柿埜真吾のブログ

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インフレ目標「0%超」はなぜ問題か

今回の衆議院選で立憲民主党インフレ目標を2%から「0%超」に変更するという公約を掲げたことに関して様々な議論が起きました。Xでも書きましたが、少々遅ればせながら、立憲の公約が何故まずいのか一言書いておきます。

物価目標 0%超は経済学の常識からも国際標準からも逸脱した公約です。現在、世界の中央銀行は2%目標が一般的です。「0%超」などというインフレ目標を掲げている国はありません。

インフレ目標は世界の主要国(OECD36か国中35か国、G20のうち17か国 *1)で採用されており、殆どの先進国が採用していますが、私の知る限り、多くの国は2%前後の目標を掲げていますし、「0%超」のようなどうとでも取れる曖昧な目標を掲げている国はありません。2%を下回る目標でも1%以上なのが普通ですし、目標インフレ率の上限がいくつか書いていない中央銀行などありません。

どれほどもっともらしく見えようと、世界の潮流から完全にずれている主張には疑いを持ってしかるべきでしょう。何故わざわざ2%目標を下すのか対外的な説明も困難ですし、これはアベノミクス以前どころか、さらに悪いものです。白川日銀の 2012 年の「中長期的な物価安定の目途」は1%、福井日銀の2006 年の「物価安定の理解」は0~2%でしたからそれ以下で、0%以上なら何でもよいとしていた速水日銀の水準まで逆戻りすることを意味します。デフレ不況に苦しめられた長期停滞から何一つ学ばなかったとしか言いようがありません。

「0%超」などというあいまいな目標は日銀に極端な裁量の権限を与えるに等しいものです。2000年代の速水日銀時代の量的緩和は正に0%超なら問題ないという方針でしたが素晴らしい時代だったでしょうか?徐々に世界標準に近づいてきた議論をすべて逆戻りさせ、日銀官僚に好きなように金融政策を決めさせる権限を与える等というのは責任ある政党の掲げるべき公約ではないでしょう。

0%超が何を言いたいのかは極めて曖昧ですが(その時点でインフレ目標の体をなしていません)、仮にインフレ率を0%台近傍に戻すという意味なら*2、それは現状では強烈な金融引き締めを意味します。物価には上方バイアスがあるため、0%を目標にするのはデフレ容認に等しい政策です。物価の上方バイアスの問題に加えて、物価や賃金の下方硬直性、名目利子率の実効下限制約も考慮すると、デフレに陥るリスクを避けるためにも2%目標が合理的です。いったんデフレになると、経済に極めて深刻な影響が及びますから、デフレに陥らないように、2%程度を目指すのが安全なのです。

多くの中銀のサイトには0%を超えているとか0%というだけでは何故まずいのかが丁寧に書いてあります*3。物価指数のバイアスから0%ちょうどでは実際はデフレになること、デフレに陥るリスクを考慮すればある程度プラスである必要があること等が説明してあります。実際、ニュージーランド中銀は当初は0-2%の目標を設定していましたが、1999年にはデフレに陥りそうになったため、2002年からは1-3%に目標を見直し、2012年以降はさらに透明性を高めるため中心的目標として2%を明記するようになり現在に至っています*4

また、現在2%目標が国際標準になっていますから、2%以下の目標を設定した場合、超円高を容認することになってしまいます。奇をてらって2%以外の目標を敢えて設定するのは日本経済を全く意味がない理由で苦しめる結果になるでしょう。

インフレ目標を 0%超に変更する政策は、立憲民主党の他の公約と合わせると、ますますひどい結果を招くのは明らかです。最低賃金を1500 円に引き上げ、正規雇用を原則にするというのですから、これは結局、大失業と中小企業倒産を公約しているのと同じです。政権交代を目指すのであれば、アベノミクス憎しでずれた公約をするのではなく、金融政策についても一般的な常識ある主張をしてほしいと思います。

*1:以下の紹介を参照。Jahan, S. (2017) ”Inflation targeting: Holding the line," Finance & Development, 4, 72-73., Rose, A. (2020) "iPhones, iCrises and iTargets: Inflation Targeting is eradicating International Financial Crises in the iPhone era," Centre for Economic Policy Research.

*2:そう解釈するのが自然です。「0%超」に対しては、有識者や他党の議員から「0%近傍を目指すというのは事実上デフレに逆戻りすることになる」という批判が起きました。これに対して、立憲民主党の支持者や議員たちは、そんな批判は誤解・曲解で「ゼロでないプラスの領域で2%も含むのだ」等と反論していました。しかし、「0%超」は多義的でどうとでも取れるものですし、2%から引き下げると言っているのですから、0%近傍を目指すと解釈するのが自然でしょう。仮に0%以上のプラスの領域なら何でも構わないということなら、2%だろうが200%だろうが構わないということになってしまいますが、そんな目標は意味をなしません。日銀にこういうどうとでも解釈できる目標を与えるのはインフレ目標を無意味化するに等しいでしょう。仮に「0%超」を「0%近傍」とみなすのが”誤解”であるとしたら、問題があるのは有識者ですら意味がわからない公約をする政党の方です。誰もが持つ当然の懸念や疑問に対して、高圧的に「日本語もわからないのか」と言わんばかりの喧嘩腰の態度をとるのは有権者に対して失礼で、強い違和感を覚えました。

*3:例えば、スペイン中銀の解説 Why has the inflation target been set at 2%, rather than at 0%? - Euro area monetary policy and instruments - Monetary policy - Activities - Banco de España あるいは、クリーブランド連銀の解説 Inflation 101: Why Does the Fed Care about Inflation? 等がわかりやすいでしょう。

*4:2000年代以降、多くの中央銀行は、日本のデフレの経験に学びデフレリスクを避けるため0%をある程度上回る値を下限とする目標を定めるようになりました(この経緯は例えば、伊藤隆敏・林伴子 (2006)『インフレ目標と金融政策』(東洋経済新報社)を参照)。なお、「インフレ目標はインフレを抑えるためのもので、デフレにしないために導入した国はない」などと書いている方が未だにいて本当にうんざりしますが、大恐慌下のスウェーデンでは、物価水準目標を導入して、デフレを防いだ歴史がありますし(例えば、Berg, C., and Jonung, L. (1999)" Pioneering price level targeting: the Swedish experience 1931–1937," Journal of Monetary Economics, 43(3), 525-551.)、デフレを避けることもインフレ目標の重要な役割であることはさんざん議論されています。中央銀行の間の常識ですし、そういう話は多くの書籍で紹介済みです。もういい加減勉強せずに古い議論を持ち出すのはやめてほしいと思います。