柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

モンテスキューvs.アマゾンレビュアー(?)

「認めていただけるかわからないが、私には一つお願いがある。それは、少し読んだだけで二十年の仕事を判断しないこと、片言隻句ではなく、この本の全体を是認するなり否認するなりすることである。著者の意図を探ろうとすれば、それはひとえにその著作の意図の中にしか見出しえない。」*1

「この本の中にある無数の事柄のうち、もし何か一つでも、私の予期に反して人の気に障るかもしれないようなものがあったとしても、少なくともそれは悪意によってそこにおかれたものではない。私は生まれつきみやみと文句をつけたがる性分をもっているわけではない。」*2

「私はそのすべてを取り上げることはしなかった。いったい、誰が死ぬほどの退屈さを与えずに、全てを語りうるであろうか。」*3

近頃は少々難しい話題が続きましたから、たまには軽いお話を。引用はモンテスキューの『法の精神』の序文からです。現代にも通じる内容というか、現代にこそ通じる内容です。モンテスキューが現代に生きていたとしたら、片言隻句を取り上げて、ひどいレビューを書くアマゾンレビュアーにはさぞ悩まされたことでしょう。

モンテスキュー自身が言うように、『法の精神』という書物は、片言隻句から判断したのではその偉大さを理解できない書物です。部分的には現代人から見れば、時代遅れで荒唐無稽な説で間違いだらけにしか見えないでしょう。例えば、熱い地域に住む人よりも寒い地域に住む人の方が勇敢であるといった奇怪な生理学や地理学についてとっくに乗り越えられている不正確な知識などが目に付くでしょう。あらさがしは簡単なことです。それにもかかわらず、有名な三権分立のアイデアや自由と商業精神の関係に関する分析は政治学に革命をもたらした洞察でしたし、自由主義の哲学的基礎を提供するものでした。そして、法と習慣、社会の状態と法の関係といったテーマは、まさに『法の精神』が初めて体系的に分析を始めたものなのです。モンテスキューの思想は、政治学法哲学社会学に依然として大きな影響を与え続けています。全体の構想を理解して初めて、この書物の言わんとしたことは正しく評価できますし、その正しい位置づけを理解できるといえるでしょう。

誰でも書評を書ける時代ですが、書評も一つの作品です。罵詈雑言を並べるのではなく、作品全体の価値を理解した上で建設的な書評を書きたいものですね。

*1:モンテスキュー『法の精神』,岩波文庫,上巻,33頁.

*2:モンテスキュー『法の精神』,岩波文庫,上巻,33頁.

*3:モンテスキュー『法の精神』,岩波文庫,上巻,34頁.