柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

戯れに“校閲”はすまじ

お恥ずかしながら、原稿執筆でも講演でも、私は時間に余裕を持って行動した試しがありません。悪い意味で完璧主義なので、あれこれこだわり過ぎて、いつも時間には余裕がなくなってばかりです。結局、最後のぎりぎりまでやるので、思わぬミスが相次ぎ、実際にできるものは完璧とは程遠い代物になってしまいます。直さなくてはなと思うのですが、言うは易しで、実行が伴わないのは困ったことです。

ところで、3月17日に倉山満先生のご新著『これからの時代に生き残るための経済学 (PHP新書)』が出版されましたが、この本についてお伝えしたいことがあります。この本の「おわりに」には、この本を私が校閲し事実上の監修をしたという風に書いていただいています。大変名誉なのですけれども、これは連絡ミスによる誤解です。

実際は、私は本の初稿に極めて短時間でコメントを書いただけで、「おわりに」も最終稿も見ておりません。私は内容に関して監修とか校閲とかいったことに類することは全然しておりませんし、この本の内容は倉山先生独自のご見解で、私とは相当な意見の違いがありますのでご了承ください[1]

私自身のしたのはコメントだけですので、監修とか校閲とかいった表現は使わないでほしいと編集者にも倉山先生にも事前にお願いしておりました。こうした謝辞が掲載されてしまったのは連絡ミスによる手違いかと思われます。本書の電子版では倉山先生とPHP研究所に申し入れて「おわりに」の私に関する記述は既に削除していただいております[2]

校閲の依頼は確かにあったのですが、本書の初稿をいただいたのは2月15日、PHP研究所側が指定した締切は5日後の2月20日でした。ちょうど他の仕事の締め切りも重なり、全く時間がありませんでしたし、いずれにせよ初めて見る本を5日で校閲するのはそもそも無理です。結局、私はコメントを22日早朝に出しましたが、時間的余裕がないので校閲はお断りし、謝辞でそういう風に書かないようにお伝えしたのですが、先方もスケジュールが慌ただしかったのか、どうもうまく伝わらなかったようです。

こうしたミスが起きたのは、おそらくは私がコメントを送る締め切りを2日弱遅れたせいが大きいのでしょう。私が遅れたせいで、倉山先生の最終稿を書く時間が極端に短くなってしまい、恐らく私のコメントを細かく確認する時間もなかったのだろうと思いますし、締め切り間際で焦っていた編集者が「おわりに」の文章を見落としたのも無理からぬことと思います[3]。まあ、そういうわけで、完成した本を見て私が仰天する結果になりました(笑)。

これまで大変お世話になったPHP研究所や倉山先生にもご迷惑をおかけする形になってしまい全く申し訳なく思っています。やれやれ、スケジュール管理はきちんとして、締め切りは守らないといけません!今後は、このような校閲は引受けないようにしないといけませんね!

 

[1]例えば、アダム・スミスマルクスケインズ等の思想家の評価、日銀関係者への批判、高度成長に果たした為替レートの役割、1970年代のインフレの原因、日本銀行の重要性の評価、上げ潮派マネタリズムの関係の評価(私は無関係と考えます)、インフレターゲットをめぐる議論等は倉山先生ご自身のご見解で、私と大きく異なります。一例を挙げると、倉山先生は1930年代のスウェーデンの物価水準目標をインフレターゲットと解釈されており、類似した政策をすべてインフレターゲットの名称で呼んでおられますが、私はもっと限定的にとらえるべきで、1990年代のニュージーランドの政策採用を最初とみなすべきだと考えます。また、白川元日銀総裁マルクス等に対する批判はあまりに酷であると思います。

[2]なお、「おわりに」には私が「よくこんな風にぶった斬れますねえ」といったとありますが、私自身、そうした発言をした記憶は全然ありません。

[3]とはいえ、PHPの方も私に校閲を依頼するのであれば、もっと前もって原稿を送っていただきたかったですし、「校閲という表現を使わず、コメントしたという表現にしてほしい」という私の依頼ははっきりご了承いただいたのですから、きちんと伝えていただきたかったと思います。この点は大変残念です。