柿埜真吾のブログ

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書評『プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解』

拙著『本当に役立つ経済学全史』を出版させていただいたテンミニッツTVの講義録シリーズから、この度、第2弾として納富信留先生のプラトンの『ポリテイア(国家)』の解説書が出ましたので、ご紹介させていただきます。

プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解 (テンミニッツTV講義録 2) | 納富 信留 |本 | 通販 | Amazon

かつて20世紀英国の哲学者ホワイトヘッドは、西欧哲学の伝統は「プラトンに対する一連の脚注からなっている」と述べたことがあります*1。実際、西洋哲学を理解するには、その思想に賛成するにせよしないにせよ、プラトンの哲学を知っておくことが前提になります*2。本書にも紹介されているように、プラトンの『国家』は、哲学の専門家や哲学科の学生の間でも最も読まれている本です。

『国家』の注解書には優れた本がたくさんありますが*3、本書は、現代日本の読者が『国家』を読むうえで、知っておくと便利な前提知識や勘所を紹介する優れた入門書です。プラトンの同時代人には自明でも、現代人が読むとわからない当時の時代背景やプラトンの対話篇の舞台設定の意味*4など、プラトン研究の第一人者である納富先生のご研究を踏まえた興味深い話が紹介されています。

『国家』と言えば、ポパー『開かれた社会とその敵』以来、民主主義の批判者、危険な全体主義に通じる思想家としてのプラトンの側面がクローズアップされてきましたが、本書ではプラトンの僭主政に関する議論なども紹介しつつも、この作品の本来のテーマは正義論や人間の在り方についての議論であることを指摘し*5プラトンの正義論や人間論、教育論等に主に焦点を当てています*6プラトンの提起した問題や鮮やかな比喩*7は彼の結論に同意するかどうかは全く別として*8極めて刺激的ですし、その後の西洋哲学や文学に大きな影響を与えたものばかりです。

プラトンの思想と現代社会とのつながり、例えば現代の日本の小学校教育で体育や音楽の教育がされるようになった背景に、プラトンの教育論がかかわっているといった挿話も楽しく読めるでしょう*9。本の「あらすじ」を単に要約したような安易な入門書とは一味違う洞察が得られる一冊です。初学者だけでなく、哲学が好きな方も楽しんで読めると思います。

*1:A. N. Whitehead, Process and Reality: An Essay in Cosmology, New York: Free Press,1978(Originaly published in 1929), p.39(邦訳は『過程と実在』上, 山本誠作訳, 松籟社, 1984年,66頁).

*2:全く違う時代に生きている現代人にはプラトンの哲学は縁遠い部分が少なくありませんが、自分と違うからと言って関心を持たないのはプラトンのような大きな影響を持った思想家に対しては不当な態度でしょう。私はどちらかというと反プラトン派なのですが(笑)、良い悪いは別として、マルクス等と同様にプラトンは思想史を理解する上で極めて重要な思想家であると考えます。現代でも哲学科ではプラトンの著作はもちろん必読書ですし、そうあるべきです。哲学だけでなく、芸術についてみても、プラトンは多くの芸術家にインスピレーションを与えています。例えば、新プラトン主義はボッティチェリミケランジェロなどのルネサンスの芸術作品を理解する上で不可欠です。世界を数学で解明できると考えたガリレオ・ガリレイのような科学者はプラトン主義から影響を受けていますし、(まあ、かなり遠いつながりしかないにしても)プラトンイデア論にちなむ「数学的プラトニズム」は今も支持者のいる学説です。これは本書でも紹介がありますが、『国家』におけるプラトンの男女平等論は男尊女卑が強烈だった古代ギリシャではかなり革新的です。もちろん、プラトンは女性の権利にさして関心を持っていたとは言えませんし、その正確な意図や限界(例えば『饗宴』で間接的にディオティマという女性が出てくる以外は対話篇で議論に参加するのは男性で、女性は登場しても重要な議論に参加できない(『パイドン』)等)をめぐっては議論はあるにせよ(簡単にはこちらを参照)、プラトンが時代を超えて影響を与え続けている思想家であることは間違いないでしょう。

*3:例えば、次の2冊は入手しやすくお勧めです。名著誕生4 プラトンの『国家』 (名著誕生 4) | サイモン ブラックバーン, Blackburn,Simon, 元, 木田 |本 | 通販 | Amazon Amazon.co.jp: プラトン 『国家』――逆説のユートピア (書物誕生 あたらしい古典入門) : 内山 勝利: 本

*4:プラトンの作品は『ソクラテスの弁明』や書簡を除けば、いずれも対話篇の形式をとっていますが、その登場人物や舞台設定はいい加減なものではなく、大抵の場合は実在の人物が登場し、対話の時期についてもかなりしっかりと年代や時代背景を特定できるように書かれている場合が殆どです。

*5:なお、納富先生は、この作品が国家論、政治哲学の本として狭く解釈されてしまうことを避けるために、本書では伝統的訳語である『国家』を避けて『ポリテイア』という原題を使っています。原語は「国家」よりもむしろ「国のあり方」の意味に近く、内容も「魂の構造や宇宙の構造も含めた、あり方の問題」(本書20頁)を扱っているといえるので、『国家』という訳語は不適当と指摘されています。ただ、この書評では『ポリテイア』と書くと馴染みがないと思いますので『国家』で通しています。

*6:ポパーの議論にはかなり批判もありますが、私は評価すべき点が多いと考えます。本書にも紹介されていますが、プラトンの政治思想と20世紀の全体主義との関係を知りたい読者は、ポパーの前掲書の他、佐々木毅先生の『プラトンの呪縛』や納富先生の『プラトン 理想国の現在』も併せて参照されるとよいでしょう。ちなみに、プラトン自身は、今のイタリアにあったシュラクサイという都市の僭主を哲人王にしようとして3度もシチリアに旅行していますが、失敗しています。

*7:詩人追放論者プラトンには皮肉なことですが、彼自身が比喩の天才であり優れた詩人でした。まあ「自分の比喩と詩は良いがホメロスやヘシオドスはダメだ」ということなんでしょうが(笑)。

*8:当然ですが、理解することは賛成することではありません。アリストテレスからニーチェに至るまで多くの哲学者がプラトンに反発し新しい哲学を生み出してきました。プラトンは重要な哲学的問題を提起した思想家として(問題にうまく答えたかは別として)確かに哲学の出発点に位置付けられる人だと思います。

*9:体育や音楽が苦手だった学生の皆さんが恨むべきはプラトンかもしれません(笑)。古代ギリシャでは音楽が人間の魂や政治と深く関係すると考えられていたのは興味深い点です。アリストテレスの『政治学』にも音楽談義があります。