柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

リバタリアン党ミーゼスコーカスはなぜ危険か(2)

南部連合の「失われた大義」神話の欺瞞性

前回に引き続き、リバタリアン党Mises Caucusの危険性について議論したいと思います。今回は、南部連合の問題について論じます。先日のXの投稿では、リバタリアン党内の南部連合支持者の危険性を指摘しましたが、これに対しては「南部連合支持は、合衆国からの平和な分離独立を暴力で阻止した連邦政府への批判」であるという反論を経済ジャーナリストの木村貴様よりいただきました。

このようなご指摘が正しいかどうか判断するには、①そもそもご提案いただいたような議論で南部連合を擁護することが可能かどうか、②リバタリアン党南部連合支持は人種差別と関係ないという主張が正しいかどうかの2点について議論する必要があります。結論から言えば、どちらの議論も擁護不可能な主張だと考えます。

まず、今回はそもそもご提案されたような議論で南部連合を擁護することができるのかどうかについて議論しましょう。

お言葉ですが、南部連合が平和に米国から分離したというのはそもそも事実ではありません。ご自身のご論考でも、南軍がサムター要塞を砲撃したことで南北戦争の戦端が開かれたことは書いておられるのですから、それはご存じでしょう。以下に木村様自身の文章を引用します。

リンカーンは、離脱に対し強硬姿勢で臨んだ。1861年4月、南部連合サウスカロライナ州の中心都市チャールストン、つまり自国のど真ん中に残された連邦政府のサムター砦に砲撃を加え、陥落させた。死傷者はなかったが、リンカーンは反乱のレッテルを貼り、7万5000人の兵を差し向けた。ここに南北戦争の幕が切って落とされた。」(リバタリアン通信: 南北戦争の真の目的 (libertypressjp.blogspot.com)) 

要するに、いかなる理由を持ち出そうと、最初に戦争を始めたのは南軍です。南軍が戦争を始めたのに専らリンカーンを批判するのはおかしいのではないでしょうか。「自国のど真ん中に残された」外国の砦なら砲撃してよく、「死傷者はなかった」*1なら問題ないというのは理解できません。それは帝国主義の論理であり侵略者の弁明です。そんな理屈が通るなら「自国のど真ん中に残された」ポーランドの領土をナチスドイツが奪ったり、「生命線に等しい」満州を日本が侵略したり、「自国の真横にあり脅威を与える」ウクライナをロシアが併合したりするのは正しいことになるのではないでしょうか。

百歩譲って南部が”平和的に”独立しようとしたという話がたとえ本当だとしても、それはそもそも何のためだったでしょうか。「南北戦争が起きたのは奴隷制と関係なく州の権利を守るためだ」という「失われた大義」神話は、南部の白人至上主義者のお決まりの主張ですが、何の根拠もありません*2。後世の歴史修正主義者がいくらごまかそうとしても、南部の指導者たちは自分たちが何のために戦争をしているか十分自覚していましたし、自分たちの意図を明確に語っています。彼らの目標が何だったのかは誤解しようがありません。例えばミシシッピ州の分離宣言は次のように述べています。

「我々の立場は、奴隷制度と完全に結びついている。奴隷制は世界の最大の物質的利益である。…これらの商品[奴隷]は世界にとって必要であり、奴隷制への打撃は商業と文明への打撃である。奴隷制は長く狙われていたが、奴隷制への攻撃は頂点に達しつつある。我々に残された選択肢は、奴隷制度廃止の命令に服従するか、連邦を解体するかしかなかった[…後略…]。」*3

他の州の分離宣言もこれと大同小異で、多くが奴隷制を分離の理由の第一に挙げています。南部連合のアレクサンダー・スティーヴンズ副大統領は、奴隷制が戦争の原因であることを明言し、奴隷制を正当化する人種差別主義こそが南部連合の基礎であると断言しています。

「〔南部連合の定めた〕新憲法は、我々の間に存在するアフリカ人の奴隷制という特有の制度や、我々の文明形態における黒人の適切な地位をめぐって激しく議論されてきた全ての問題を永久に収束させた。この問題は、先の連邦からの分離と現在の革命の直接的な原因だったのである。[…中略…]

憲法アメリカ合衆国憲法のこと]制定当時、彼[トマス・ジェファソン]と主要な政治家の殆どが抱いていた一般的な考え方は、アフリカ人の奴隷化は自然の法則に反しており、社会的、道徳的、政治的に原理的に間違っているというものだった。奴隷制にどう対処していいかわからないが、それは悪であり、どうにかして、あるいは神の摂理によって、この制度は次第に消えて消滅するだろうというのが当時の人々の支配的意見だった。[…中略…]

しかし、こうした考えは根本的に誤りだったのだ。彼らは人種は平等だと考えていたが、それは誤りだったのである。我々の新政府は、全く正反対の考えに基づいて設立された。その礎石は、黒人は白人と平等ではないという偉大な真理の上に築かれている。黒人は優れた人種に奴隷的に服従するのが自然で正常な状態である。この我々の政府は、世界の歴史上初めて、このような物理的かつ哲学的で道徳的な偉大な真理の上に築かれたのである。」*4

南部連合が最悪の政治体制であることは、設立者本人たちが雄弁に語ってくれましたから、これ以上言う必要はないでしょう。南部が連邦から脱退した理由は「黒人を暴力で奴隷にし続け、虐待し続ける権利を維持するため」以外のどんな理由でもありません。「失われた大義」神話の創作者たちは、「州の権利の擁護者としての南部連合」というストーリーに都合のよい事実を選択的に選び、明白な事実を無視しているのです。黒人奴隷の農場からの平和的な逃亡を暴力で阻止した南部の地主とその政府は最悪の政府であり、自由の敵です。スティーブンスの主張は、アメリカ独立宣言の人権思想や自由主義への直接的な攻撃に等しいものです。このような基礎に基づいて設立された南部連合を擁護するのがとりわけリバタリアン的でしょうか?むしろ正反対ではないでしょうか?

不思議なことに、南部連合支持者は、リンカーンによって州の権利が侵害されたことには激怒するのに、南部連合によって、黒人奴隷の人権が侵害され、命まで奪われたことに対しては、殆ど関心を払っていません。人権は「州の権利」に明らかに優先するはずです。「州の権利」のために人権が犠牲にされてよいというのは一種の国家主義で全く本末転倒です。「州の権利」に価値があるのは、より規模が大きい中央政府よりも住民の意思をよりよく反映していると期待できるからでしょう。ですが、南部の住民の3分の1の黒人奴隷には政治に対して何の発言権もなかったのです。南部の白人がみな南部連合を支持したわけでもありません。南部連合地域主権、州の権利のお手本だと主張するのはナンセンスです。

「国家を憎んでいる」などと大げさな表現をする原理主義的なリバタリアンが「州の権利」などという架空の法律上の権利を普遍的人権に優先させるのは理解できません。奴隷制度という明白な自由への侵害、抑圧的な暴政に目を向けるべきなのは当然でしょう。南部連合の経済体制は自由主義の楽園どころか、主要産業の国有化と物価統制の下で強制労働に頼って戦争を遂行する「戦時社会主義」とでも呼んだ方がよい代物だったことも付言しておきたいと思います*5。要するに、南部連合が分離を選んだ「真の目的」が、州の平和的な分離独立の権利とか地方分権の擁護だったというのは端的に事実ではなく、どちらにせよ、そうした主張は常識的なリバタリアニズムの観点から擁護しがたい主張です。

なお、念のため強調しておきますが、「州の権利」を隠れ蓑にした南部連合支持は、白人至上主義の典型的なレトリックで別にリバタリアンでも何でもありません。州権主義とかリバタリアニズムは白人至上主義の単なる隠れ蓑として使われているだけです。実際、Mises Caucusを取り巻く人物と白人至上主義者の団体とのかかわりは明白です。Mises Caucusのメンバーが崇拝する思想家のマレー・ロスバードが元KKK幹部のデヴィッド・デューク(David Duke)を支持していたことは前回も触れた通りですが*6、Mises CaucusのAdvisory Boardのメンバーについても少なくともそのうち3人については白人至上主義者との関係がはっきり指摘できます。Ron Paul元議員は南部連合を支持する白人至上主義者とのつながりが指摘されてきた人物です*7。1990年代の彼のニューズレターは繰り返し黒人を罵倒し「黒人男性の95パーセントは半ば犯罪者か完全に犯罪者だと考えるのが安全だ」などと書いていました。悪意ある彼のニューズレターは大変な問題になったため、批判を受けてポールは自分が筆者であることを否定しましたが、その後も南部連合を支持する集会で講演するなど彼が白人至上主義者と深い協力関係にあることは明らかです。

また、Tom Woodsも南部連合を支持する歴史修正主義で有名ですが、彼は南部の白人至上主義団体League of the Southの設立メンバーで、長年にわたり白人至上主義団体と交流し「南部の大義」を支持してきた人物です*8。Walter Blockも、南部連合支持者として有名な人物で、奴隷制の弊害を矮小化し*9リンカーンを怪物と非難し*10、黒人の賃金が低いのは知能が低いからかもしれない*11などと主張するような人物です。

馬鹿げた歴史修正主義や白人至上主義を唱える人はどんな主義主張の支持者の間にもいますしリバタリアニズム特有の現象では全くありません。大多数のリバタリアンはこうした歴史修正主義に強く反対しています*12。白人至上主義はリバタリアニズムとは何の関係もありませんし、リバタリアニズムとは正反対のものです。

*1:なお、サムター要塞の戦闘で「死傷者はなかった」というのは厳密には事実ではありません。直接の戦闘では死んでいませんが、退却の際の礼砲の爆発で北軍の1名が死亡し3人が負傷しています

*2:Debunking defenses of ‘Lost Cause’ mythology during Confederate Heritage Month | Southern Poverty Law Center (splcenter.org)

Lost Cause | Meaning, Myth, Ideology, History, Significance, & Facts | Britannica

Lost Cause Myth – The Inclusive Historian's Handbook

The Lost Cause is a False Narrative: Evidence of a Cover-Up | ijoey.org

*3:The Declaration of Causes of Seceding States | American Battlefield Trust (battlefields.org)

*4:“Cornerstone” Speech | Learning for Justice

*5:例えば以下を参照。The Most Persistent Myth About the Confederacy (substack.com)

*6:Dukeについては、渡辺靖(2020)『白人ナショナリズム中公新書,「第2章 デヴィッド・デュークとオルトライト」参照。

*7:Angry White Man | The New Republic  Rand Paul’s Mixed Inheritance - The New York Times (archive.org)

*8:Behind the Jeffersonian Veneer (reason.com) Incorrect History - Washington Examiner

*9:New York Timesが「奴隷制はそう悪くなかった」というブロックの発言を引用した際、ブロック本人は報道は「切り取り」であると激しく非難しました。公平のために、関係する箇所を引用します。問題の個所は次の通りです。

「結社の自由は自由の重要な一面である。それは決定的である。実際、その欠如が奴隷制の問題だった。奴隷はやめることができなかった。彼らはそうしないことを強く望んでいたときでも、彼らの主人と「関係する」ことを強いられたのである。そうでなければ、奴隷制はそう悪くなかった。綿花を摘み、歌を歌い、美味しいお粥を食べたりすること等ができたのだ。唯一の実際の問題は、この関係が強制的だったことである。」(Chris Selley Is a Pussy Libertarian; I'm Not - LewRockwell (archive.org))。

判断は読者にお任せしますが、New York Timesの引用はそれほど不当なものではないと思います。何も知らない読者なら、この記述だけを読めば、奴隷制はそう悪くなかったという印象を受けて当然です。現実の奴隷制は、そんな牧歌的なものではありません。綿花を摘むのは単調な重労働です。奴隷の主人は奴隷に日常的に暴力を振るい、奴隷を虐待したりレイプしたり殺害したりすることさえも稀ではありませんでした。奴隷は文字の読み書きを学ぶことを禁じられ、集会結社の自由も移動の自由もなく人間でないモノとして扱われていました。ですが、ブロックの記述からこんなことは全く想像もできないでしょう。

ブロックは、奴隷たちが楽しくて歌っていたとでも思っているのでしょうか。奴隷制下の南部から脱出し、奴隷解放の活動家として活躍したフレデリック・ダグラスは自伝の中で次のように書いています(彼の自伝は南部の奴隷制の残忍さを知るために必読の文献です。南部奴隷制に対して「風と共に去りぬ」風の幻想を持っている方には、ぜひご一読をお勧めします。ロマンチックな幻想は一瞬で覚めるでしょう。)。

「私は、奴隷たちの間では安らぎと幸福の証として歌が歌われていると人々が話すのを聞いて驚くことがよくあった。これほどの間違いはない。奴隷たちは何よりも不幸なときに最もよく歌うものである。…私は悲哀を紛らすために、よく歌ったものであるが、幸福感を表すために歌うことなどめったになかった。奴隷制下の窮地にあった私には、喜びのために泣いたり歌ったりすることなど通常なかった。」(フレデリック・ダグラス『アメリカの奴隷制を生きる フレデリック・ダグラス自伝』, 樋口映美 監修, 専修大学文学部歴史学南北アメリカ史研究会訳, 彩流社, 2016年,49-50頁)。

*10:Let the South Go - LewRockwell

*11:When Austrian Economics and Jesuit Theology Don't Mix :: Inside Higher Ed :: Higher Education's Source for News, Views and Jobs (archive.org)

*12:例えば、ケイトー研究所の故Boaz氏の著書Libertarian Mindをご参照ください。『白人ナショナリズム』の著者の渡辺靖氏も、一部に白人至上主義者もいるものの、殆どのリバタリアンはむしろ白人至上主義に強く反対していることを強調されています。