柿埜真吾のブログ

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書評掲載(2/16)

少しお知らせが遅くなりましたが、週刊読書人2月16日号に、池尾愛子著『天野為之 日本で最初の経済学者』ミネルヴァ書房)の書評を掲載させていただきました。ぜひご一読いただければ幸いです!

天野為之は、福沢諭吉や田口卯吉と並び明治日本の3大経済学者と称えられた経済学者です。ジョン・スチュアート・ミルの経済学から影響を受け、自由貿易や自由市場経済を説いたことで知られていますが、これまでその業績はあまり顧みられてきませんでした。本書は天野の経済学を、当時の時代背景や同時代の思想家とのつながりを検証することで再評価した興味深い一冊です。

明治期の日本の経済政策は、殖産興業などの産業政策が有名で、さぞ介入主義的だったのだろうと思われがちですが、実際には官営工場設立などの政策は大赤字を出して失敗に終わっていますし、官業払下げですぐ民営化されています。明治日本の基本的な政策は自由貿易、自由市場経済の下での近代化であり、西欧諸国の優れた文明を取り入れ、株式会社など近代的な資本主義の制度を積極的に採り入れる政策が中心でした。こうした近代化政策を理論的に支えたのが天野をはじめとする自由主義経済学者です。

日本が開国した当時、世界で主流だったのは自由市場経済の重要性を説く古典派経済学であり*1、日本に経済学を伝えたフェノロサ*2ボアソナード、アペール*3、ラーネッド*4といった人たちが教えたのも古典派理論でした。天野の経済学は古典派経済学を消化した上で、経済学方法論や限界効用理論など当時最先端の知見を取り入れたものでした。明治期にも保護主義的、国家主義的な経済思想はありましたが、当時のベストセラーは天野の『経済原論』で、経済政策の基調は自由主義でした。これは日本の経済発展にとって幸運なことだったといえるでしょう*5

「学理と実際の調和」をモットーとしていた天野は『東洋経済新報』を率いて経済評論でも活躍し、実際の経済政策にも積極的に発言しています。本書は、天野の思想が植民地主義を容認しているものの一貫した自由貿易、門戸開放主義であったことを評価し、日露戦争後の日本の暴走を警告した朝河貫一イェール大学教授との接点等にも触れています。大正デモクラシーの時代になると、『東洋経済新報』は植松孝昭、三浦銕太郎、石橋湛山らが植民地主義を真っ向から批判する論説を掲載し、急進的自由主義の牙城となっていきますが、天野時代にもその萌芽はあったといえるでしょう*6。天野の経済学は古典派の色彩が強い一方で、ケインズ的発想も見られるという本書の指摘は、昭和恐慌期に高橋是清石橋湛山といった天野とゆかりのある人々がデフレ不況を財政金融政策によって克服する処方箋を唱えたことを考えると極めて興味深いものです。

経済思想史でもスター経済学者にばかりスポットライトが当たりがちですが、大スターの活躍も先人の活躍があってこそのものであることがしばしばです。忘れられた経済学者を再評価する本書のような取り組みは大変貴重です*7

*1:1870年代の限界革命で登場した新古典派経済学が主流になるのはもう少し後です。

*2:今日ではもちろん日本美術の再評価の方で有名な人ですが、実は東大で政治学や経済学(当時は「理財学」)を講義し、日本に初めて本格的に経済学を伝えた人でもあります。なお、フェノロサは東大の講義ではジョン・スチュアート・ミルの『経済学原理』を基本とした内容を教えていたようですが、ジェボンズMoney and the Mechanism of Exchange(1875)など当時としては新しいテキストも参考書に挙げていて比較的水準の高い講義をしていたのではないかと思われます。天野はフェノロサの弟子で、自由主義経済学を継承した人です。ちなみに、東大はフェノロサの後、ドイツ歴史学派の影響を受けた和田垣謙三(彼も『リア王』の翻訳とか本業以外で結構活躍した人ですが)が経済学の講座を引き継いでおり、どちらかというと国家主義的な傾向が強くなりますが、天野が教えた東京専門学校(後の早稲田大学)等の私学や、民間の間では自由主義経済学が盛んでした。

*3:ボアソナードの名前は法政大学にボアソナードタワーがあるからご存じの方も多いでしょうが、フランスの法学者で、お雇い外国人として日本の法制度の近代化に尽力した日本近代法の父です。アペールもお雇い外国人として来日したフランスの法学者です。2人とも法学者なのですが、東京法学校(後の法政大学)、明治法律学校(後の明治大学)、東大などで経済学も教えています。彼らの教えた内容は、イギリスの古典派経済学に加えて、セー、バスティアなどフランスの自由主義経済学の伝統を受け継いだものでした。

*4:同志社の第2代学長として有名ですが、経済学も教えています。古典派経済学を引き継ぎながら独自の立場を模索した内容ですが、基本的には自由主義的です。

*5:その後、昭和恐慌で軍国主義が台頭し、2・26事件以降は戦時統制経済国家社会主義が主流になるわけですが、言うまでもなくこれは破滅への道でした。

*6:もっとも、天野の主張には時期によってかなりブレがあり、石橋湛山のような一貫した反帝国主義とは到底言えないのですが、当時大多数が帝国主義を支持していたことを考えれば、軍拡に伴う経費の増大や無謀な軍国主義が日本の孤立を招く危険性などを冷静に批判していた天野の先見の明はやはり評価に値するでしょう。

*7:なお、念のため一応お伝えすると、本書は専門書で、わかりやすく書かれてはいますが、きちんと理解するには一定の知識は必要ですので、初学者にはややハードルが高いかもしれません。が、敢えて紹介させていただいたのはこうした忘れられた経済学者にも目を向けていただければと思ってのことです。