれまでの緩和の付けでアベノミクスが悪い。黒田前総裁の責任だ」などと主張して日銀を擁護しています。

しかし、これが米国初のショックで米国の景気後退が目前に迫っていたというのであれば、日銀が利上げに踏み切ったのはやはり先見の明に欠けた見通しの誤りということになるでしょう。そもそも米国の株価の下落は日本の株価の暴落とは比較にならないくらいに小さなものです。なぜ日本が大きな打撃を受けるのかは理解しがたいでしょう。「超円高が進行したからだ」というなら、それは利上げして日米金利差を縮小させ、タカ派的スタンスを示した日銀にも明らかに責任があるのではないでしょうか?

それに、反リフレ派の皆さんによれば、円は日本の国力を表すはずでしょう。「悪い円安」が是正されたんですから日本の株価は上がるべきなのではないのでしょうか?

アベノミクスや黒田前総裁の金融政策の是非について今はあれこれ書きませんが、黒田前総裁の作った枠組みを壊しておいて、「利上げしたら株が下がった、全部安倍のせいだ」というのはさすがに無理があるのではないでしょうか。悪いことは安倍と黒田のせい、うまくいけば植田総裁のおかげですか?利上げを見送っても別に何も問題なかったのに敢えて利上げしたのですから、責任は現在の植田日銀にあると考えるのが普通です。これはためにする議論としか言いようがないでしょう。

8月7日現在、市場の混乱は6日に発表された米国のISM非製造業景況指数が予想より良く米国の早期利下げ観測が後退したことや、7日の内田副総裁の一見ハト派的な発言を受けて一応収まっていますが、日銀の基本方針は今回の株式市場の混乱を受けても変わっていないとみるべきです。資産価格の乱高下が落ち着けば(比較的早く落ち着くでしょう)、日銀は利上げを進めるでしょう。短期的な変動よりも長期的な政策の帰結を見るべきですし、日銀幹部の文脈から切り離された個々の発言を見るのではなく、日銀がどこを目指しているのかという全体的な方向性を見た方が良いでしょう。

*11:また、今回の政策決定の内容はもはや恒例行事と化した会合一日目の深夜2時の日経新聞の特報通りの内容で、情報管理の点でも日銀には大きな問題があるといわざるをえません。何度もこういうことが続くのに、「偶然憶測が当たっただけ」などと主張し続けるのはいくら何でもおかしいでしょう。放置せず再発防止策を講じるべきです。

*12:この調子では、今年の終わりから来年には2%目標を下回るリスクが高まるのではないか懸念されます。なお、誤解(曲解)しないでいただきたいのですが、「利上げすると秒でデフレに戻る」などと主張しているわけではありません。また、「永久に金融緩和を続けろというのか」等という人がいますが、そんなことも全く主張していません。というよりも、そんなおかしなことを言っている学者を私は一人も知りません。藁人形を攻撃している方をみかけますので一応念のため言っておきます。まあ、言っても無駄でしょうけれども。