柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

民主主義を脅かすテロ

恐ろしいことですが、選挙期間中にテロが起きるのはもはや珍しいことではなくなってしまったようです。今朝、自民党本部に火炎瓶のような爆発物が投げつけられる事件が起きました。容疑者の男は犯行後さらに総理官邸に車で突っ込もうとしましたが、警視庁に現行犯逮捕されたとのことです。幸い死傷者はありませんでしたが、自民党本部の外側や警視庁機動隊の車両が焼ける被害がありました。容疑者の車の中には、複数の火炎瓶やおそらく爆発物の入っていたとみられる大量のポリタンクが積まれていたということですから、一歩間違えば一般市民も巻き込む大惨事になっていた可能性もあります*1

ネット上には不確かな情報も多いですから情報は慎重に精査する必要がありますが、今回のテロ容疑者は選挙供託金制度を違憲と主張する訴訟を起こしたり、反原発運動等の社会運動に参加したりしていた活動家であることは確かなようです*2。今回の容疑者の言動は昨年4月に起きた岸田前首相の和歌山市内の演説会場に爆発物が投げ込まれた事件の犯人とも似ています*3

今回のテロで注目すべき点は、これが土曜日の早朝に実行されたという点です。周到に計画された犯行だったのは明らかですが、それにしてはおかしな日時を選んでいるように思えます。自民党関係者や首相に危害を加えるには平日のもっと人通りの多い時間帯を狙った方が効果的であったはずです。容疑者の目的はまだ捜査中ですからわかりませんが、おそらく特定の標的に危害を加えることが目的というよりも有名になる事件を起こすことさえできればよく、事件を利用して自身の政治的主張を宣伝する機会にするつもりだったのではないでしょうか*4

実際、これは安倍元首相の暗殺以来、うんざりするほど何度も繰り返されてきたパターンですが、おそらく一部のメディアは今回も犯人の思想信条を事細かに報じ、「確かに許されないことですが、しかし…」等と言いながら自民党のあれこれの問題を攻撃するのではないでしょうか*5。そうなれば正に犯人の思う壺です。

そもそも、こういったテロリストの主張を「一理ある」等と言って取り上げること自体、愚かしいことです。犯罪を起こし目立ちさえすれば、その思想を無料で宣伝してくれるとなれば、社会に何らかの不満を持っている反社会的な人にとってこれほど都合がいいことはありません。そんな余計な親切はテロを助長するだけで、何の役にも立ちません*6。暴力によって政治的主張を実現しようとする時点で問題外であるということ以外言う必要はないですし、そんな人物の主張を事細かに紹介する必要など全くありません。

言うまでもありませんが、日本は民主主義という暴力によらない平和的な方法*7で政治家を選び、政権交代を実現できる国です。法を破り市民の安全を脅かす暴力的な方法などとらなくても、平和的で合法的に主張を訴える方法はいくらでもあります。暴力に訴えていい理由など何もありません*8

その主張がなんであろうと、民主主義を破壊し、市民の安全を脅かすような手段で何かを実現しようとした時点で一線を越えています。全く擁護できる点などありません。例えば、ストーカー殺人犯がふられた女性についてあれこれ書き連ねていたとして、その主張をいちいち報じて「殺人は許されないが、殺された女性の側にも問題があったのではないか」などと報道するメディアがあるとしたらそんなものは問題外なのは誰にでもわかるでしょう。テロリストの主張をやたらに同情的に宣伝するメディアにも全く同じことが言えます。今回のテロは民主主義に対する挑戦であり、恥ずべき犯罪行為です。民主主義社会に政治的暴力の居場所などありません。右だろうと左だろうと普段何を主張していようと、テロに対しては断固たる態度で臨むべきです。

*1:容疑者は防護服姿 過去に原発再稼働反対も 自民党本部前に火炎瓶 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

*2:「供託金廃止」訴え、過去に原発反対も 逮捕された容疑者の父が語る:朝日新聞デジタル (asahi.com)

*3:岸田首相襲撃犯も選挙供託金制度等を違憲と主張する訴訟を起こしていました。首相襲撃容疑者が起こした公選法巡る訴訟、大阪高裁が控訴を棄却:朝日新聞デジタル (asahi.com)

*4:土曜日であればむしろ警戒も手薄で、テロを実行したという”実績”を作りやすいと思ったのかもしれません。

*5:岸田前首相へのテロの時も「爆弾犯は許せないが、そうされても仕方ないほど今の自民党がやっていることはひどい」という見出しを掲げた雑誌がありました(見出しはすぐお詫びとともに削除されましたが、本文はそのままです)。記事の執筆者は、「これはネットの声を取り上げただけだ」というかもしれませんが、もしそういう主張をされるなら、極右メディアが読むに堪えない差別的な主張を「一般人のネットの声だから」とそのまま無批判に紹介している(というよりも、実際は自分の主張として書くと社会的な信用問題になりかねないので書けない自分の主張に近い意見をわざわざ選んで「ネットの意見です」という建前で掲載している)のと何が違うでしょうか。ネットの声とやらをそのまま載せるだけなら記者も雑誌も不要でしょう。

*6:大体、そういう人物の主張として特定の政治的主張を大々的に宣伝されるのは、暴力に反対し民主的方法で主張を訴えようとしている人にとっても迷惑極まりない話です。中にはテロのおかげで主張が広まったことを歓迎する人もいるかもしれませんが、そういう方は民主主義について語る資格はないでしょう。

*7:最近では、民主主義とか合法的手段を使ったデモなどの政治活動を斜めに構えてバカにする方も少なくありませんが、「それでは、一体どうやってあなたの主張を実現するのですか?」としかいうことはありません。何らかの政治的主張を実現するためには、他人を説得するか、暴力によるかしかありません。民主主義の代わりになる方法は結局のところ、実力行使であり、むき出しの暴力でしかありません。極左であれ極右であれ民主主義を”超えて”行くとか、選挙によらない”真の民主主義”を実現するのだなどという約束は信頼に値しないでしょうし、それが意味するのは、せいぜい昔ながらの独裁制とか野蛮への退行に過ぎないでしょう。どんな主張をしていようと構いませんが、他人を説得し平和的に主張を訴える以外に他にどうしろというのでしょうか?

なるほど、政治的決定は集団的意思決定ですから、たとえ民主的な決定でも不満を持つ少数派はいますし、政治は結局は少数派への強制を伴うのだというのは事実です。ですから、私のような自由主義者は「政治的意思決定で決める範囲はなるべく少なくし、強制を減らしましょう。本人に決めてもらえばいいようなことや家族や友人同士の自発的な合意に任せたり市場に任せたりできることはなるべく政治が介入しないようにしましょう」と提案しているわけです。

ですが、物事の性質上、政治的に決めざるを得ないこと(外交とか国防とか)はありますし、少なくとも近い将来において政治的決定をなしで済ませる方法はありません。民主主義は一番ましな政治的意思決定の方法であるのは間違いありません。反動思想家が何と言おうと、少しでもデータを見れば独裁政治の黄金時代の人類は貧しく惨めで、人類が豊かな生活を送るようになったのは民主主義の時代であることは自明の事実です。民主主義よりましな方法というのは知られていません。

もちろん、現在の民主主義にも不完全な点がありますし(それは人間が不完全ですから当たり前です)、間違いはあるでしょう。日本の民主主義は完全ではないかもしれません。ですが、そうだとして、いきなり暴力が肯定されたり免責されたりする理由などあるでしょうか。「真の民主主義ではない。見せかけの民主主義だ」等と現在の選挙制度を糾弾しながら、自分自身は民主主義に見せかけてすらもいない純粋な暴力に訴えるのでしょうか。「民主主義は完璧な意思決定の方法ではない」というのは結構ですが、それでまともな意思決定の方法と最もかけ離れた物理的暴力を称えるとは一体どういうつもりでしょうか。そんな態度は賢明でも何でもなく無責任かつ幼稚であり、矛盾も甚だしいというべきです。

*8:人柄とか生い立ちを持ち出して擁護する意見も出てくるでしょうが、生い立ちが不幸だったり様々な困難を抱えていたりしても懸命に働き法を守って立派に生活している市民が大勢いますし、犯罪を犯した人であっても遥かに同情に値するような人はいくらでもいます。殊更にこんな人物の主張を報じる価値などありません。「やむにやまれず」行動したとかいった主張は民主主義社会でいくらでも主張を実現する方法があるのに敢えてこういう手段をとったという時点で全く通用しません。