柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

集団懲罰

10月7日のテロとそれに続く戦争では、集団懲罰の発想が大流行しています*1。ジェノサイドや集団懲罰を支持する主張は古くからある考え方です。とはいえ、古代の思想家の中にも、そうは考えなかった人がいたということを知るのは慰めになります。

〔神がソドムという罪深い街を滅ぼそうとしたとき〕アブラハムは進み出て言った。

「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が50人いるとしても、それでも滅ぼし、その50人の正しい者のために町をお赦しにならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者と悪い者を同じ目に遭わせるようなことをあなたがなさるはずはございません。全くあり得ないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」

主は言われた。

「もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

アブラハムは答えた。

「塵あくたに過ぎない私ですが、敢えてわが主に申し上げます。もしかすると、50人の正しい者に5人足りないかもしれません。それでもあなたは、5人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」

主は言われた。

「もし45人いれば滅ぼさない。」

アブラハムは重ねて言った。

「もしかすると、40人しかいないかもしれません」

主は言われた。

「その40人のために私はそれをしない。」

アブラハムは言った。

「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには30人しかいないかもしれません。」

主は言われた。

「もし30人いるなら私はそれをしない。」

アブラハムは言った。

「敢えてわが主に申し上げます。もしかすると20人しかいないかもしれません。」

主は言われた。

「その20人のために私は滅ぼさない。」

アブラハムは言った。

「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、10人しかいないかもしれません。」

主は言われた。

「その10人のために私は滅ぼさない。」

主はアブラハムと語り終えると去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

『創世記』18章23-33節

聖書の中にはおぞましい集団懲罰が描かれている個所も多々見られますが*2、少なくともこの話の作者は「罪深い人が多い町なら全員同罪にして滅ぼしてもいい」という考え方に反対していたのは明らかです。

結局、この物語ではソドムの町は最後は滅ぼされますが、神は正しい人だったというロトとその家族を助けていますから、アブラハムとの約束は守ったのでしょう*3。言うまでもなく、この対話は架空の話で本当に起きたことではありませんが、この寓話が言わんとしていることには、確かに学ぶべきものがあると思います*4

もし全知全能の神が存在するならば、誰が悪人で誰が善人なのか知っており、どんな刑罰がふさわしいかも知っていると考えてもいいのかもしれませんが*5、人間には当然ながら誰が善人で誰が悪人かはわかりませんし、勝手に「とにかく○○人全員に罪がある」などと決めつけていいわけもありません。それに、たとえ「悪人」だとしても、どんな刑罰を加えてもいいとか人権などないということには決してなりません。犯罪者にも人権はありますし、戦争中でも守るべき法はあります。集団懲罰は誰がやろうと許されないことですし人間がやっていいわけがないのは当たり前です。

*1:例えば、「イスラエルパレスチナに長年不正をしてきたから、ハマスの攻撃はレジスタンスだ。イスラエルに民間人なんていない。全員犯罪者なのだ」とか「パレスチナ人はハマスを支持している。テロリストと同罪でガザの空爆で死ぬのは仕方ないし自分が悪い」とかいった意見がしばしば聞かれるようになりました。

普段は進歩的な発言をしているはずの左派知識人にも、ハマスイスラエルの民間人を狙うことを正当化するような発言をする方が少なくないのには驚きました。ハマスを支持したりホロコースト否定論者や反ユダヤ主義者の言説を持ち上げたりするような人がいるのには呆れてしまいます。人権尊重はどこに行ったのでしょうか。

イスラエルへの誤解や偏見を解く活動をされてきた方々の中にも、勢い余って今度はパレスチナへの偏見を煽るようなことをされている方がいるのには落胆しました。ハマスパレスチナと一緒ではないですし、ガザにはハマスを支持している住民が多いから自分が悪いとか殺されて当然だなどというのは全く受け入れがたい言語道断な主張です。病院などの民生施設の攻撃、民間人の甚大な被害は強い非難に値します。こんなことは本来言うまでもないことです。

*2:長い年月をかけて複数の作者によって書かれた本ですから、矛盾があったり異なる発想が混在したりしているのは当然でしょう。

*3:しかし、逃げる際に後ろを振り返ってはならないといわれていたロトの妻は、後ろを振り返るという過ちを犯したために死んでしまいます。何とか助かったのはロトとその2人の娘だけです。その後の記述を読めば、ロトの2人の娘は父を酔っぱらわせて交わって子を作っていますし(19章30-38節)、とりわけ立派な人たちだったとは到底思えないのですけれども(笑)、一応は正しい者は全員が救われてそうでない者だけが滅ぼされたという建前になっています。正直、この結末は納得のいくものではありません。

*4:なお、誤解のないように強調しておきたいですが、聖書を引用しているからと言って、信仰を持つことを勧めているわけでは全くありません。そもそも私自身、一切何の信仰ももっておりません。

*5:しかし、ロトの妻はソドムの滅亡の際に些細な罪としか言えないことで死んでいるので、そういう神ですら大規模な都市破壊の際には、正しい人を一部巻き沿いにしてしまう場合があるとも解釈できます。