柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

テロは「社会の責任」なのか

社会を揺るがすような大きな事件が起きると、必ずと言ってよいほど、事件を「日本社会の闇」とか、「社会の責任」にする意見が出てきます。未成年の凶悪犯は現代の若者の誰もが抱えている心の病のせいですし、テロ事件は政治の病理が引き起こしたもの、加害者はある意味で社会の犠牲者であり、本当の責任は社会全体にあるのだというわけです。

枕詞は、「普通の青年がなぜ?」です。事件を犯したのは“普通の青年”で、「なぜ罪を犯さざるを得なかったのか」、犯人の“心の闇”に迫り、解明することが再発防止につながるというわけです。何しろ犯人は“普通の青年”ですから。

こうした考え方によれば、テロに対する正しい処方箋はテロリストの動機を理解し、テロの原因となる社会問題を取り除くことです。「社会が安定して良い政治が行われていれば、こんな過激な事件は起きない」*1はずだから、テロを招いた社会的原因を取り除くのが先決であるということになります。安倍元首相の暗殺をめぐっては、多くのメディアが宗教と政治の問題が事件を招いたのだと報じていますが、暗殺事件が起きたのは「アベ政治」のせいで自業自得だといわんばかりの意見すら見られます。社会の責任が強調される一方、残虐な犯行に及んだ犯人の責任があまりに軽視されていないでしょうか。

4月16日夜の一連のツイートでサイボウズの青野慶久社長が述べた意見は、大変な批判を浴びましたが、正にこうした社会の責任を強調するものでした。青野氏は「自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていれば、去年の辛いテロは起きなかった」のだから、「どうして日本国民がわざわざ命懸けで犯罪に走るのか。テロが起きる原因からなくしていきましょう」と主張しています*2。青野氏の発言をめぐっては、一連のツイートが岸田首相暗殺未遂事件の翌日だったこともあって批判が殺到し、武井俊輔外務副大臣反論を寄せる事態になりました。

青野氏のような考え方の一体どこが間違っているのでしょうか。いくつも論点はありますが、既に他の方が取り上げているのでここでは触れないことにしましょう*3。私がここで批判したいのは、テロは社会の責任であるという発想です。

そもそも、1億2000万人いる日本人のうち、たった2人の行動を理由に、何故「日本国民がわざわざ命懸けで犯罪に走るのか」といった大げさな問いを立てること自体が極めてミスリーディングです。よく知られているように、日本は国際的にみても元々凶悪犯罪が極めて少ない国ですし、アベノミクスの下でもその傾向は続いています。

ロスジェネ世代の世代論や宗教二世問題などは大いに論じて結構ですが、どんな理由であれ、直接無関係な安倍元首相を殺害するという飛躍した発想に至ること自体、全く普通ではありません。同じような境遇でも、いや遥かに不幸な境遇でも立派に生きておられる方はたくさんいますし、遥かに同情すべき犯罪者はいくらでもいます。大体、あの事件で誰よりも同情に値し哀悼をささげるべき相手は、身勝手な犯行の犠牲になり、無残に命を奪われた安倍元首相であり、最愛の人を奪われたその家族でしょう。殊更に大事件を起こした犯人の境遇だけを大げさに取り上げるのはバランスを欠いていますし、テロリストの英雄視につながり、第二、第三のテロを招きかねません。

常識で考えればわかるように、“普通の青年”はまずこんなことをしません。このような犯罪はきわめて特殊で、全く一般化できません。例外的事件を過度に一般化して「社会の責任」にするのは事実上、テロを免責し肯定するに等しいといえます。どんな社会でも、いろいろな人がいて、中には犯罪を起こす人もどうしても一定数は存在するわけです。これはどんなに対策をとってもゼロにはなりません。

安倍元首相暗殺事件後の一連の報道で、多くのメディアは、テロの原因は統一教会問題であるという論調で報道していましたが*4、今回の岸田首相に対するテロを実行した男の動機は恐らく統一教会問題ではなく、また別にあるでしょう。統一教会の次は、今度は一体全体、何の責任を追及して、どんな法律を作るつもりか知りませんが、そんなことでテロを実行する人間を止めることはできません。法律が山のように増えていっても、政治家を無防備な状態で襲うことが比較的容易である状況が続く限り、潜在的な脅威はなくなりません。

人生に失敗したと感じ、社会に対して不満を募らせている人間はいくらでもいます。不幸なことですが、その中には一定の割合で凶悪な犯罪に走る人もいます。対策をとって改善できることもありますが、そうした方が持つ不満の種をすべて撲滅することは明らかにどんな社会であっても絶対に不可能です。例えば、女性にもてない男性が社会に対して一方的な恨みを持ってテロを計画したり、精神に異常をきたした人物が妄想から首相暗殺を計画したりする場合はどうでしょうか。いちいちテロリストの心の闇に向き合い、その人生や主張などを大々的に宣伝し、その度に法律を作ったりしていてはキリがありませんし、むしろ自己顕示欲を満たしたり自分の政治的主張を実現したりするためにテロに走る人間を増やすことになりかねず非常に危険です。

豊かな福祉国家スウェーデンでもパルメ首相暗殺事件が起きましたし、ノルウェーでも労働党員への連続テロ事件がありました。良い政治が行われていれば、こんな過激な事件は起きないとは全く言えません。

先日の投稿でも著書でも触れましたが、我々が今なすべきことは、社会のどこかには人に害をなす人物がいる前提で、今後このようなことが起きないよう、どういった警備体制を整えるべきか考えることです。悪意の人物がいてもその人物が社会に引き起こす混乱が最小限で済むようにすることです。

最もシンプルで合理的な解決策は、既にそうした提言をされている方も少なくありませんが*5、街頭演説をやめることでしょう。実際、政治家の間にもそのような意見が既に出てきているようです*6。街頭演説は世界では一般的なものではありません。警備上の問題が大きいですし、このようなことが立て続けに起きた以上は続けるのは困難だと判断せざるを得ないと思います。少なくとも、今のままの警備態勢で次の国政選挙を迎えるべきでないのは確かではないでしょうか。わざわざ大惨事が起きるまで待っているべきではないでしょう。たまたま運よくテロは起きないかもしれませんが、選挙活動をロシアンルーレットのようなものにするのは賢明とは言えません。

*1:小沢一郎氏「自民党の長期政権が招いた事件」 安倍元首相銃撃で持論:朝日新聞デジタル (asahi.com) 安倍元首相の暗殺事件の直後、小沢一郎衆院議員の言葉。

*2:青野慶久氏のTwitter, 2023年4月16日,

URL: https://twitter.com/aono/status/1647578843216248833

*3:たくさんの方が指摘されているように青野氏の表現はテロを肯定するような誤解を与えかねない不注意なものだったと思います。一連のツイートを読めば青野氏はテロを肯定しているとは言えませんが、こうした内容をツイッターという短文投稿サイトで発信するべきだったかといえば疑わしいでしょう。後のツイートを無視して悪用されたり、一部しか読まずに誤解したりする人が出るリスクは極めて高いからです。

*4:統一教会への恨みと安倍元首相殺害には極端な飛躍がありますし、犯人の主張をそのまま垂れ流すのは疑問です。

*5:例えば渡瀬裕哉先生がしばしば提言されています。

*6:「街頭演説はやめて室内にすべき」 事件後、警備は金属探知機で手荷物検査も…選挙戦にも変化|TBS NEWS DIG - YouTube